映画前に雑務(読書と感想)を片付ける俺有能
>前作ラスボスが転生
意識から除外してたわw 最終回で漂白された後転生してこっちで再就職してるの草。
>「掘り出しもの」を探し当てて来る
図書館のおすすめコーナーは毎回チェックしてますね。ヤングアダルトコーナーも気が向いたら。働いてないからね、外れを引いてもなんともないぜ(苦笑)
>「一億総中流」とかいう幻想
私が生まれる前だからピンとこなかったんだけど、なるほどこう(↓)説明されると解像度が上がる。
それぞれの階層の人が自分は中流だ、将来の展望があると思えた時代の残滓というか。つまりイメージなんだよね。実際には貧乏人から金持ちまでいるし、すでに80年代から中小企業では非正規雇用も使われ始めたんだけど、それが顕在化するまでにタイムラグあったから。あと女性の労働ポストもあまりなかった(寿退社前提)んだけど、これもスルーされがちですね。
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自営農業の減少は、どこの国でもおきる。しかし日本の特徴は、農家戸数がそれほど減少せず、兼業化が進んだことだった。自民党の各政治家たちが、農村票の維持を目的として公共事業や企業誘致、農業政策を進め、兼業しながら地域にとどまることを可能にしたからだといわれる。
兼業化と「一家総出」の労働によって、1964年には農家所得のうち農外所得が農業所得を上回り、60年代半ばには農家所得が勤労者世帯所得を上回った。こうした状況を反映して、農家から他産業に就職する者の比率が50年代より低下し、65年には50%を切った。72年には、農家世帯員一人当たりの家計費も、被雇用者世帯を上回った。
そして第1章で述べたように、1970年代初頭には、三大都市圏への人口移動の勢いが止まった。石油ショック以後に期間工などの解雇が進んだ76年には、三大都市圏から地方圏への人口移動のほうが上回った。高度成長期のような急激な過疎化はみられくなり、79年には「地方の時代」という言葉が流行した。
これらの結果、1970年代後半に、日本社会は一種の安定状態になった。受験競争の激化はあったが、農業・自営業・大企業雇用者は、それぞれ均衡を保っているように見えた。地域間賃金格差や階級間年収格差は1975年ごろが最小で、全体の貧困率も低下していた。「一億総中流」や「新中間大衆」といった言葉が流行したのはこの時期で、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版されたのは1979年だった。(『日本社会のしくみ』)
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>メンタル弱すぎアーリャさん
ん~、このアニメ全体的に回りくどいな。
政近が主人公なんだろうけど、なんつーか手札を視聴者に隠したまま戦っている感がある。例えば頭脳系主人公だとデスノートのキラとかコードギアスのルルーシュとかいるけど、あいつら出たとこ勝負するじゃん。頭が良いバカっていうか。自力で答えを見つけるみたいな体当たり感があるんだけど、政近は答え知ってる感あるんだよね。相手が妹だから出方が読めるってのもあるけど。物語の語り部なのに距離感あるんだよなぁ、なんか。
その点アーリャの方が底が浅い(笑)から視聴者と距離感近いんだけど、解決役が政近になってるから今ひとつパッとしないというか、主体性がないというか。悪く言えば主人公の性能を引き出すための引き立て役になってる。そんなわけで誰を物語の主軸として見ればいいの?感がずっと続いてる。
そんな私はマーシャさん派。最終回までにマーシャさんのパンツ見せてくれたら手のひら返す。