MENU

スレッドNo.245

棍棒を高々と振り上げる自称「マナー講師」達

>今週の読書とその書評

 アメリカの大学生だけに限った話でも無いよな、と思ってこちらも読んでみました(↓)
 https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E3%81%AE%E7%8B%82%E6%B0%97-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3-%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC/dp/4198654468/ref=sr_1_1?adgrpid=135561386845&hvadid=679063607909&hvdev=c&hvqmt=b&hvtargid=kwd-1678256861499&hydadcr=4076_13378701&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9+%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC+%E5%A4%A7%E8%A1%86%E3%81%AE%E7%8B%82%E6%B0%97&qid=1701681476&s=books&sr=1-1
【書評兼要約】https://www.sankei.com/article/20220424-KPVTMJ2UGVLA7CLQGBC4QYH6GQ/

◆◆◆

 かつては予見されていなかったが、いまなら認識できることはいくつもある。その一つが、インターネット(特にSNS)は、公的な言語と私的言語との間にかつて存在していた境界を奪い去った、ということだ。SNSは、新たな独断を社会に埋め込み、反対する意見を、それに耳を傾けることが何よりも求められているときに押しつぶす、という点では最高の手段である。… 公の場で話をする際には、考えうるあらゆる主張(さまざまな権利の主張など)を持つ、ありとあらゆる種類の人びとを念頭において、話をしなければならない。特定の人々の存在を忘れたり、一部の人々を傷つけたり、侮辱したり、否定したりすれば、なぜそんなことをしたのかと、いつ何時、問い詰められるかもわからない。それを考えれば、この高度につながり合った社会のなかで育った世代が、自分の発言に気をつけ、他人も同じように発言に気をつけてくれることを期待するのも当然である。また、全世界から批判を受ける可能性を考えれば、自分自身の「特権」や権利などについていくら内省しても、誰からも批判を受けない結論にたどり着く見込みはほぼ間違いなくないのではないかと思うのも当然である。

 物議をかもす難しい問題には、それ相応の熟慮が必要である。熟慮するためには、たいていは自分の考えを試してみる必要がある(その過程で過ちを犯すことは避けられない)。だがいまでは、きわめて異論の多い問題について自分の考えを口にするのが、きわめてリスクの高い行為になってしまったため、単純に損益比の観点から見ても、誰もそんな方法を採用しようとはしない。たとえば、男性の体を持つある人物が、自分は女性だと訴え、女性と見なしてほしいとあなたに言ってきた場合、あなたには二つの選択肢がある。その人物の言うとおりにすれば、あなたはテストに合格し、これからも無事に人生を歩んでいける。だが、その人物の言うとおりにしなければ、「トランスジェンダー嫌い」というレッテルを貼られ、これまでの評判や経歴をふいにすることになるかもしれない。あなたはどちらを選ぶだろう? (前掲書 p.199-201より)

◆◆◆

 寛容さを旨とする筈のリベラリズムが、今や思想的に異なる人物らの些細な発言まで槍玉に挙げて、過去の「不適切」発言を掘り起こしてでも無限に殴り倒すことを肯定するまでになり果てている英米社会の「一切の異論を認めない言論空間」を慨嘆している本です。言論封殺といえば、ふた昔ほど前は独裁政権や極右および極左集団が行うものであるというのが定番でしたが、現代のSNSやマスメディアにおいては「一億総思想警察」というか、頼まれもしないのに互いの言動を嬉々として監視(場合によっては実力行使による矯正)し合っているのは他ならぬ私達自身だったりしますよね。ひょっとしたらここ十数余年ほどに亘り、民主主義なるものは爛熟期を過ぎて自壊していく真っ只中にあるのかもしれません(毒)。


>実はそれが町おこしのために画策された茶番劇だった

 私も知らなかったなぁw。確かにWikiの「スコープス裁判」の項目にも、裁判自体が“やらせ”だったことが明言されていますね。残念ながら当方も最寄りの図書館にて絶賛貸出中&予約待ち多数だったので、暫らくは読めそうにありません(残念)。

 個人的には映画『三十四丁目の奇蹟』の中で行われた「サンタクロースは実在するか?裁判」を思い出しました。米合衆国には訴訟そのものをある種イベント化して楽しむという風土があるのかもしれませんね。


>ましろん「良かった…紋田さんが苦しんでいたのも嘘だったんだ。」
>彼女の優しさが逆に彼の無価値さを浮き彫りにする展開はロジカルかつリアルな残酷さがあります

 『フレプリ』20話で「せつな…そんな奴ここには居ない!」と言い放ったイースに対し安堵の表情を浮かべるラブちゃんが頭に浮かんできます。あの時も今回のバッタモンダー同様、イースが一瞬虚を突かれた様な表情を浮かべたように記憶しています。


>オトナプリキュア雑感

 ・夢に理解のある彼氏で何より…ですが、場合によっては数年スパンの遠距離恋愛って現実には厳しいですよねぇ(苦笑)。
 ・満を持しての満薫が登場で大満足w、しかも大空の樹を臨む空き地という最高の舞台装置の下で。         
 ・尺の都合&中の人(チョッピの中の人は既に故人)的な都合なんでしょうが、フラチョピ全スルーはちと淋しかった。
 ・タイムフラワーの花弁が一枚落ちる演出が何とも言えず不穏…。

>道徳やマナー、教育がサービスとその対価に置き換わる

 『ヤバい経済学』でしたっけ、確か幼稚園のお迎えが遅れた保護者から罰金を取ることにしたら、罰金を払ういいだろとお迎えを遅らせる親が急増したエピソードがありましたね。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top