まさかの「以下次週に続く。」
>この告白イベントはむしろいろはのためにあると言っていい
厳密には主人公ではないこともあって、いろはの成長回は無いかとばかり思っていましたが…俄然面白くなってきましたね。ただ恋愛エピソードはメイン視聴者(未就学女児)が共感できるものなのかしらん?
>中国は中国でちょっと特殊というかやっぱり歴史的背景が大きく絡んでます
>教育が平等主義だからといって、雇用までを平等(より正確には「社内において平等」)ってのはちょっと違う
成程、たった一つの事実を拡大して、全体を「分かった気になる」のは危ないというのが今回良く分かりました(苦笑)。『日本社会のしくみ』はまだ読んでいる途中ですが、いわゆる終身雇用や年功序列などの、大企業における「日本型雇用慣行」も、日本の「伝統」と言えるほどの歴史と普遍性を持つ訳では無いということを再認識させられているところです。一見地味に映りますが、各種統計データを地道に積み上げて、帰納的かつ慎重に論を紡いでいく著者のスタイルは非常に好感が持てますね。昨今は単なる思い付きだけで持論を展開する自称「社会学者」らの華やかな言説が、巷には溢れかえっているだけに。
>今週の読書
●浜本隆志『拷問と処刑の西洋史』2007新潮選書/2024改訂・講談社学術文庫
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何ともおどろおどろしいタイトルと表紙ですが、「ヨーロッパ史の光と影」を扱った至って真っ当な啓蒙書でした。極めてざっくりとではありますが、異端審問、魔女裁判、動物裁判、拷問器具および各種処刑法、処刑人という職業に纏わるトリビア(収入額や副業)などなど、一冊で「中世ヨーロッパの暗黒面」に関する概説的知識が得られるのはおトク感があります。文章も一般向けを意識していて平易で読み易いし、個人的にはおススメです。
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異端審問は、魔女狩りほど詳細な記録が残っていない。しかしこれは本来、カトリックに改宗・懺悔させることを目的としたので、刑罰としては「最初に死刑ありき」ではなかった。改宗した者は、十字架を背負う刑、贖罪、巡礼、厳格な礼拝という制裁を科せられたが、その後、社会へ積極的に迎え入れられているという側面もある。魔女狩りの場合と比較するとこの点が大きく異なり、異端審問の方が処刑率が低かったのは歴史的事実である。(本書 p.55より)
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異端審問や魔女裁判の根拠は、今日の目から見れば荒唐無稽であり、拷問も現在では無条件に非人道的な行為だと弾劾できる。しかしその視点に立つならば、残酷さの本質に迫ることが困難である。当時の人びとにとっては、問題はそれほど単純ではなかった。神は本来、人間の魂を救済する絶対的な存在であり、異端や魔女は悪魔と契約を結んで、人間を破滅させるものであった。だから裁判官や刑吏は、悪魔と結託した異端や魔女をキリスト教社会へ取り戻し、救済しなければならないと本気で考えていた。
したがって魔女狩りの関係者の多くは、悪意をもって無慈悲に残虐な行為を行っていたというより、むしろ魔女の存在を憎み、自分の職務を忠実に全うしようとしていた。裁判関係者の大部分も、敬虔なクリスチャンであり、かれらは拷問の際に被告に聖水をかけ、神が真実を啓示してくれるよう祈っている。
被告の方も、どれほどの拷問を加えられても、無実であれば神が救済してくれるはずであると固く信じ、拷問を受けながらもキリストの加護を念じていた。それゆえ異端審問や魔女裁判は、キリストの名において実施された一種の「神判」であった。この「絶対的な神」は、裁判所側と被告側の座標軸の原点にあるが、両者の信仰の食い違った「二重構造」のなかに、裁判所という権力装置の底なしの暗黒面がクローズアップされてくる。(本書 p.270~271より)
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「職務への忠勤」と「揺るがざる自己の信念」とのガチンコ勝負から生れる歴史の暗部か…まさに「地獄への道は善意で舗装されている」そのままだなぁw(溜息)。以前に話題になったガリレオ裁判も、ガリレオが素直に「自らの些細な過ち」を形の上だけでも「悔い改め」さえすれば無難に結審したはずなのに、あくまで「全面勝訴」に拘ったために事態をややこしくしてしまったことにも符合する内容ですね。
なお本書によると、拷問器具として悪名高い「鉄の処女(Iron Maiden)」は実在しなかったんだとか(↓)。忌まわしき刑罰道具の名称に信仰対象の名前を冠するのは、言われてみれば確かにおかしな話ですものね。
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中世以来、身持ちの悪い娘は、棘も頭部も無い樽に入れられ、市中でさらし者にされたが、人びとはそれを「処女のマント」あるいは「恥辱の樽」と称した。この刑は、制裁や名誉剥奪のためにドイツだけでなく広くヨーロッパ各地で行われていた。…… シルト教授は以上の調査を踏まえ、「鉄の処女」は17~18世紀に……「恥辱の樽」から生まれたもので、拷問・処刑を目的に製作されたものでないと強調している。したがって「鉄の処女」伝説は、「恥辱の樽」の風習と、異端狩りや魔女狩り、マリア信仰が融合して生成されたということになる。…… たしかに、地下の拷問室がヨーロッパ各地に存在したのは事実である。実物も残っているし、そこにたとえ「聖母マリア像」が安置されていたとしても、罪を告白させるためであれば、それじたい不自然なことではない。
しかしカトリックが「聖母マリア」をイメージした拷問具を作成することはありえない。というのもスペインの異端審問の目的は、処刑することにあったのではなく、異端にまどわされている被告をキリスト教側に復帰させることにあったからだ。スペインでは異端から回心し、懺悔をすればほとんど命は助けられている。マリア信仰の厚いカトリックが、パロディとはいえ聖母像を残酷な拷問具に用いることは、キリスト教の聖母を冒瀆することにほかならないことであった。(本書p.172~179より)
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あと今週はこれ以外にも、山田康弘『足利将軍たちの戦国乱世 ― 応仁の乱後、七代の奮闘 ― 』中公新書2023も読みました(https://amzn.asia/d/a46TIxt)。10代将軍足利義稙(よしたね)と14代将軍足利義栄(よしひで)の墓が、いずれも徳島県にあるとは知らなかったなぁw。昨今では織田信長に先んじた「天下人」と評価されることもある三好長慶(ながよし)も徳島県出身の戦国大名ですし、戦国初期は私の地元(四国)が珍しく歴史の表舞台に立った時代なので面白く読めました…とはいえ、地元のコアな歴史ファン以外の興味を惹きそうにないテーマですから今回プレゼンは割愛しますねw。
>これが"通"の選び方
仕事の疲れもあるから、わざわざ時間帯を選んで足を運ぶのは中々難しいかなw。
>これバトル要素いる?
成長を描く手段として分かり易いのはやっぱりバトル、ということなんでしょうけれど、やや取って付けた感が否めませんでしたかねぇ。個人的にはもっと稲作に特化した話が観たかったかな。他にもサクナの愛読書の作者がココロワであるとか、ゆいの正体のネタ晴らしとか、折角の各種設定が置いてきぼりを喰らったように思いました。