有名演劇部の割には部員数が少ないな(笑)
前回同様、ギャグ回に見せ掛けて重要情報を開示してきましたね。しかし劇中クライマックスでの「こむぎのやらかし」はアドリブの一言で片付けられない気がしましたけれど。てっきり憑依型創作者狐崎女史の激怒止む無しかなと思いましたが、こむぎの率直な感想(褒め言葉)と人柄(犬柄)のお蔭もあって、後味の悪い結末にならず何よりでした。
>昔これと同じことしたんだよな~って浸ってそう
ニコ様妙にノリノリで草。もし私が同じ立場だったら苦い悔恨を伴う思い出として封印したくなるけどなぁ。
>戦闘が動く癖に退屈だった
>パイロット自身の力量や思想戦としての重みがない
真逆の事例として、映画化1作目の白黒の方の『西部戦線異状なし』(米1930年制作)のラストを思い出します。視聴したのは大分昔ですが、たった一発の銃声があれほど効果的に使われた創作物は他に類を見ないもので、今も深く心に刻まれています。
>こういう異物役の人って橋渡しになるからこそ味が出る
私も御大と同じ意見ですね。異物と言えば、ちゃんと視聴はしていないんですが、確か映画『七人の侍』の主人公もそんな立ち位置なんでしょう?村人らから是非にと請われて、襲い来る野武士達を命懸けで壊滅し村に平和が訪れるも村人らから感謝されるどころか、むしろ厄介払いされるラストだったと聞いています。あと史実だと第2次世界大戦という「非常時のみ」に英国民の支持を受けた保守党党首ウィンストン・チャーチル首相とかが思い浮かびますね(欧州戦線終結直後の1945年7月総選挙で保守党は惨敗し首相の座を追われる)。
とは言え『アイの歌声を聴かせて』は、(円盤でだったかな? 視聴したのがちょっと前なのでうろ覚えですが)名作とは言わないまでも、深く考えずに視聴したこともあってまぁそれなりに楽しめたようには記憶しています(笑)。
>日本の教育って認知科学的手法にそれなりに則って指導している
前掲の『学力喪失』にも同趣旨(↑)の取り組みは多数登場していましたね。少なくとも小学校の教育現場は総じて生徒の学力向上のために「かなり工夫を凝らし頑張っている」ように私には見受けられました(私の職場の小学生向けの塾専教材も年を追うごとにヴァリエーション豊かになってきていますしね)。いやむしろその涙ぐましい努力も今や飽和しかかっており、(「矯正」不可能な“運動音痴”と同様に)教える側がどう工夫したところで「生涯読解力を身に付けることの無い子ども達」は存在し続けるという「残酷な真実」が暴かれつつある段階なのかもしれない、というのが、塾講師の端くれとしての私の感想です。
>こっちは20年以上文章書いてて、こんなレベル
御大と比べるのも失礼な気がしますが、私も10年以上ほぼ毎週書き込んで来ましたけれど文章力が向上したとの実感は全然湧きませんね(苦笑)…少なくとも読んだ本の内容や感じたことの備忘録として書いている分には名文である必要は無いし、と言い訳しながら毎週自分を慰めています。
>『何者』
読了しました。うん、こちらは直木賞受賞(2012下半期)も頷ける納得の出来でした。主人公が「他人の人生の傍観者」であることを止めて、他人からどんなに無様に見えても「自分の人生の当事者」となることを選び取る結末は定番ながらも王道の話運びでした。まぁ御大が指摘される「今読むと登場人物の言動がアナログ的だし、ネットの使い方も下手」というのは私も同感ですが、著者の朝井リョウ氏もいわゆるZ世代という訳ではなさそうなので(1989年生まれ)こんなものかな?と思ったりはします(←お前何様)。
終盤のクライマックスの一つ、「瑞月さん」から迸る“魂の叫び”には、年甲斐も無く読んでいてちょっと胸がアツくなりました(↓)。とても社会人一年生(作品発表当時)が書いた文章とは思えないですね~。
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「最近わかったんだ。人生が線路のようなものだとしたら、自分と同じ高さで、同じ角度で、その線路を見つめてくれる人はもういないんだって」
「生きていくことって、きっと、自分の線路を一緒に見てくれる人数が変わっていくことだと思うの」
「今までは一緒に暮らす家族がいて、同じ学校に進む友達がいて、学校には先生がいて。常に、自分以外に、自分の人生を一緒に考えてくれる人がいた。…… これからは、自分を育ててくれた家族を出て、自分で新しい家族を築いていく。そうすれば、一生を共にする人ができて、また、自分の線路を一緒に見てくれる人が現れる」
「十点でもニ十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ。何度も言うよ。そうでもしないともう、見てもらえないんだよ、私たちは。百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって」
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>今週の他の読書
● 佐々淳行『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』SB新書2016
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著者は警備幕僚長時代に「東大安田講堂事件」「連合赤軍あさま山荘事件」などを手掛けたこともある生え抜きの警察官僚です。(私は未読ですが)恐らく過去の著書群のダイジェスト版という趣なので、各事件に対する掘り下げには食い足りなさが残りますが、どこかで耳にしたことのある重要事案の数々に関する概説的知識を得るには便利な新書です。立ち位置的には当然「体制側」の人間なので左翼運動に対する評価は極めて厳しいし、正直思想的に「右に寄り過ぎ」だと感じる記述も多いのですが、「嫌がらせや脅迫電話など数限りない。不気味な郵便物を金属探知機で確認するといったことも日常茶飯事だった(p.213)」文字通り修羅場をくぐってきた人ならではの気骨を感じる文章には読んでいて圧倒されます。例えば著者が東大法学部在学中のこのエピソード(↓)。
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第1章でも少し触れたように、私は暴力革命に反対し、体制内改革を目指す同志を集めて「学生研究会土曜会」を結成して、全学連に対抗する学生運動を展開していた …… 反戦・反帝国主義の左翼学生運動は、先年の朝鮮戦争によってたちまち全国に広がった。…… しかし、全学連の主張や運動方針に、私ははっきりと反対だった。東大も大混乱だった。…… 法学部学生大会で反帝・反戦・反米などを叫んで授業ボイコットによる全学ストが提案されるなど騒然とした日々が続いていた。
全学ストが提案された法学部学生大会で、私はスト反対の大演説をぶった。国民の税金で運営される国立大学の学生がストなどもってのほかである。特別奨学生として支給を受けていた私など二重に国民の世話になっている。マックス・ウェーバーが述べたように政治闘争は「価値判断」の問題だが、 大学は「認識」の場であるから学園の外でやれ。与えられた勉学のチャンスを潰すなど、自〇行為だと滔々とぶった。東大生がストライキを打ったからといって、朝鮮戦争は止まらない。そんな手段と目的の不整合についても大いに主張した。…… 私は、集団をつくって衆を恃んで威張る輩が大嫌いだ。
300対2でストは可決されたが、私は「定数不足だ」と言って猛烈に反論した。全学連の主張が理論的に支離滅裂だと論駁してやった。当時、東大法学部の学生が、支離滅裂などと言われると大変な侮辱だったから、全学連もやり直しの学生大会で決着をつけようとしたのである。仕切り直しの法学部学生大会の結果、500対300でストは否決されたのだった。
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いわば「たった二人の反乱」な訳ですが、恐らく当時のキャンパス内の一触即発たる空気感を想像するに、いつ集団リンチに遭っても全然おかしくない「命懸けの意見表明」だったのではないかと推測します。匿名を隠れ蓑に、安全圏から逆張り意見をツイートする現代の輩とはまさに雲泥の差がありますね。
● 村上信夫『帝国ホテル厨房物語 私の履歴書』日本経済新聞社2002
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少し古い本ですが、1964年の東京オリンピック時に選手村食堂の料理長として名を馳せた、帝国ホテル第11代総料理長の波乱万丈の半生を記した自叙伝です。困窮する度ごとに何かと援助の手を差し伸べてくれる人が周囲に現れるのは、(生存バイアスによる部分が多分にあるとしても)やっぱり人徳の賜物なのかもしれないなぁと読んでいて思いますね。
ちょっと面白かったエピソードを一つだけ。五年半ぶりに戦地から戻り、喜び勇んで古巣の帝国ホテルに顔を出したものの、変貌した外見とすっかり軍隊調に染まった所作のせいで、昔の恩師にも誰だか気付いてもらえなかったのですが:
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そんなある日、厨房で仕込みのために野菜を千切りにしていると、総料理長の石渡文治郎のおやじさんが飛んで来て、「やあ、おまえ、ムラじゃないか」と肩をたたく。復員直後にあいさつに行き、「どちらさまですか」と言われたが、帝国ホテルに復帰した後も何度か話す機会があったから、私のことを思い出してくれていたとばかり思っていた。だが、じつはそうではなかったのだ。
料理人が包丁で野菜を千切りに刻む音には、その人なりのリズムがあり、身についた癖は変わらない。石渡のおやじさんは千切りの音を聞いて、それが私の仕事だと分かったのだ。やっと思い出してもらえて、うれしかった。(p.107~8)
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まだまだ職人気質が幅を利かせていた終戦直後ならではの、時代を感じる挿話ですね。
>土曜深夜2時の冷凍みかん
予告を見る限り『オトナプリキュア』ほど内容が大人向けに思えませんし、2016年シリーズだから当時のメイン視聴者未就学女児の多くは成人を迎えている訳でも無いし…深夜枠で放映する必然性が無いようにも思いますけれど、どうなんでしょう?
>本来は軽微な罪状をおおごとにした上に都合の良い判決が出るように仕向けたり
>自分に有利なジャッジを下すレフリーを用意した側が勝つシステムになっちゃってる
成程ね、トランプも大概だけれど、結局バイデンにしても目クソ鼻クソってことでしょうか(毒)。この間の大統領選挙といい、日本だとどうしても民主党寄りの報道が多いから、私も知らず知らず多分に偏ったものの見方をしているような気がしますね。