争いは同レベルの人間同士にしか発生しない
今作2度目になるでしょうか?「お前に俺の気持ちは分からない」→「考えてみたら意外と分かる気持ちだった」の流れは。
ラスボス候補のカイゼリンさんも小物臭出してるし、対決したらこの人も「お前に私の気持ちは分からない!」とか言いそうw
バッタモンダーを見てると、素直に助けを呼べない人の方が助かる見込みがあるのかも知れない…などと少し思います。
バッタモンダーはまだ他者を意識している分、社会性が残っているという考え方ができるかも知れません。しかし、これがダルイゼンやレッドみたいになり振り構わず助けを求める様な連中だった場合、徹底して自分の事しか考えていないと考えられるし、なり振り構わない上に自分の事しか考えないとなると、何をしでかすか分からない恐ろしさがある様な気がしました。
何か禅問答みたいなややこしい話ですけどね…(苦笑)
みんな、ソラの「助けてましろさん…」くらい拗れてなければ楽なんですけどねぇ…
>紋田のベレー帽
ましろに会う時は欠かさず被っていたのが今回は被らず。突然のエンカウントだったからもあるでしょうが、ましろに対する仮面が剥がれてきた演出の様にも思えました。
>社会の価値基準から外れた自分がいる
>社会的に認められた価値どおりに活躍できていれば自分で価値を決める必要はない
>その価値と自分の価値観がしっくり合わないということもある
最近完結したヴァンガードってTCGアニメにもそういうキャラいたなぁ…
序盤から登場していた最高学府の首席医大生が、封印していたTCG愛を解き放ったばかりに、闇堕ちしたり大学辞めたりフリーターになったりギャグキャラになったりした挙げ句、住所職業不定のカードゲーマーになって、そんな自分を確固として肯定する…そこに至るまでに最終回直前まで時間掛かってたんですよねww
>オトナプリキュア
>大人の責任とは
水上悟志先生の作品でも見掛けるけど、「大人は格好付けたがる」って事だと思います。それに加えて自分の限界も把握し始めて、そのジレンマからイチ・ゼロ思考に陥ってしまうのではないかと。
「理想と現実の相剋」なんて言うと若者の特権みたいに思ってましたが、大人は大人の理想と現実があるんですねぇ…この擦り合わせは死ぬまで続いて行くのかも知れませんね。
>咲と舞
イケイケの咲に対して、舞は消極的だった気がします。故に咲は舞を引き上げ、舞は咲を持ち上げる様な関係なのかも知れません。
だからお互いに相手に対する評価が本人より高め。その結果、舞は自分は身軽になりながらも「咲は重くても進んで行ける」と無茶振り…もとい檄を飛ばす事ができたのかな〜と思ったりもしました。
>道徳やマナー、教育がサービスとその対価に置き換わる
>でもそんなに対価も払ってない
SNSやってると、偶にTLに子持ちの人の投稿が流れて来たりもするんですが、最近その中で成る程と思ったのが「学校側が守るのは生徒個人ではなく生徒が所属する組織。故に親は子供に組織より自分の身を守る方法を教えねばならない。」という考え方でした。
そういう棲み分けをした上で対価を払っているとすれば、「安くても良いじゃん」と親は考えるかも知れませんね。
>インターネットの発言
「ネチケット」という言葉も聞かなくなって久しい気がします。
僕もここの掲示板に流れ着く前から、方々で問題発言をしたり、そのお叱りを受けたりして来ました。
叱られた事全てに納得している訳ではありませんが、その都度考えたり反省したりしてネットでのコミュ力を鍛えて来たつもりです。
でも、今の若い人達はどうやってネットでのコミュ力を鍛えてるんだろう?と疑問に思い始めたんですよね。
叱られてもブロックされても「どうせ相手は自分の事を考えてる訳ではないのだから、気に病んだり反省したりするより自分もブロックして身を守る方が正しい。」という風潮も見掛けますし、それでは今の自分に都合の良いクラスターでしか生きて行けないし、そうではない相手とどう関われば良いのか分からないままではないのか?と心配になります。
>フリーレン
適宜過去の冒険のエピソードが入りまくるの、「異世界おじさん」みを感じるw