信仰の否定に繋がりかねない思想だからそりゃ迫害もされるか >スピノザ
>因果律に支配されている現代科学の世界観では、「自由意志」は存在しない
「神はサイコロを振らない」なる趣旨の発言をしたことで有名なアインシュタインがこの立場でしたね。調べてみると彼は若い頃にスピノザの影響を受けていたみたいです。
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スピノザは完全な決定論者でした。すでにニュートン力学が確立されていた当時、初期条件さえ与えれば、ニュートンの運動方程式を用いて物質の時間発展は永遠に計算できる。すべては宇宙の最初に決まってしまっているとする決定論は、物理学のみならず哲学にも大きな影響を与えていました。…… 学問のためには名誉や資産も捨てるスピノザに、アインシュタインは強く尊敬の念を抱きました。なおかつ、スピノザが考えていた無制限の決定論は、アインシュタインの思いとまったく同じものでした。アインシュタインもまた、宇宙創造後の発展はすべて科学法則にまかされていて、人間は自由意志をもたないと考えていました。スピノザとの思想の一致は、若きアインシュタインにとって大きな心の支えになったのです。(三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』講談社ブルーバックス2018 p.144-5より)
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しかしそのアインシュタインの信仰にも似た信念も、後の1920年代にドイツの理論物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが唱えた不確定性原理によって完膚なきまでに打ち砕かれることになるのですが(苦笑)。
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不確定性原理によって、量子力学には「波か粒か」という二重性のみならず、「位置と運動量」の不確実性という二重性もあることがわかりました。初期条件として位置と運動量さえ与えれば、過去と未来のすべてにわたって位置と運動量が弾き出せるというニュートンとアインシュタインの決定論は、ことミクロの粒子の世界においては全く成り立たなくなったのです。(同 p.197より)
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じゃあやっぱり人間には自由意志があると言えるのか、と思いきや…最新の脳科学の知見によると、cosmos様の仰るように(大筋では)否定されているみたいですね(↓)。
https://www.nhk.jp/p/ts/26ZY61Z6J6/episode/te/RJ7W3PN1G2/
因みに、17世紀を生きたスピノザも同じようなことを既に考えていたみたいです(↓)。天才の直観ってヤツはやっぱりスゲーわw。
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― われわれはあるものを善と判断するがゆえにそのものへと努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するがゆえにそのものを善と判断するのである。― (『エチカ』第3部定理9の備考)
ふつうわれわれは、自分で目的を立て自分の自由な意志で行動していると信じている。ところがスピノザによると、自然の中で起こっているのはその逆である。言い表すことのできない衝動がすでにあってわれわれの行動を生み出しており、われわれはそれをいわば遅ればせに欲望として感じている。そして問われると、この欲望意識をもとに、自分はしかじかの目的に向って自由な意志で行動しているのだと解釈し、自分にも他人にもそういうふうに答えを返すようになっている。(上野修『スピノザの世界 神あるいは自然』講談社現代新書2005 p.31-2より)
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>法律論的には自由意志前提じゃないと、みんな心神喪失になりそう
同感ですね。刑事事件の弁護士にしてみたら仕事がやり易くなって重宝がられているかもしれませんねw(ひどい偏見)。
因みに以下の記事によると「自由意志の存在を疑う人間は闇落ちし易くなる」らしいですよ(笑)。
https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/
>●クソみたいな驕りと油断で死んだ魔族●に1名追加
「魔族が魔力を隠さない」のは、いわば魔族内の社会学的理由に拠るものだ…ということか、成程なぁ。作品の世界観の細部がしっかり作り込まれていることで、地味ながら物語に深みや説得力とを与えていますね。今のところ作画も中の人の演技も個人的には言うこと無しですし、このまままずは1クールを無事に乗り切って欲しいと思います。
>今週の本編
キュアマジェスティが外見相応の精神年齢を獲得するための前段階、とも言える今回のセレモニーでしたね。ツバサの声が現在絶賛石化中のヘタレの銀狼っぽくなっていたのはご愛嬌w。
>「昔のりんならこうして私に頼ることもなかったし、こんな話もできなかった。大人も悪くないんじゃない?」
社会の荒波に揉まれたこともあり、中坊の頃にあんなに尖っていたりんちゃんさんも随分と素直で丸くなったものですね。こんな風に本編から一歩進んだ関係性が描かれるのもオールドファンとしては嬉しい限りです。
>今週の読書:ミステリージャンル
『でぃすぺる』とやらが貸出中でしたので、これにしました(↓)。何せ500ページ超えなのでまだちょっと読み切れない。読了して思う所があればまたプレゼンするかもしれません。
https://www.amazon.co.jp/%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%A8%E9%83%BD%E5%B8%82-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB/dp/4150118353
>私は地位非一貫性が江戸時代の社会を安定させていた面にこそ注目したい。社会に地位非一貫性があれば、革命はおきにくい。身分による不満や羨望が鬱積しにくく、身分と身分が、そこそこのところで折り合って、平和が保たれるからである。
武士は実より名を、一方商人は名より実を取ったということか。確かに徳川幕府が約260年続いた一つの要因だったのかもしれませんねぇ…他にも「芸は身を助く」や「社会の枠組みを新たに設ける者が一番美味しい思いをする」等等…いや、実に勉強になる読書でしたw。