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スレッドNo.242

のぞみ「こうすればあなたと話せると思ったから」

 「敵勢力との対話」を明確に打ち出した点は、『Yes!プリキュア5』でののぞみvs.デスパライアを思い出しますね。ただあの時は鋼メンタルの主人公が不安に苛まれるラスボスに手を差し伸べるという構図だったのに対し、今回はソラよりもスキアヘッドの方が年相応に達観しているというか、精神面でより安定しているように見受けられます(それでもラストでは気迫負けして撤退したように見えましたがw)。御大が常々指摘されるように、プリキュアシリーズの主人公には過度に聖母的な役割を押し付けない、とする制作者側の意向が近年強まっているのかもしれませんね。


>自分のために意志があるんじゃなく、他人に伝えるために意志(「私はこう思います」「わかりました」)が発生したって考える方が筋が良さそう

 確かにそれも一理あるかも。意志と言葉との繋がりを論じた文章に今のところお目に掛かったことはありませんが、興味深い見解ですね。


>地球外少年少女

 おや、監督が『電脳コイル』と同じ人で、しかも全6話というコンパクトな仕上がりなのですね。取り敢えず第3話を録画しましたが…今からでも視聴は間に合うかな?そういえば15年も経つのに『電脳コイル』で登場したメガネ型のウェアラブルデバイスって全然普及していませんね(苦笑)。


>『傷つきやすいアメリカの大学生たち』

 「大学生らが集団で教授を糾弾し吊るし上げる」って紅衛兵やら全共闘やらがキャンパスを席巻した半世紀前の話かと思ったら、現代の米合衆国の話なのですね。今やすっかりリベラルの天下と化した米国の大学では「自らを不快にさせるものは徹底的に排除されてしかるべき」との“お気持ち”は全てに優先するとばかりに、自分達の掲げる「多様性の尊重」に少しでも異を唱える教師や言論人を脅迫する(暴力を振るう、社会的地位を失墜させる)行為は「学生に与えられた当然の権利」だと見做す大学生らが多数闊歩しているということか…しかし本当に多様性を尊重するのだったら、ゴリゴリの保守の言説だって認められるべきですよねw?(困惑)。

 著者曰く、親世代が良かれと思って大事に大事に育てた結果「ピーナツアレルギー」だけでなく「モンスターチルドレン」をも大量に生むことになったみたいですね。いやはや子育てって何とも難しいものですねぇ(←他人事じゃない)。日本の大学はまだ米国の段階までは行っていないと思うのですが、ネット記事などをつらつら眺めるにこういう思考パターンを持つ人の割合は徐々に増しつつある気がしますね。

 それで思い出したのが、ちょっと昔の本ですが(↓)。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8B%E6%B5%81%E5%BF%97%E5%90%91%E3%80%88%E5%AD%A6%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%83%8D%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%89-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4062763990

◆◆◆
(前掲書より)

 消費主体は、自分の前に差し出されたものを何よりもまず「商品」としてとらえる。そして、それが約束するサービスや機能が支払う代価に対して適切かどうかを判断し、取引として適切であると思えば金を出して商品を手に入れる。消費主体にとって、「自分にその用途や有用性が理解できない商品」というのは存在しないのです。… ですから、先ほどの小学校に入ったときに、先生に「ひらがなを習うと、何の役に立つんですか?」と訊く子どもは消費主体としてごく自然な質問を発しているわけです。… そして、この幼い消費主体は「価値や有用性」が理解できない商品には当然「買う価値がない」と判断します。… 消費主体として出発した子どもたちは目の前に差し出されたものをつねに「商品」として見ます。そして、それを「値切ろう」とする。最小の貨幣で最大の商品を手に入れようとする。ふつうの商店で売っているものなら、貨幣をもってその代価に充てます。では、学校では何を代価に充てるのでしょう?

 学校では生徒たちは教育サービスの対価として貨幣を払うことができません。でも、なんらかのかたちで「貨幣」を差し出さない限り、「買い手」として等価交換の場に立つことはできない。では、彼らは何を貨幣に代用するのでしょうか? … それは「不快」です。五十分間の授業を黙って耐えて聴くという作業は子どもたちにとっては「苦役」です。彼らはその苦役がもたらす「不快」を「貨幣」に読み換えて、教師が提供する教育サービスと等価交換しようとする。… 彼らは学校に不快に耐えるためにやってくる。教育サービスは彼らの不快と引き換えに提供されるものとして観念されている。ですから、教室は不快と教育サービスの等価交換の場となるわけです。… 仮に、その授業の価値が「十分間の集中」と等価であると判断されると、五十分の授業のうち十分程度だけは教師に対して視線を向け、授業内容をノートに書く。そして、残りの四十分間分の「不快」はこの教育サービスに対する対価としては「支払うべきではない」ものですから、その時間は隣の席の生徒と私語をしたり、ゲームで遊んだり、マンガを読んだり、立歩いたり、あるいは居眠りをしたり、消費者である子どもにとって「不快でない」と見なされる行為に充当される。… 決められた時間以上授業を聴かないように必死の努力をしているのに、どうしてそれを単なる怠惰や不注意のようにとらえるのか(と、彼らはほんとうに怒っているのです)。
(前掲書、第1章 学びからの逃走 p.44-9より抜粋)

◆◆◆

 教育を扱った両書に「不快」なるワードが共通しているのは単なる偶然ではないように個人的には感じています。要するに教育現場で学生たちが表明する「不快」なる感情の出所を、資本主義的行動様式が齎す当然の帰結だと内田氏は論じているのですが、この点は「学生たちは親世代に甘やかされて育てられたからそうなったのだ」とする『傷つきやすいアメリカの大学生』の著者よりも一歩踏み込んだ分析のように私には映りました。そしてその「不快」が米国では専ら外向きの攻撃として、本邦では消極的な授業サボタージュとして顕在化しているということなのでは無かろうか、と私は考えています。


>オトナプリキュアの地元愛

 おや、プリキュア5GOGOの面々と地域との繋がりって、本編ではあんまり感じませんでしたけれども(そもそも街並みが中世ヨーロッパぽかったし)…その辺り湘南が舞台の『Splash☆Star』に寄せて来たのかな?
 
 しかし依然としてタイムフラワーの存在が謎だなぁ、単なるウルトラマンのカラータイマー的役割では無さそうだし。


>大体そんな感じで合ってる

 あら嬉しい(笑)。思い付きで書いてみたんですが、偶々的を射ていたみたいですねw。

編集・削除(編集済: 2023年11月28日 06:29)

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