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スレッドNo.372

猫と一角獣の水面下での腹の探り合い

 両者の間で燻っている火種が炎上するのはもう少し先ですかねぇ…。

>『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

 私も確かに以前ほどのペースで読書出来なくなりましたが、主な理由としては ①転職して多忙になった(今までが暇過ぎた?) ②加齢のため体力が落ちた、の2点かなぁ。あと今のところ幸い私には当て嵌まりませんが、老眼が進んで手元の活字を追うのが辛くなって来たとこぼす同年配の同僚は少なからず居ますね。 
 

>現代はそれぞれジャンルが分化・派生・専門化されたこと、本→ラジオ→テレビ→ゲーム→ネットという風に選択肢が増えたことで各自が自分に都合の良い本やメディアを選んで摂取しているだけ

 そんな気がしますね。分かり易くエロで喩えると、一昔前なら水着グラビアアイドル写真目当てで『週刊プレイボーイ』を購入したとしても、ノイズとして付随してくる政権批判記事・官能小説・人生相談etc.に目を通すことで自然と「教養」と思しきものも副産物として摂取していた。しかし現代では完全にエロだけを、しかも自分の性癖に合うコンテンツのみを取捨選択して取り入れられる環境がすっかり整ってしまい、ノイズに触れる取っ掛かりとなる“フック”を得にくくなってしまった…というのはあるかもしれません。まぁこれも時代の流れだから仕方が無いのでしょうけれど。

 著者の三宅氏は「スマホを眺めているときにSNSで動画や漫画が流れて来て、つい読んでしまう(p.99)」つまり「スマホでもノイズに触れる取っ掛かりは得られる」と暗に仄めかしておられますが、実際の紙媒体上の「現物」として情報なり教養なりが目の前に鎮座しているのと、画面操作で容易く目の前から永遠に消えてしまうSNS上のサイト情報とは同列に論じられないのでは、と個人的には思いましたね。


>政権の側にも人々の手紙や投書に応えようという意識は確かに存在したし、実際、こうした手紙や投書が政権側の対応を呼び起こすこともあった

 『収容所群島』の中でもせっせと嘆願書を書く描写がちょこちょこ登場していましたね。まぁ著者ソルジェニーツィンのような「政治犯(≒何らかの理由でソ連からの出国歴がある人物(対独戦の軍人含む!)」のカテゴリーに入れられた囚人の場合はほぼ100%収容所内で握り潰されていたみたいですが(苦笑)。

 ソ連関係では以前簡単にプレゼンした書籍があったことを思い出しました(↓)。
  https://amzn.asia/d/hihaL5u

 コラム形式のため記述に纏まりがあるとは言い難く、かつ多用される手書き文字がかなり読みにくいですが(苦笑)、ソ連がどんな国だったのかのざっくりとしたイメージを摑むのには適した本かもしれません。御大紹介のプレゼン本の引用箇所に関係しそうな箇所を抜き出すとこんな感じかな(↓)

◆◆◆

 ソ連で言論の自由はもちろん制限されていました。でもそのうえであえて言うならば意外と(この「意外と」がポイントだけど)好きなことを発言できたようです。ソ連で重視された職場集会ではかなりあけすけに社会や上層部の批判ができたのだとか。絶対にしてはいけないのが共産党体制自体への批判で、そこの呼吸が大事になります。党や企業の体質を皮肉ることは大丈夫で、その辺をネタにしたコメディ映画もあるぐらい。(中略) あと場合によっては各種メディアで党、政府などの意向を受けた批判が加えられることもあります。当局から名指しで、しかも公開で批判されるなんてたまったものではないけど、でも議論を通じて党の意図を社会に伝えるという理想も一面ではあったようで…(中略) どのくらいまで好きなことを言っていいのか、というラインが政治状況で変わってくるのが厄介なところ。でも、基準がはっきりしないから空気を読んで…というのは実は現代日本でもよく経験することじゃないですか? (本書p.55「プロパガンダと検閲」より引用)

◆◆◆

 そういや『収容所群島』の末尾近くで、著者を含めた「政治犯」らが一丸となって収容所の待遇改善を求めて労役をサボタージュするエピソードが出て来ますが、あくまで当時のソ連邦の憲法の条文に則った「条件闘争」であることを強調し、決して体制(=共産党)批判に陥らないよう細心の注意を払っていたと書かれていましたっけ。


>ニコライ一世の時代は一つの原型
>立憲君主制のような政治体制は考慮されなかった

 その「1か0かのどちらかで、どっちつかずは認めない」的なデジタル思考は、いかにも聖界と俗界を一元的に統括し続けたビザンツ帝国の末裔という感じがしますねぇ(自称「第三のローマ」を名乗るだけのことはありますw)。そう考えると鎌倉・室町・江戸時代と長らく朝廷と幕府による二元支配に慣れていたこともあってなのか、明治期にいきなり共和政にシフトすることなく立憲君主政にソフトランディング出来た本邦は、世界史的にみても割と稀有な事例だったのかもしれないですね。


>今週の読書

 ① 長谷川まりる『キノトリ/カナイ 流され者のラジオ』

 やっと読了出来ました。それほど凝った文章とは思えないんですが、挿絵の助けを借りなくても物語の舞台が眼前にありありと立ち現われて来るかのような著者の描写力には感服しました。

 よくよく考えてみると、二十年前の「殺人」以外に、作中では大した事件は起こっていないんですよねぇ。いわゆる「底辺社会」の日常 ― 人々がぶつかり合うことで生じる悲喜こもごも ― がある意味淡々と綴られているだけなんですが、不思議に「読ませる」魅力を備えた作品でした。しかしまぁ、よく御大は次から次へと「掘り出しもの」を探し当てて来られるものですね、素直に感心します(笑)。


 ② R.D.ウィングフィールド『クリスマスのフロスト』
 https://amzn.asia/d/a60EPU4

 シリーズ第1作。物語の舞台は1980年代初頭のイギリスですが、濃厚な昭和臭が漂う主人公フロスト警部の性格付けが強烈過ぎますね。執筆当時は恐らくユーモラスな破天荒キャラとして許容されたことでしょうが、現代のコンプラに全くそぐわない言動の数々は読んでいて些かキツく、まさにちょっと前話題になったドラマ『不適切にもほどがある!』そのものでした(まぁ張り巡らされた伏線を全て回収している点は見事だとは思いましたが、『女神の誓い』同様如何せん長過ぎるw)。エンタメも時代と共に変遷していくことを示す好例ではありますね(なのでおススメしません(笑))。


>『Science Fictions』
>これで不正や不備がなかったら逆にすごい

 ですよねぇ、結局性善説に頼らないルール造りを如何に行うかという命題に落ち着いちゃうw。


>烏は主を選ばない
 
 異世界の住人達(八咫烏)にとって、人骨の粉末が麻薬的効能を持つ…よくこんな設定を思い付くなぁw(呆れ)。

編集・削除(編集済: 2024年09月09日 23:58)

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