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スレッドNo.238

こんなに引っ張るとはなぁ >バッタモンダー

 この分だと最終決戦で少しだけ見せ場があるのかもしれませんね…それはそうと、主人公の筈のソラの存在感がどんどん希薄になっているような気がするのは私だけw?


>どちらかというと「反射」に近い実験
>個体としてみればそれが意志か衝動かなんてさほど変わらん

 私も同感ですね。例えば以下のような状況を考えてみるとします。小学生らが公園で野球をして遊んでいたとして、打った球が運悪く近所の家の窓ガラスを破壊したため、すわ怒られては大変と一旦は蜘蛛の子を散らすように現場を離れたものの、後でやっぱり悪いと思って皆で謝りに行ったとして…「最初に逃げた」のも「後で謝罪しに行った」のもどちらも意志には間違いないでしょうしねぇ。まぁ前者の方がより衝動に近く、結果後者の方を「より高次の意志」と呼べるのかもしれませんが(意志そのものに倫理的判断を持ち込めるのなのかどうかまでは分かりませんけれど)。


>道徳観っていうのも、何も人間の崇高な理念や理性(ゼロ)から生まれたわけじゃなくて、生得的に持っている選好みたいなものとしてプリインストールされてる

 (↑)これって歴史的には「大陸合理論」の系譜に属するデカルトが唱えた「生得観念」に由来する哲学的スタンスですよね。てっきり現代でも論争が続いているものだとばかり思っていましたが、学問的に決着が付いているんでしょうか?

◆◆◆

 生得観念:人間が生まれながらにもっている観念。神の観念や善悪の観念が、その例とされる。デカルトは、無限な実体である神、有限な精神的実体(精神)と物質的実体(物体)を生得観念とした。ロックは、経験論の立場から生得観念を否定し、人間の心は「白い板」(タブラ=ラサ)、つまり白紙であると説いた。
(小寺聡 編『もういちど読む山川哲学 言葉と用語』p.241-2より )

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>「量子力学では確率で決定されてるから、そのランダム要素が自由意志と呼べる」みたいな説
>確率と自由が同じな訳ねーだろ

 つまり、あの有名な「シュレディンガーの猫」の思考実験を持ち出して自由意志を論証しようという人達がいらっしゃるということでしょうか?生きている猫または死んでいる猫を「自由に」選び取れる訳でも無い訳ですから、私もcosmos様同様、個人的には無理筋な考え方では無いかと思いますね(笑)。


>チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』

「まるで見世物小屋だ。こんな奇妙でちっぽけな二つの都市を、外の人間が気にかけているとでも思うのかね?」

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(大森望氏による巻末解説より)

 ふたつの街[べジェルとウル・コーマ]は、地理的にほぼ同じ場所を占めている。社会体制の違うふたつの都市がひとつの土地に同居するといえば、(壁が崩壊する以前の)東ベルリンと西ベルリンを思い出すところだが、べジェルとウル・コ―マのあいだに物理的な壁は存在しない。にもかかわらず、ふたつの街のあいだには厳然とした区別があり、両国の国民はたがいに相手の国が存在しないものとしてふるまわなければならない。そのため、一方の都市の住人は他方の都市の住人(および建物や車など)を見ることも、声を聞くことも禁じられている。ふたつの都市国家が同じ場所に共存していることは、けっして認めてはならない公然の秘密なのである。このもっとも基本的な決まりに違反すると(=〈ブリーチ〉行為をおかすと)、〈ブリーチ〉と呼ばれる謎の組織がどこからともなくあらわれ、違反者を連行する。〈ブリーチ〉はほぼ無制限の巨大な権力を持ち、両国の国民にとって、かぎりない畏怖の対象となっている。…… べジェルとウル・コ―マの国民は、幼い頃から厳しい鍛錬を積み、相手国のものを〈見ない〉(unsee)、〈聞かない〉(unhear)ことを叩き込まれる。とはいえ、見ていいかどうかは見てみないと判断できない。どっちの国の人間なのかは、服装やしぐさや歩き方ですぐに判別できるが、判別するためにはいったん視界に入れる必要があり、そうして目に入った〈異質〉部分(相手国に属するもの)は、見なかったふりをすることが求められる。…… しかし、両都市国家のあいだにまったく交流がないかといえば、そうではないから話がややこしい。両国はかつて二度にわたって、“短く悲惨な戦争”を経験しているが、現在はほぼ友好関係にあり、それぞれの旧市街の中心に位置するコピュラ・ホールを通ることで合法的に(〈ブリーチ〉行為をおかすことなく)両国間を行き来できる。べジェルの国民は、コピュラ・ホールからウル・コ―マに入国したとたん、いままで見えなかったウル・コ―マの建物や人々が見えるようになり、反対にべジェルの建物や人々が見えなくなる(ことを求められる)。

◆◆◆

 この奇想天外な設定を異世界ファンタジーものとしてでは無く、「現代ヨーロッパを舞台とした犯罪捜査ミステリー」に力業で無理矢理仕立て上げたような小説です。要するに地理的同居人(べジェル国民とウル・コ―マ国民)全員が草の根レベルで「裸の王様ごっこ」をやっていると思えばいい。それなりに興味深い設定でハマる人はハマると思うんですが、文庫で500ページ超えは正直冗長でした(苦笑)。設定の現実味という点でも細部における説得力に欠けるし、何より肝心のミステリ部分の話運びがまだるっこしくて種明かしも期待外れだったというのが致命的でしたね〜(毒)。

 そう言えば、現在のアメリカ合衆国では分断が更に加速し、民主党員らと共和党員らとがそれぞれお気に入りのメディアソースから互いに矛盾する報道“のみ”を見聞きして暮らすようになってきているため、議員レベルですら党を跨いだ対話が成立しにくくなっているらしいですね。「ひとつ土地に同居しながら、互いに相手の国が存在しないものとして振舞わなければならない」のでは無く「そもそも互いの存在を認める気すらない」ということのようです。今や現実の方が余程SF的だと言えそうですねw。

編集・削除(編集済: 2023年11月20日 23:11)

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