著者が若者から学ぼうとしない姿勢
>下流志向(内田樹)
ん~~~~~? ん~~~~~~~~(苦笑)って感じだったなぁw
理解度が浅いっていうか、全般的に「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」感。
特にニート論が酷い。この当時(出版は2007年)の還暦前のおっさんではその程度がせいぜいかもしれないけど、ニート支援してる人が読んだら奮発もの。著者によれば選択的に働かない、働かないことに積極的な価値づけを行っている的な論調だけど、なわけないだろ。
日本の教育システムと就職が一直線だからだよ。小学校、中学校、高校、大学、そのどこかの時点で躓いた子の受け皿がない。80年代90年代だとフリースクールはあまり知名度が無かったし。就職も新卒一括採用が基本だから「お祈りメール(当時はお祈り葉書か?)」を何十通ももらったら普通は自信もやる気も失う。バイトで食いつないでも履歴書に空白欄が出来たらより採用されにくくなる。レールから外れると復帰が難しいし、(それでも仕事を選ばなければ就職はできるかもしれないが)それと折り合いが付けられない人だって出てくるだろうさ。好き好んで無職は最強!って言う奴なんかいね……(あ、俺は言うな)
その一括採用だって廃止したら欧米みたいに中途採用を巡って経験者や熟練者との競合になるんだから一概に否定されるものでもない。つまりこの著者は社会システムを理解してない。そのくせ決めつけで言ってるんだから大したもんだよ。
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去年、ある国立大学で集中講義をしたときに、その大学の新聞部の学生からインタビューを受けたことがあります。その学生が発した最初の質問が「現代思想を学ぶことの意味は何ですか?」というものでした。
その問いを発した学生は、もし僕がこの問いに説得力のある回答をしたらそれを学んでもよいが、僕の答えに納得できなければ「学ばない」と宣言しているわけです。つまり、ある学術分野が学ぶに値するか否かの決定権は自分に属しているということを、問いを通じて表明しているのです。僕はこの傲慢さと無知にほとんど感動しました。
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著者の傲慢さと無知に感動するのはこっちだよ。
どういう調子と文脈でインタビューされたのか知らんけどさ、答えればいいだろ、それが仕事なんだから。俺だって「なんで毎週プリキュアの感想書いてるんですか、それってどんな意味があるんですか?」って聞かれたら答えるよ。普通に考えれば現代思想の位置付けとかアプローチがどんなものか、その視点を通じて何が見えるのかとか知りたかったんじゃないの? 別に品定めする気なんてなくて。それともそう言われたのかよ。読んでてマジでキツかった。
昔の子どもは家事労働を通じてアイデンティティとか自己効力感(承認)を得ていた、という話は割合頷けるけど、じゃあ現代の子どもが金で買えるから物事を消費的に捉える、というのはやや行き過ぎな感があるなぁ。著者はそれが幼少期から形成されるって語ってるけど、私が子どもの頃振り返ってもお金で買えるのは「お金で買えるよね」ってくらいの認識だったぞ。そもそも子どもはお金を持ってない。持ってるのは親。親にねだって買ってもらうし、買ってもらえないこともある。それで消費体質が身につくかって言われたら「ん~~~?」って感じ。消費論を是とするならまず子どもは親に従う(親のご機嫌を取って買ってもらう、親の影響を強く受ける)って理屈にならんか?
著者が統計データを一切出さず体感論でしか書いてないから比較もクソもないんだけど、進学率の向上とかでバカでも高校や大学行くようになったし、大学生の頭の良さが薄まるのは当然じゃないかって気はするんだよね。私の父親は団塊の世代で中卒だけど、当時で高校進学率は6割強。9割を超えるのは75年以降。つまりこの辺からバカでもなんでも高校行くようになった。本来なら進学せずに就職するのが妥当なアホすら進学してるんだからそりゃ統計上は勉強時間やらなんやら下がってもおかしくはない。進学率がほぼ横ばいになった以降で比較するならわかるけど。
小学生が授業聞かないってのはどっちかってーと親とかの教育や家庭環境因、あとは先生のハロー効果(先生の言うことは絶対聞く)が薄まってるとか、社会構造(共働き世帯の増加とかね)について考察する必要があると思うな。この著者は微塵にもやってないけど。
著者が言っている若者って年代的に私とあまり変わらないはずなんだけど、著者の言ってることに全く共感を覚えないんだよね。学校に行くのが当たり前。システム化された(オートメーション化された)環境だからこそ、そのありがたみや意義を感じにくくなって勉強に興味がなくなるとか、詰め込み教育の否定やゆとり教育の採用とか色々あった時代だから切り取り方でなんとでも言えるかなぁ。ちなみに週休二日制(最初は隔週だった)が採用されだしたの私の世代だね。