ココ様の声が変わってないのに驚き>オトナプリキュア
やっと対立軸が見えて来ましたね。プリキュアサイドが唱える上昇史観とベルが奉ずる下降史観のガチバトルということでしょうか。成程、この描き方ならこれまで提示されたテーマ全てを包含することも可能か…尤も、のぞみを含めた殆どのメンツがグレーゾーンに片足を突っ込んでいる感は否めませんがw。一方のベルにしても、どうせ人類はいずれ滅びるというのなら余計な手出しをせず傍観していれば良いのに、「破滅を早めるべく」妙にお節介を焼きたがるあたりが何とも「人間臭い」ですねぇ、人外の癖に(苦笑)。
>ダークナイトライト
セリフもふんだんにありましたし、個人的には今回ココ様以上に存在感を発揮していたように思いました。今後顔出し出演&プリキュアとの共闘があるかな?咲舞が変身出来ない限りは難しそうですが…(変身には妖精のフラチョピが欠かせませんから)。
>生まれたときから死ぬまで生活が変わらないなら、自分の生き方をどうこうするって意思決定プロセスは不要
>「意志」が近現代に生まれたという話はたま~に耳にする
奇遇ですね。2018年の國分功一郎氏のテレビ放送は4回とも視聴していて、序でにNHKテキストも購入していました。その中に(自由)意志に関するこのような記述があります。
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意志の概念はまさしく信仰の中で発見されていきました。それを作ったのはパウロやアウグスティヌスらのキリスト教哲学であったと、[哲学者のハンナ・]アレントは言っています。意志の概念がいつどうやって始まったのかを確定することは困難です。重要なのは、現在のような意志の概念はかつては存在していなかったということです。…… 最近、子どもの不登校に関する専門紙からインタビューを受けました。不登校の子どもたちもしばしば「意志が弱いから学校に行けない」と言われてしまいます。しかし、不登校の子どもたちも「学校に行かないことが自分の意志」とは言い切れないわけです。行きたくないという「意志」があったのか、どうしても「行けない状況」だったのか、はっきりと線引きができない。それは、私達の行為が意志によって一元的に決定されているわけではないのですから当然でしょう。…… 現代社会では、意志がほとんど信仰のように強く信じられていることは分かっておいていただきたいと思います。その信仰を解除すれば、私たちはもうすこしだけ自由になれるのではないか。(國分功一郎「100分de名著 スピノザ『エチカ』」p.91-93より)
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現代とは資本主義由来の「拝金教」のみならず、自己責任論に直結する「意志教」が大手を振って歩いている時代だと纏められるのかもしれませんね。そのいずれもが近代を規定するイデオロギーの一形態に過ぎないということを、私も含めて一人一人が自覚しておく必要があるように思います。
あとここからは私の個人的見解ですが、確かに先鞭を付けたのはパウロやアウグスティヌスらだったとしても、自由意志なるものが際立って注目されるようになったのは宗教改革以降では無いかと思うんですよ。なるほど『奴隷意志論』を執筆したルターにせよ「予定説」を唱えたカルヴァンにせよ、自由意志そのものを認めることには消極的だったかもしれません。しかしそれまでの西欧がカトリック一択だったところに、新たにプロテスタントなる「分派」を建て上げることで、最初は為政者レベルで、後には庶民レベルで「両者のどちらを選択するか」を巡り「個人の意志が問われる」社会的素地が新たに生じて来たのではないかと私は推測しています。
>今週の読書
貸出中だったのですがようやく読めました(↓)。
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E5%AE%B6%E8%A8%88%E7%B0%BF-%E2%80%95%E3%80%8C%E5%8A%A0%E8%B3%80%E8%97%A9%E5%BE%A1%E7%AE%97%E7%94%A8%E8%80%85%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%B9%95%E6%9C%AB%E7%B6%AD%E6%96%B0-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%A3%AF%E7%94%B0-%E9%81%93%E5%8F%B2/dp/4106100053
ちょっと古い本ですが、抜群に面白かったですね。『下級武士の田舎暮らし日記』が江戸中期の仙台藩を扱っているなら、こちらは幕末の加賀藩が舞台。加賀百万石の「御算用者(会計処理の専門家)」がその職能を私的な家計簿の記載においても遺憾なく発揮し、幕末から明治に掛けての約37年間の「台所事情」を極めて詳細かつ赤裸々に記録したものです。興味を惹かれたところをほんの一部だけ抜粋しますね(↓)。
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実は、武士身分が窮乏化したのは、この「身分費用」が一因になっていた。百姓の年貢米も、この「身分費用」にかなり費やされていたといってよい。江戸時代のはじめ、十七世紀ごろまでは、武士身分であることの収入(身分収入)のほうが、武士身分であることによって生じる費用(身分費用)よりも、はるかに大きかったといえる。……ところが、幕末になってくると、武士身分の俸禄が減らされて身分収入が半減する。…… しかし、武士身分であるために支払わなければならない身分費用はそれほど減らない。十七世紀に拝領した武家屋敷は大きなままで維持費がかかる。また「家格」というものが次第にうるさくなってきて、家の格式を保つための諸費用を削るわけにはいかなくなった。そのため、江戸時代も終わりになると、武士たちは「武士であることの費用」の重圧に耐えらえなくなってきていた。…… 今日、明治維新によって、武士が身分的特権(身分収入)を失ったことばかりが強調される。しかし、同時に、明治維新は武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味をもっていたことを忘れてはならない。…… 明治維新は、武士の特権を剥奪した。これに抵抗したものもいたが、ほとんどはおとなしく従っている。その秘密には、この「身分費用」の問題がかかわっているように思えてならない。(前掲書 p.76-77)
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まさしく「武士は食わねど高楊枝」そのままですね。1871年の廃藩置県が割とスムーズに進んだのも、そろそろ武士達が「見栄を張るのが辛くなってきた」ことから説明出来そうに思えます(笑)。