MENU

スレッドNo.331

徹頭徹尾「ユキを守りたい」だけで変身したんですね。

 前シリーズの「みんなのヒーロー」を志向して変身したソラとは本当に真逆だなぁ(苦笑)。それはそれとして「怖くない、怖くない」という口上は何かイイな、何ともまゆらしいというか。

 
>踏み出そうとするまゆと、それを止めようとするユキの対比がプリキュアでは珍しい
>まゆは自分の怖がりを自分である程度克服する必要があり、またユキもそう努力するまゆを見守る努力が必要になる

 暫くの間は「まゆ離れ」に向けて“過保護を自覚したママ”ユキの葛藤が描かれるんでしょうか…。過去作には無かった(はずの)視点なので、今後の期待が高まりますね。


>創作がセラピーになっている人って結構いるっぽい

 まぁ、そういった動機で執筆された創作が名作文学になるのがそもそも稀有な事例でしょうから、目立たないだけなんでしょうね。創作ではありませんが、「文章として残し形にする」という点では心理セラピーの一つである「日記療法」を思い出します(↓)。

 https://www.ginzataimei.com/knowledge/%e6%97%a5%e8%a8%98%e7%99%82%e6%b3%95/

 あと以前紹介した記事内で、作家の桜庭一樹氏が「サリンジャーの戦争体験が反映されていることを念頭に置くと『ライ麦畑でつかまえて』の末尾のセンテンスの意味が全く違って感じられる」とあるのは何を指して言っているのかなぁと思ってラスト周辺だけ読み返してみると、サリンジャーは主人公ホールデンの口を借りて「これまで長々と問わず語りを続けてきたけれど、思い出話なんかするもんじゃない、話に出した連中が自分の周りに居ないのが寂しくて、物足りなくなって来るから。」なる主旨のセリフを言わせているんですね。これまでは何とも拍子抜けするラストだなぁと思ってスルーしていたんですが…あぁそうか、「話に出した連中(のモデル達)」は、気のいい奴もムカつく奴も揃って既に戦死しこの世に居ないことが含意されていたのか。「膝から崩れ落ちる」ほどではありませんが、私も何かしらしみじみとした気持ちにさせられました。


>相対性理論でも自由意思が否定されてて草

 前にもこの板でプレゼンしたように、元来相対性理論自体が、自由意志を否定するスピノザを信奉していたアインシュタインが唱えたものですから、そういう結論になるのも不思議じゃないなって印象は受けますね。この究極の決定論とも言える「ブロック宇宙論モデル」… きっと草葉の陰でアインシュタインも大喜びしているに違いありません(笑)。

 https://tocana.jp/2022/08/post_239739_entry.html


>デデデデ
>この作品が非常に気持ち悪くて不健全だという話

 作品は原作も映画も私は全く未見なんですけれど、その「尻拭いは彼氏が全部やってくれました」とか「彼氏作って彼氏が全部やってくれてハッピーエンド」という御大の感想から、私は『君の膵臓を食べたい』のご都合主義を更に徹底させたシロモノなのかなと思いました。これだけ御大のメンタルを苛立たせる創作というのも中々に珍しいですね(笑)。


>あすか先輩の人生相談

 映像では明確に言及されていませんが、あのひまわり畑の絵葉書は、高二生時の久美子があすかから「ほんまに困ったら、一回だけ助けたげる」との約束と共に手渡されたものなんですよね。そんな経緯もあって原作のあすかは、アニメでの素っ気ない描写とは違ってもう少し親身になって久美子の相談に耳を傾け、助言を与えています(香織と二人並んでちゃんと玄関で久美子の見送りをしていますし)。 

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top