「キュアマジェスティ!」
名乗りの声がまんまかぐや様で吹きそうになったw。
成程、今回の冒頭の「エルちゃんが(絵本に)前倒しで登場」というのは、Bパートの展開の前置きになっているんですね。
>『書き換えられた聖書』がなかったので同著者の『捏造された聖書』を借りました
文庫化にあたり改題されただけで、内容は同じみたいですから問題無いですよ(私も手元に持っているのは『捏造された聖書』の方)。
>そもそもオリジナルという概念もあやしく、口述筆記していた場合、書き(聞き)間違いの可能性もある
>同じ聖書でも読む人によって解釈も変わる
>人それぞれの解釈に人それぞれの信仰があると言える
実際遡り出すとキリが無いんですよね。そもそもイエスの時代のパレスチナにおける日常会話はアラム語だったにも拘わらず、イエスの言動を収めた四福音書含め、新約聖書は全てギリシャ語で書かれています(紀元前4世紀半ばに出来たアレキサンダー大王の帝国以来、ギリシャ語(コイネー)はヘレニズム世界の公用語として使われていた)。
つまり、後の新約聖書記者たちが、当時で言うところの「世界宣教」を意図してギリシャ語を選択した時点で、既に「イエスが実際に発した(とされる)言葉そのもの」は失われてしまっている訳です。そして翻訳という行為には必ず「解釈」が伴いますから、結局「イエスは何者なのか」という問いは、「聖書記者それぞれがイエスは何者であると考えたのか」という問いに置き換えざるを得ないんですよね。
>キリストを白人に塗り替えてる
皇帝テオドシウスが紀元392年にキリスト教を国教として以降、キリスト教が古代ローマ世界に「土着化」した結果起こった現象でしょうね。崇めるべき教祖はやっぱり自分達と外形的に似通った存在であって欲しかったのでしょう。その流れの極北がナチスドイツ時代に「キリストは金髪碧眼のアーリア人であって忌むべきユダヤ人などでは無い。」と主張し、旧約聖書およびユダヤ人を好意的に捉えた新約聖書の記述を丸ごと削除した「ドイツ的キリスト者」において結実することとなります。
もう少しマイルドな事例を挙げるなら、かの傑作『最後の晩餐』での描写は当時のヨーロッパの食習慣に合わせたダ・ヴィンチによる脚色で、実際はイエスと十二弟子は「床に寝そべりながら腹這いになって」食事をしたと考えられているみたいですね。
>「認める(認めさせる)」為の試行錯誤が圧倒的に足りない
試行錯誤が圧倒的に足りないという点は私も同感なんですが、認める側も認めさせる側も、その試行錯誤を行えるだけの力量というかキャパシティが、そもそも原罪を帯びた人類には備わっていないのではないかと私は言いたかったのです。アファーマティブ・アクションや人工妊娠中絶といったセンシティヴな問題を巡る、近年の米最高裁による「50年近くに亘り支持されてきた憲法判断の変更」を目にして、尚更その感を深くします(↓)。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/485635.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/08/18/24402.html
プロテスタントはキリスト教諸派の中でも性悪説に近い考え方をするので、私の思考も基本その枠組みから逃れられないみたいですねw(苦笑)。
>何かが社会問題になってもそれが深掘りされて議論が深まり、人々の意識がアップデートされる……なんてことはない
>自分にとって喫緊の課題でもないから流す。その繰り返し
数年前の土用の丑の日の前後で「絶滅危惧種の二ホンウナギを守ろう!」とかで鰻丼や鰻重を食べる代わりに、蒲鉾か何かを使った代替品をプッシュするムーヴメントが盛り上がったように記憶しています。今なおウナギを巡る危機的状況は大して変わっていないのにも拘わらず、「そんな事もあったっけ?」とばかりにすっかり忘れられている感がありますね。まぁ日本人の「熱し易く冷め易い」のは、60年安保と70年安保との「温度差」を見ても一目瞭然ではありますがw。
>今週の読書(↓)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A0%B4%E6%9E%9C-%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%A2/dp/4000615769
主人公は殺し屋稼業45年の大ベテラン。これまで与えられた仕事は忠実にこなしてはきたものの、流石に寄る年波には勝てず雇い主からはそれとなく「戦力外通告」を匂わせられる日々―それと共に長らくフタをしてきた自己の様々な欲求が次第に抑えきれなくなって来る。例えばオシャレ(特にネイル)への興味は募ってくるし、可哀想な捨て犬を見ると拾いたくなるし、シノギの途中にも拘わらず困っている赤の他人のお爺ちゃんに思わず手を差し伸べてしまうし、挙句に親子ほど年の離れた子持ちのカタギの男性に片思いする始末…強面の外見とは裏腹に、そんな「フツーに憧れる」一人の初老の女性の物語です。モチーフ的にそれなりの暴力描写もありますが、何だかんだでハッピーエンド(?)なのがこの手の話にしては珍しいですね。得られる教訓としては、年老いてから経済的に困窮しないために、何であれ若い頃に仕事はちゃんとやっておくべきということでしょうかw。