実は○んでませんでしたオチ
いや〜私もすっかり騙されましたわw。つまりカイゼリンに「力がすべて」であることを改めて自覚させ、また愛する者を奪われたことによる憤怒からの覚醒を促すため、教育係として一世一代の「敵を欺くにはまず味方から」を文字通り実践したってことか。
…と書くと聞こえはいいんですが、何のかんの言っても結局スキアヘッドは自らの信念のために、主君とその娘とを手に掛けるクーデターを敢行したとも言える訳ですからねぇ…これは同情の余地無しですわ。
さて、これで遂に舞台と役者は揃いました。来週こそはいよいよ「ヒーローの出番です!」ですねww。
>わんだふるぷりきゅあ
動物由来のプリキュアが主人公で、飼い主がサブってことでいいんでしょうか?加えてプリキュアシリーズ初の平仮名表記からすると視聴ターゲットをより低年齢層にシフトさせてきたのかなぁという印象ですね。その割に脚本は近年複雑化していっているように思えますが。
>岡本亮輔『創造論者vs.無神論者』
漸く読めました。個人的にはスコープス裁判の顛末より、その後のリチャード・ドーキンスやアリスター・マクグラスら「ビッグネーム」同士のガチンコ勝負の経過や裏話の方が面白かったですね。しかしまぁ両陣営に共通して(無神論サイドに肩入れ気味な著者の岡本氏も含め)私が抱いた感慨としては「何で皆揃いも揃って他人の信念(信仰)に口出しして、自身の信念(信仰)に同調して欲しがるのかなぁ」の一言に尽きますね(苦笑)。要らぬお節介というか何というか、周囲に実害を及ぼさないのであれば別に放置しておけば良いんじゃね?とシゾイド気質の私はどうしても思ってしまいます。以前この板でも引用した以下の文章(↓)が、改めて思い起こされますね。
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小室:つまり宗教的自由というのは、一神教における契約という考え方があって、初めて具体的内容を持つわけでしょ。だから違う神との契約を結んだものは許すべからざる者である。ただちにぶち○して当然だとなる。また、同じ神と契約を結んだものでも、契約の解釈が違った場合も同様である。だから異教、異端というのは自由に○していい。…… これが宗教というものの本来の姿なのですが、この前提のうえに、それでも異教、異端を許そうという寛容の精神が出てくる。これが、近代国家における宗教の自由でしょう。そこが近代国家のものすごい緊張のある点でして、すなわち内面と外面を峻別して内面は問わない。内面はおまえ、悪魔であってもよろしいと。しかし外面的なものだけ、つまりフォーマルな国家秩序さえ守れば、その限りにおいて何らわけへだてなくつきあいましょうと、それが宗教的自由の内容なんです。
(小室直樹・山本七平『日本教の社会学』p.50~51より引用)