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●郷原信郎『「単純化」という病 安部政治が日本に残したもの』朝日新書2023
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いわゆるモリ・カケ問題、「桜を見る会」問題、安倍元首相「国葬」実施問題を通じて、日本の政治に「法令順守と多数決ですべてが解決する」風潮が如何に蔓延・定着したかを問い掛ける内容です。
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森友学園問題は、地下から大量のゴミが“発見”され、その処理費用をどのように見積もるかという特殊な問題が売却価格に影響した「極めて複雑な国有地売却問題」だった。しかし、それについて国会で、最初に質問を受けた際に、安倍氏は、「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁し、「自分や妻の関与の有無」という「争点」を自ら設定し、それに「政局的位置づけ」まで与えた。それによって、この問題は、「安倍首相と明恵氏の関与の有無」に「単純化」されていくことになった。その「挑発的問題設定」を受け、野党側は「政局的追求」を行った。…… このゴミが埋まっていた国有地売却に関しては、売却価格や条件が違法・不当なものではなく、「法令順守」上問題は確認されなかった。この問題は、すべて、選挙に勝利し衆参両院で多数を占める「強大な権力者」であった安倍氏の国会答弁が招いた「単純化」によって起きた事象であった。
加計学園問題は、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論などの重要な論点が絡み合った複雑な問題だったが、野党・マスコミの追及は、総理大臣が「腹心の友」に有利な指示・意向を示したか、という点に集中し、問題は「単純化」された。一方の安倍首相や政府・与党側の対応は、国家戦略特区における獣医学部新設の手続きが「法令に基づき適切に行われた」と説明するだけに「単純化」された。そして、全く嚙み合うことのなかった議論は、最終的には、衆議院解散総選挙で、野党側が「希望の党」騒ぎで自滅し、安倍政権側が圧勝したことで、一旦収束することになった。……
本書冒頭の「はじめに」でも述べたように、安倍内閣においては、「選挙で多数の国民の支持を受けていること」を背景に、何か問題が指摘されると「法令に違反していない」と開き直り、そう言えない時には「閣議決定で法令解釈を変更した」として、すべての物事を問題ないことにして済ますやり方がまかり通った。それに加えて、「法令違反」を客観的に糺す立場の検察が、政権に忖度や配慮をするということになると、「法令順守と多数決」による「単純化」は、まさに「完結」することになるのである。(本書 p.192~199より抜粋)
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要するに郷原氏は、あくまで「勝てば官軍」を押し通す安倍首相サイドの論理に対し、野党も検察もマスコミも私を含めた一般国民も皆、売り言葉に買い言葉的な脊髄反射レベルの稚拙な批判を試みるか、あるいは「寄らば大樹の陰」とばかりに過剰なまでに迎合(忖度)していくかのどちらかを行うしか能が無かったのだと言いたいみたいですね。まぁ当時のマスコミの「空騒ぎ」振りを思い浮かべるに、確かにその指摘は分からないでもありません(苦笑)。
ただ、氏の言う「単純化」は別に第二次安倍政権から始まったことでは無く、既に2005年に「郵政民営化」の是非を問うというワンイシューのみに「単純化」して、衆議院解散から与党議席大幅増へと繋げた小泉純一郎内閣も同じようなことをやっていたと記憶していますけれども(2001年の第一次内閣成立直後なんて内閣支持率が歴代最高の85%を記録しましたしね。あとイラク戦争時の党首討論で非戦闘地域の定義について質問された際、「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」なんて“名(迷)言”も飛び出しましたっけw)。結局著者も含めて日本人は昔からおしなべて「熱し易く冷め易く忘れ易く、物事を突き詰めて考えるのが苦手」ということなんでしょう(毒)。
>集団的熱狂(ヒステリー)下では法の理念は希薄になる
>一番怖いのは人間。そこに目が向かない、向きにくいあたりが闇深い
ちょっと前に読んだ本ですが、ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』(1995発表)は、そのあたりの「人間の闇深さ」をかなり緻密に描いていたと記憶しています。https://amzn.asia/d/1zgma07 人間の尊厳をかなぐり捨てた「俄か盲人」らが獣性を剥き出しにして右往左往する物語で、そのリアリティ溢れる描写力にはある意味脱帽しますが、メンタルが弱っている時に読むのはあまりおススメしません(苦笑)。
>それでも読み切ってて偉い
いぇいぇ、どんなに不味い料理でも完食しないと食レポする資格無しと思っていますから、極力最後まで読むように心掛けています(ただ横書きだけはカンベンしてほしい…)。