これからの世界は人口増加著しいアジア&アフリカに面したインド洋を中心に展開しそう
御大のプレゼンから、数年前に前の板で紹介したケネス・ポメランツ『大分岐』を思い出しましたね~。
>参考文献みたらその本
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%88%E5%BC%B1%E8%80%85%E3%80%89%E3%81%AE%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%81%AE%E5%AE%9F%E6%85%8B%E3%81%A8%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%A7%A9%E5%BA%8F%E3%81%AE%E5%89%B5%E9%80%A0-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BBC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4120053733/ref=sr_1_1?adgrpid=119754493351&dib=eyJ2IjoiMSJ9.PkVWKbzlNxmdutkZ32N2GtfSEnuYSpwsD-_V6j14Yzo.XEW5U0Ex_fgGv6tO9dzhkAuFaeh4UJpsUs7Y-T3srTk&dib_tag=se&hvadid=679064934653&hvdev=c&hvqmt=e&hvtargid=kwd-1147905132676&hydadcr=16035_13711645&jp-ad-ap=0&keywords=%E5%BC%B1%E8%80%85%E3%81%AE%E5%B8%9D%E5%9B%BD&qid=1709525051&sr=8-1
幸いにも偶々最寄りの図書館にあり、先ほど読了しました(↑)。添付された動画も視聴しましたが、同じ動画サイト(ゆっくりモンド2)内の関連動画の方が本書の内容をより要領良く纏めているなという印象でした(↓)。動画の中の人は以前この板で話題になった禁酒法の動画のうp主でもあるんですね。
◆◆◆
… ヨーロッパ諸国が1500年以降に非ヨーロッパ諸国に対して軍事的優位に立ち、それが西洋の勃興をもたらしたという理解は、歴史学だけでなく国際関係論の分野でも根強く残っている。…… [本書]『〈弱者〉の帝国』は、歴史学と国際関係論を横断する学際的な視点からこうした見解に異を唱え、通説的理解を批判する論争の書である。…… [アステカ王国およびインカ帝国征服などの]少数の有名な勝利を根拠としてヨーロッパの全般的な軍事的優位が存在したとされているが、こうした勝利は例外的な事例に過ぎない。ヨーロッパの外の政体と衝突した際には、ヨーロッパ人は往々にして敗北を喫することになった。[明やムガル帝国など]より強大なアジアの諸帝国に対しては、恭順や服従という姿勢をとるのが一般的であった。ヨーロッパ人はほとんど常に現地人の支援者や同盟者を必要としたし、ヨーロッパにおいてさえ18世紀まで非ヨーロッパ人に対して軍事的優位に立っていなかった。
しかし、ヨーロッパ人の勢力圏が徐々に拡大したことは事実である。著者は、このヨーロッパ拡大は決してヨーロッパ人による支配や征服と同義ではないと指摘する。海洋における拠点や権益を追求するヨーロッパ人と、陸上の領土と人の支配を重視する現地政体との間には相補的な選択の一致があり、荒削りな共存が可能となったのである。…… 著者は18世紀半ば以降の産業革命を経て西洋と東洋の勢力バランスが大きく変化した(それ以前は両者の経済発展の度合いに大きな差はなかった)という「大分岐」[byケネス・ポメランツ]論の立場をとるが、同時に西洋の軍事的優位は長期的にみれば一時的なものだと指摘する。脱植民地化と対反乱戦争を経た21世紀の視点からすれば、現在形をとりつつある多極的なグローバル国際秩序は過去の歴史的実態への回帰に過ぎない、という主張である。(本書p.233~4・訳者あとがき より引用 )
◆◆◆
世界人口の6割強がアジア圏に暮らしており、(陰りが見えつつあるとはいえ)中国経済の躍進、その中国を追い抜いて今や世界最大の人口を擁するインドという現状から見れば、これまでの西欧中心の歴史観は改められて然るべきだ、むしろ「中国とインドが21世紀で最強の大国になるとすれば、それは多くの点で1700年頃に存在した状況への回帰を意味するだろう(p.197)」という著者の問題意識は、ポメランツが2000年に上梓した『大分岐』の叙述(=西洋は豊富な石炭と新大陸発見という幸運に恵まれて偶々東洋より発展しただけ)より更に一歩踏み込んだ感があります。2019年に出版された本書は、それだけ西欧諸国の将来的「凋落」が、西欧人自身に取っても無視出来るものでは無くなってきたという一つの証左でもあるのでしょうね。逆に言えばそういう甚だ身内に対するプライドが傷つく「現実」を突き付けられない限り、人はものの見方を改めることは無いとも言えるかもしれませんが。
同じ事象は本邦についても当てはまるように思います。日本のGDP(GNP評価時代を含む)が世界第2位だった期間は高々40年ちょっと(1968~2011)で、海外の土地やらゴッホの絵画やらを買い漁り世界中から顰蹙を買いまくっていたバブル経済期となると足掛け7年(1985~1991)程度に過ぎないのにも拘わらず、これが「日本の本来の姿」だと捉えている人が何と多い事か(GDP世界第四位に“転落”とかね)。そもそもこの時期が日本の歴史的には「異常」だったのだと受け留める人達が、(いわゆる「日本スゴイ」系の番組も下火になって)漸く最近になってチラホラ出て来たように個人的には感じていますね。
>イギリス東インド会社は別に最初からインドを支配しようとしていたわけじゃない
前述の話題にも関連しますが、私達はついつい結果から逆算して歴史を偏って評価してしまいますからねぇ。それが嵩じると以下のように「明らかな誤解」である陰謀論にも接続してしまう訳ですが(↓):
◆◆◆
南京虐殺事件の犠牲者数の検証などの昭和史研究で著名な秦郁彦氏によれば、陰謀論は以下の特徴を有するという。
①「因果関係の単純明快すぎる説明」:ある出来事が起こった時、実際には複数の要因があるのに、一要因に単純化して説明する。
②「論理の飛躍」:状況証拠しかないのに、自分の思いだけで「きっとこうするだろう」、「こうであったにちがいない」など憶測や想像で話を作っていく。
③「結果から逆行して原因を引きだす」:「事件によって最大の利益を得た者が真犯人である」というテクニックは陰謀の犯人を捜す上でそれなりに有効である。だが、やり過ぎると珍妙な陰謀論になる。
――
(③について)…後世の人間は結果を知っているから、「勝者は明確な目標を設定しており、その目標を実現するために全てを計算しており、事前に立てた作戦通りに行動していたにちがいない!」と考えがちである。……しかし、当時を生きていた人は未来を知らないので、試行錯誤するのが普通である。
(呉座勇一『陰謀の日本中世史』p,309~314より抜粋引用)。
◆◆◆
陰謀論から話を戻して…「結果から逆算して歴史を偏って評価」と言えば、今回勉強になったのは先の動画で言うと23分17秒からの「(安価な)香辛料獲得という“経済的動機”ゆえに、ポルトガルは勇んでインド航路発見に乗り出した(←実際に公立中学校採択の歴史教科書にもそう書かれている)…というのは結果論に過ぎず、、ポルトガルの海外遠征の本来の目的はあくまで新規領土獲得だった。」ですね。改めて調べてみると「インド航路の発見者」ヴァスコ=ダ=ガマが率いた人員168名(船3隻・1497年)に対して、1578年の「アルカセル・キビールの戦い」の際、時のポルトガル国王セバスティアン一世は北アフリカ征服を目標に、自ら陣頭指揮を取り国家歳入の半分を費やして約2万人の軍隊を投入したみたいです(結果大敗北を喫し、国王および貴族の大半は戦死、王位継承者不在のためポルトガルは以後約60年間スペイン国王の支配下に置かれる)。確かに動画の言わんとする通り「会社のメイン事業が大コケして、日陰の部署がなけなしの人員と予算とで細々とやっていたスタートアップ事業が偶々大成功した結果、会社の「正史」には後者の記述だけが残ることとなった。」という比喩がピッタリ当て嵌まるように思えます。
>今週のプリキュア
今シリーズのプリキュアは少子化ゆえに、制作者としてはやりたくてもやれない「姉妹プリキュア」の代替なのかなと思っていましたが、ひょっとしたら今後それぞれ「元の飼い主」は「育児放棄をした生みの親」、「現飼い主のいろは」は「愛情深い里親」のメタファーとしても描かれていくのかもしれないですね。