これがLOVE&PEACEか…
恋愛脳のご主人の暴走が過ぎるあまり、あの武闘派のユキですら正論を吐かざるを得ない展開になっているのが何ともシュールですね。
>子ども用の学習机を買ったものの、結局ダイニングテーブルで勉強することが多い
塾生らからその話題はちょいちょい耳にしますね。そういやウチの愛娘二人にも学習机を買ってあげたけれど、学年が中学高校と進むにつれていつの間にか居間の炬燵テーブルで宿題をする(&疲れたらそのまま横になる)ようになりましたっけw(苦笑)。
>ムアツ マットレス
おぉ、これは朗報ですね!ご紹介頂き有難うございます。長年酷使続けて来た綿布団が大分くたびれて来たなと思っていたところだったので(身体を横にすると痛くて眠れない)。うーん、スタンダードモデルで妥協するか、更に奮発して20年ムアツの方にするか悩ましいところです。
>軽度知的障害者
>ちなみにIQ70~84が該当。割合でいうと人口の14%(本書p.107より)
『ケーキの切れない非行少年たち』は私も読んでいたんですが、すっかり忘れていましたね~。しかしそれにしても14%というのは中々の数字ですね。そりゃ仕事場でも「それっぽい塾生(や保護者)」に頻繁に出くわす筈だわと妙に納得しました。
>つまるところ運や適性、環境、メンタル(くじけぬ心)を含めた総合力が試される
戦時中は陸軍部隊の一砲手として中国大陸で前線勤務、戦後も暫くの間はシベリア抑留の憂き目に遭うなど尋常に非ざる苦労をされている筈なのに、村上信夫氏の著書からは悲壮感とか自己憐憫とかの負の感情が全く読み取れないのは凄いなぁと読んでいて素直に思いましたね。戦後もパワハラ気味の上司の無茶振りに困惑しつつも難度の高い要求に見事に応えておられましたし、私には到底真似出来ません(苦笑)。
>そういう交渉術を自然に行える人なんかも現実的には強い
そういや学生時代所属していたサークルの先輩(男)に「海外旅行は現地語で三つのフレーズが言えれば無問題。その三つとは「もうかりまっか」・「これなんぼ」・「まけてや~」だ。」と豪語&実践されていたコテコテの大阪人の方がいらっしゃいましたね。関西では割と珍しく無いタイプなのかもしれませんが、当時の私には衝撃的でした。
>今週の読書
●魚川祐司『仏教思想のゼロポイント ―「悟り」とは何か ―』新潮社2015
https://amzn.asia/d/g7goqSH
◆◆◆
さて、ここで本章冒頭の問題に戻ろう。ゴータマ・ブッダの教えは、現代日本人である私たちにとっても、「人間として正しく生きる道」であり得るのかどうか、ということである。結論から言えば、そのように彼の教えを解釈することは難しい。何度も繰り返し述べているように、ゴータマ・ブッダの教説は、その目的を達成しようとする者に「労働と生殖の放棄」を要求するものである……要するにゴータマ・ブッダは、修行者たちに対して「異性とは目を合わせないニートになれ」と求めている……したがって、ゴータマ・ブッダの仏教は、私たち現代日本人が通常の意識において考えるような「人間として正しく生きる道」を説くものではなく、むしろそのような観念の前提となっている、「人間」とか「正しい」とかいう物語を、破壊してしまう作用をもつものなのである。
このことは、仏教を理解する上で「絶対ごまかしてはならないこと」であり、またこのことを明示的に踏まえておくことなくしては、ゴータマ・ブッダの仏教のみならず、「大乗」を含めたその後の仏教史の展開についても、その思想の構造を適切に把握することはできないと、私は考える。(本書 p.35~37より抜粋)
◆◆◆
開祖のゴータマ・ブッダ(釈迦)が目指していたものの要諦をコンパクトに纏めた本という印象ですね。あの辛口で知られる曹洞宗僧侶の南直哉氏ですら「(物申したい部分もあるが)仏教概論の教科書としてはとてもよく出来ている」と評しておられるだけのことはあって、仏教関連の本としては私にとって格段に読みやすい本でした。
因みに、私個人は釈迦の事を、いわば“六道輪廻脱出ゲーム”なるものを歴史上初めて攻略(=解脱)した人として捉えています。その後も釈迦同様にゲームを攻略しニルヴァーナ(涅槃)に入った(あるいは入ったと主張する)人々が生まれ続け、そんな彼らが後に続く者達の手引きとして書いた「攻略マニュアル」の数々が、つまり膨大な仏典を指すのだとも常々考えていましたが…この本を読む限り、その見方も強ち間違っていなかったようでホッとしました。とは言え南氏も指摘されるように、この本でも「悟り」・「解脱」・「涅槃」が何なのかについて明瞭に記されはしないのですが(苦笑)。
◆◆◆
「リンゴが赤い」というその「赤さ」が、横にいる人が認知しているのと同じ「赤さ」(クオリア)であると「客観的に証明」する手段がないように、基本的には「主観」の枠内で起こる出来事である「悟り」の経験を、他者に明晰判明な形で公開する手段はいまのところないし、それがゴータマ・ブッダの経験と「同じ」であったという「客観的な証明」はなお不可能である。そしてまた、かりにそのような経験が存在したとしても、それをテーラワーダ(上座部)の教理がそう説くように、涅槃という対象を心が認識する経験であると解釈することが正しいかどうかも、また別の問題だ。(同 p.156)
◆◆◆
結局は「(攻略しましたと)言ったモン勝ち」なのかもしれないですね(毒)。
>次シリーズ
うらら&まこぴー&ユニ(マオ)がアップを始めたようですw。