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スレッドNo.369

長くなったので別枠で

>ロシアの専制政治
 結論から言うとわからんw とりあえず読んだ本は3冊。

①地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理(亀山陽司)
https://www.amazon.co.jp/dp/4569852750/
 元駐ロシア外交官の著者が国家間のパワー・ポリティクスを軸にロシアの歴史を解説したもの。大体10~19世紀のスパン。東欧の歴史を説明したものは少ないので新鮮。戦争に対するロシア人の意識に言及しているのも特徴で3冊の中では総括的でわかりやすい。

②ロシアの思考回路(三浦清美)
https://www.amazon.co.jp/dp/4594093191/
 主に宗教面からロシアの歴史を論じたもの。スパンは①よりも短く17世紀くらいまで。正直途中で投げた。いや細かすぎる。国民の精神性を宗教から見るのはいいんだけど、それがどう現代に反映されているのかが見えにくい。
 ①②に共通するのは約80年も続いたソ連についてほとんど触れていないこと。それだけで1冊になるだろうけど、現代との繋がりを見るならそこは欠かせない。

③ソ連史(松戸清裕)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480066381
 そこを埋める本。スターリン時代に農民死にすぎ問題。さぞかし統制していたんだろうと思いきや結構ザルだったこと、意外と共産党が国民に対して(ポーズやガス抜きはあれど)耳を傾けていたことが興味深かった。
 現在でも指導者(プーチン)が国民と討論する様子をテレビ放映するのが恒例行事らしいんだけど、ロシアではトップと国民の距離が近いことが一つの特徴になっているようですね。

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 ソ連では自由な言論などあり得ず、新聞雑誌には政権を礼賛する記事ばかりで不都合なことは一切書かれていなかったというオーウェルの『一九八四年』そのままのイメージもあるだろう。しかし、このイメージはソ連の実情に即していない。確かに時代を下るに連れて検閲が網羅的に整備され、公的なマスメディアで検閲を免れていたものはなかった。(略)それでも、少なくとも「雪どけ」以後のソ連は、人々が不満や苦情を一切口にすることができなほど雁字搦めに統制された国であったわけではなく、生活に関する不満や苦情を人々は公然と表明していた。

 ソ連の人々は、不満や困難を訴え要望を伝える手紙を、様々なレベルの政治指導者や党・ソヴェト機関、新聞雑誌の編集部へと驚くほど多く寄せている。裁判所に対してさえ多くの苦情が寄せられていた。他には要望を伝える経路がなかったためでもあるが、ソヴェト政権や指導者に対する信頼が人々に多少なりとも存在していなければ、こうしたことはなされないのではなかろうか。たとえそれが「わらにもすがる」ような一縷の望みによるものであったとしても、なんらかの成果を得る可能性は意識されているはずである。そして、政権の側にも人々の手紙や投書に応えようという意識は確かに存在したし、実際、こうした手紙や投書が政権側の対応を呼び起こすこともあった。

 これは、やや具体的には次のような関係であった。ソ連では政治・経済・社会生活のほぼあらゆる局面に公的な機関が関わったため官僚機構は肥大し、官僚主義と事務遅滞がはびこって人々の不満は高まった。このため中央の指導者は、一般大衆を鼓舞し動員することによって、中下級の様々な指導者や機関の官僚主義、汚職、腐敗、職権乱用などを暴かせようとキャンペーンを組織した。プレジネフの下でもフルシチョフの下でも、スターリンの下でもこうした取り組みはなされていた。これは、日常的に人々が自らの要望を指導部に訴える回路ともなり得たのであり、人々は、物不足やサービスの欠陥の訴え、中下級の機関や指導者に対する批判と救済の訴えなどの手紙を、地区から連邦中央に至る様々なレベルの指導者、党機関・国家機関に対して常日頃から送るようになっていた。
 政権は、人々の苦情や要望に現状の問題点を見出し、人々の不満を宥めるべく問題解決のため手を打つのが常であった。
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 上層部が責任逃れのために尻尾切りしてたって話になるかもしれないけど、一番偉い人に手紙送ったら願いが叶ったみたいな話がゴロゴロあって、それはそれで公正か?っていう点は置くとしてもトップに言えば変えてくれるかもしれないという期待感は国民の間に少なからずあったようですね。

 専制独裁の常としてやはり中央集権的、官僚機構が要だと思うんですが、これはニコライ一世の頃から始まったと①の著者は述べています

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 ニコライ(在位1825~55)にとっての国家体制は皇帝専制か、フランスの革命政府のような共和制の二者択一であり、立憲君主制のような政治体制は考慮されなかったとされる。ニコライは、社会や政治の改革の必要性は認識していたが、あくまでも専制を守りながら、行政主導の上からの改革としてなされる必要があったのである。そのため、行政機構を充実させる必要があり、官僚性が重視された。秘密警察である官房第三部を含む、皇帝直属の官房組織を強化したのもその一つである。
 また、時として皇帝権力の抵抗勢力となる貴族身分の特権的地位を弱体化させ、貴族たちも官僚として国家勤務につかせることを目指した。これにより、独立した勢力としての貴族身分をなくし、国家の維持・発展のために官僚として働く皇帝の機関に作り替えようとしたのである。
  ニコライ一世によるロシア国家の「建て直し」は、ある意味でロシアという国の本質を体現したものとなっている。自由主義的な動きに対抗するために、専制、国家主義、官僚世、ロシア・ナショナリズム、歴史重視、正教会といった要素を推し進めていったのである。
 これらの要素は、現在のロシアにもあてはまる点が多くある。つまり、現代のロシア、更に言えばロシアという国そのものを考える上でも、ニコライ一世の時代は一つの原型となるものだと考えられる。
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 こういった下地もあってソ連の強権が可能だったのだろうし、極端に権力が集中してしまうと国民としても他に選択肢がなくなり(クーデターを起こせないし、起こしても鎮圧される)、結局経済が破綻するまで走り続けるしかなくなるっていう感じでしょうかねぇ。
 本書らとは関係ないですが、中国では10年くらい前のデータで国防費よりも治安維持費の方が高くついているそうです。最近は治安維持費について公開しなくなったようですが、締め付けを強くすればするほど国家の体力が削れていくという至極当たり前の話でもありますね。

編集・削除(編集済: 2024年09月07日 13:58)

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