元飼い主が「直接飼いたくても飼うことが出来ない」設定にしたのは巧妙ですね。
元飼い主(栗原さん)からしても諦めが付くと言うか。今後いろはがこむぎ(マロン)を連れてちょくちょく老人ホーム(?)を訪問することで無事に納まりそうですし。元飼い主からしたら大切に飼ってくれさえしたら、専門業者に預けるか個人に預けるかの違いなんて些細な問題でしょうしね。
>今週の読書
● 宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』2023朝日新聞出版
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『令和元年の人生ゲーム』(←図書館の貸出し待ち)の一半期前の直木賞候補作で今年度(2024年)の高校生直木賞受賞作。Amazon評や個人ブログの感想とかをざっと見るに概ね好評なんですが、コンピューターオタクという以外にさしたる取り柄のない一般人の淡々とした半生を描いた本作は、正直私には薄味過ぎて物足りなかった。同じ著者なら『あとは野となれ大和撫子』の方がエンタメ的に見て遥かに面白かったかなぁ。
まぁ、一番私が引っ掛かったのが、作中の「エストニアの経済通信省のアドバイザー」なる人物の台詞でしたけれど(↓)。
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「この国は小さく、隣にはロシアがある。いつまた占領されるかもわからない。国を領土とするならば、領土を失ったとき、わたしたちはまた国をうしなうことになる。(略) わたしたちは国とは領土ではなくデータであると考える。だから領土をうしなっても、国と国民のデータさえあれば、いつでも、どこからでも国は再興できる」(本書p.144より)
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そうかなぁ?『日本沈没』含めた一連の作品で故・小松左京氏が生涯を掛けて取り組み続けた壮大なテーマをそんなにあっさり纏められてもねぇ、何だかなぁという気持ちにはなりますね。一言で言うと、外部の人間がAI先進国と言われる現在のエストニアから逆算して無理くり拵えたかのような物語でした(毒)。
●マーヴィン・ハリス『食と文化の謎』1988岩波書店
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ちょっと古い本ですけれど語り口がキレッキレでメチャメチャ面白かった。簡単に纏めると、文化や地域、時代によってある食材を好んで食べたりタブー視して食べなかったりするのには、それ相応の合理的理由があるんだよっていう話ですね。ただ訳者あとがきによると、理由付けを行おうとした著者のスタンスそのものが、ただあるがままの現象だけを記述しようとしていた当時の同業者(人類学者)らから大ブーイングを喰らったみたいです(唯物論者だのマルキストだのとこき下ろされたらしいですが、今や何とも時代を感じる悪口ですね)。
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一つの動物種は、それが結果として有用であるか有害であるかによって、神聖視されたり忌み嫌われたりする。ヒンドゥー教徒が食べない雌牛は、雄牛とミルクと糞をもたらしてくれる。だから神聖視される。欧米人が食べない馬は、戦場では勝利をもたらし、畑ではスキをひいてくれる。だから高貴な動物である。イスラム教徒とユダヤ人が食べないブタは、役立たずである ― スキもひかなければミルクも出さず、戦争の役にもたたない。だから忌み嫌われる。欧米人が食べない昆虫は、そういう豚よりももっと悪い。(本書p.226より)
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別に普通じゃん? 現代から見れば「どこが批判の対象になるの?」と正直思いますね。ただ出典が巻末に纏めて書いてあるだけで、過去の研究からの引用と著者自身のオリジナルな見解とがはっきり区別されてないのがマイナスポイントかな。
>じゃあアジア式の教育を評価しろよww
欧米人からすれば「意地でも評価したくなかった」んで、当時何やかやあって偶々上位に食い込んだフィンランドをこれ幸いと過大評価したように私には映りますね。そう考えるとPISAなるものも中立を装いながら割に政治的なニオイがプンプンしますよねw。
>日本人ならではの推し活と宗教との類似性
同感。日本人も(自覚が無いだけで)割に宗教的な民族なんだなぁと思いますね。佐藤優氏も仰るように「カトリックかプロテスタントか、プロテスタントでもルター派かカルヴァン派に属するかは個人の“趣味”の範疇に属する事柄」ですから。