こむぎ「それって、私達と一緒だね!」← 全くブレないなぁw
犬としての本能のままに…というと言い過ぎなのかもしれませんが、葛藤とか後悔とか別離の悲しみとかの「後ろ向きな感情」とは全く無縁の主人公というのを作劇的に徹底させていますね。
>今作はむしろラスボス側にどん詰まり感が出ちゃっているのでスケール感は小さい
>本当に個人の復讐
付け加えるなら、ガオウの射程は「今更動物たちと仲良くしている人間ども(アニマルタウンの人びと)が許せない」という極めてローカルな規模に留まっているように見受けられますから、舞台的にも(鏡石神社なる土俗の神々を祀る存在からして)せいぜい一地方自治体レベルのスケール感しか持ち合わせていないですよね。まぁ次年度のシリーズのキャラ造形を見てもメイン視聴者の低年齢化が更に進んでいるような気がしますので、初代無印&MHの「絶望と希望の戦い」みたいに抽象度を上げても未就学女児が付いて来れないだろう…という制作者側の配慮もあるようにも思います。
>八咫烏シリーズ
>展開ありきでやるからキャラの感情めちゃくちゃ
ご指摘の通りかと思います。以前のプレゼンでも記しましたが、この作者は毎回新作を出すごとに(ほぼ年間一冊のペース)、キャラ造形の一貫性や物語設定の整合性などを度外視してでも「兎に角読者の予想を裏切る展開をしてナンボ」を至上命題に据えて創作している節があるように見受けられますね。要するにリアルタイムで読者の感情を(良くも悪くも)掻き立てることが出来ればそれでいい。譬えていうなら毎回聞かせどころを盛り上げつつ、続きが気になって仕方が無いラストで締めくくるタイプの連続ドラマみたいなものではないかと私は思っています。
従って年一冊ペースで読む分にはいいのですが、御大や(数年前の私のように)一気に纏め読みすると忽ちアラが目立って見えるのでしょうね。その言わば「紙芝居的構成」をどう評価するかで好き嫌いの分かれるシリーズなのではないかと考えます。因みに私は御大ほどの辛口評価ではなく、図書館で借りて読めるのであれば今後も読み続けてもいいかな、ぐらいの思い入れならあります(←それは褒め言葉なのかw?)。
あと御大が指摘された欠点以外に加えるなら、そうですねぇ…確かシリーズ第一部五作目の『玉依姫』で「「山内」なる異世界は人間(=ムラ社会の因習塗れの住人)の信仰心によって支えられているため、その人間が居なくなった時点で「山内」も滅ぶ(だったかな?)。」という物語背景が明かされていたかと思うんですが、それを読んだ時に、あぁこれ『まどマギ』とか海外アニメの『RWBY』とかと同様、物語の世界観的に既に“展開が詰んで”しもうとるわ、と感じて何か気持ちが醒めちゃいましたね。まぁ最近は新作の度毎に追加されたり深堀りされたりする「ゲストキャラ」が楽しみで読んでいるようなものです(この人一話限定のゲストキャラを書くのは本当に上手いんだよなぁw)。
>この作者王道が書けないんだろうな
「書けない」以上に「書く機会に恵まれていない」んだろうと思います。そもそも『玉依姫』がアマチュア時代の作品をリライトしたものだったはずですし。それが商業デビュー以後も尾を引いて、結局纏まった作品としてはこの八咫烏ものしか書いてないみたいですから。
>年末年始に読んだ本のレビュー
●森山優『日米開戦と情報戦』講談社現代新書2016
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『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』の人。半藤一利『昭和史』シリーズとかだと如何に日本サイドがアホだったかが自虐的・揶揄的に語られるのみですが、本書からは英米のインテリジェンス活動も大概酷かったことがよく分かる一冊です。
戦前戦中を通して日本の暗号が英米にほぼ筒抜けだったため、そのため日本は情報戦で常に後手後手に回ったため戦争に負けた…という言説を巷間よく耳にしますが、著者によるとどうもそんなに単純な話ではないらしい。少なくとも開戦間際は日本側でも米英の機密文書の暗号解読に成功していたりもしているし(保存が前提とされなかったので全体像は不明)、また米英による日本発文書の解読精度にしても割とお粗末なものだったのだとか。誤訳のみならず途中の文章が丸々一段落分欠落したため全体としての文書の意味合いが変わってしまっていたり、仮に全文を正確に解読出来ていたとしても、例えば海軍が軍事予算獲得のため陸軍向けのポーズとして勇壮な文言を使っていたりする「お役所的作文」を字義通りに解釈して一方的に「日本恐るべし」と態度を硬化させてみたり、要するに歴史的には、日米英サイド全てが誤解に誤解を重ねた情報戦を行っていたことを窺わせる経過を辿っています。
本来であればその「解読文書の膨大な生データ」を精査して情報の確度を判別し「政策担当者に投げる」までがインテリジェンスに携わる「プロのお仕事」の領分の筈なのですが、いよいよ日米開戦が現実味を帯びて来るにつれ、米の陸海軍長官らが揃って精査前の「暗号解読文書」を直に読んで、「見たいものだけを見て」短絡的に政策決定を行っていた事例も出てくるようになります(なお英国の方が(日英同盟以来の長い付き合いのせいか)、米国よりも当時の日本人の「玉虫色的な国策文書」の“行間を読み取る”ことに多少は長けていたみたいですねw)。
で、結局著者の「太平洋戦争開戦直前の日英米の情報戦(スパイ活動・暗号解読・公開情報)」に対する総括は以下の通り(↓)。
◆◆◆
開戦前、日英米はそれぞれ情報収集に狂奔した。そのなかには現在の観点からはその後に起こる出来事を予測できたと思われる情報も含まれていた。となると、彼らは情報を活かすことができなかったのだろうか。
問題を単純化するよりも、南部仏印進駐が戦争を招くと断言した人物のことを想起してみよう。幣原[喜重郎元外相・1945年首相。外相時代は国際協調主義(いわゆる幣原外交)を推進]である。彼は、日英米の政策担当者とは異なり、情報源はオープンソースだけだったはずだ。そして、彼が拠って立っていたのは、長年にわたって彼が外交官として培った常識だけであった。その彼がアメリカの「結果的な」出方を正確に予想し、英米の外交電報を熟読したはずの軍人や官僚は失敗した。
米英ではどうだろう。グルー駐日アメリカ大使とクレイギー駐日イギリス大使は、いずれも日本の政治文化を深く理解して日本の穏健勢力に期待し、本国の過激な行動に対して警告しつづけた。そして、彼らも幣原と同様MagicやBJのような暗号解読情報からは遠ざけられていたのである。しかし、本国は彼らの意見をくみ取ることはなかった。出先が持っていない暗号解読情報で日本の「本心」を熟知していると信じた英米の政策担当者は、強硬論に傾斜して日本の暴発を招いたのである。
つまり、最高機密である暗号解読情報に接した者たちは誤り、接することができなかった者たちが正しい判断をしたことになる。このことは、インテリジェンスの利用と情勢判断に何が必要かを、あらためて問いかけている象徴的な事例と言えよう。
以上、情報戦の観点も入れながら、南部仏印進駐そして日米開戦を検討してきた。当時の状況をあらためてフォローしてみると、日本のみならず、イギリス、そしてアメリカ自身にとっても、一寸先は闇だったことが理解できる。確信をもって行動できたものは、日米戦必至の信念をもつ宿命論者だけだったであろう。
そして、南部仏印進駐と、その後の各国の対応や、戦争を不可避とする結果をもたらした。日本は、これで一区切りのはずだった「南進」を、さらに推進せざるをえなくなった。イギリスは、アメリカとの共同歩調という大きな果実を得たものの、極東における戦争の回避が不可能となった。アメリカは、自らが攻撃の対象となることに無自覚なまま、太平洋での矢面に立たされることになった。いずれの国も、相手出方を理解しているつもりで選択した行動の結果だった。(中略)
戦争では、どの国も過誤を犯す。そして、より少なく過誤を犯した国が勝利を収める。情報戦でも、日英米いずれもが過誤を犯した。その結果が、あの戦争だった。もっとも少ないコストで目的を達成するという観点からすれば、日英米いずれも開戦前の情報戦に敗れたのである。
(結論 誰が情報戦の勝利者だったのか 本書p.323~325より抜粋)
◆◆◆
ひょっとしたら米ソの全面戦争をギリギリで(偶然)回避出来た「キューバ危機」のように、太平洋戦争を(偶然)回避できた未来もあり得たかもしれなかったということか。その道のスペシャリストを自認する者は、いつの間にか「木を見て森を見ず」に陥ってしまっていないか、絶えず冷静かつ謙虚に我が身を振り返る必要がある ― それが歴史の教える「教訓」ということのようです。
●廣田龍平『ネット怪談の民俗学』ハヤカワ新書2024
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『裏世界ピクニック』(※数年前にアニメのみ視聴)とか『近畿地方のある場所について』(※昨年末カクヨムで読んだ)とかに触れているととっつきやすい(なお本書には両作品とも登場)。特定の創作者が生み出したネットホラー(=ネタ投稿)が、SNSに投稿された後にコピペによる(無断)転載・元サイトの閉鎖や削除・不特定多数の書き込み追加を経て、いつしか作者不詳のネット怪談(ネットロア)へと変容していくという著者の説明は成程な~と思いました。
あと近年では、デジタル的な改変が不可と見做される(勿論技術的には捏造・改変可能な)VTR時代のアナログ映像を扱った「アナログホラー」なんてジャンルとか、早くもChatGPT絡みの怪談まで生まれているらしい。本当にこれらが著者の言うような民俗学と呼べるものなのかどうかはさて置いて、種々雑多な話題が豊富で色々と興味深かったですね。
●コモナーズ・キッチン著『舌の上の階級闘争「イギリス」を料理する』2024リトルモア
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洋書っぽく見えますが著者3名(パン屋と農家と大学教授)は全て日本人です。12のイギリス料理の写真とレシピとを載せている…とはいえお料理本というよりは、料理を通して「階級社会イギリス」を論じつつ、「一般にメシマズ認定されるイギリス料理の魅力をアツく弁護する本」といった体裁ですね。ただ3名とも実際にイギリスでの生活経験は無いらしく、全て文献資料(チャールズ・ディケンズやらアガサ・クリスティーやら)に依拠した記述となっているため、正直頭でっかちの英国推しの人達が好き勝手書いているだけなんじゃないの?感はどうしても否めないですね。
料理に仮託して社会や文化を論ずる、というコンセプトなら、著者の生活実感が織り込まれている分、大分昔に読んだ『亡命ロシア料理』https://amzn.asia/d/0lDH9Ep の方に正直軍配が上がる気はするかな。「やる夫と食べるイギリス料理」http://snudge.blog38.fc2.com/blog-entry-1282.html が楽しめた人は読んでみてもいいかもですね。
なお「イギリス料理も捨てたもんじゃない」と著者らは論じて止まないのですが、フィッシュ&チップスしかりベイクドビーンズしかりマーマレードしかり、如何せん料理がおしなべて「茶色やオレンジ色主体のファストフード」ばかりで、見栄えもパッとしないし手の込んだ特別感もしないというのが、私の正直な感想です(苦笑)。
●2025新春スペシャル『100分de筒井康隆』
1/3(金)放送分を録画視聴。これには私のようなオールドファンも年初からニッコリw。筒井作品が1970年代末に作風をガラリと変えて、「ドタバタエンタメから純文学路線へ」舵を切った背後には“伝説の編集者”の影響が色濃くあったというのは初耳でした。私も断筆宣言解除(1996年)以降の作品は未読のものが多いし、今年は久し振りにツツイストに戻ってみようかなぁ(笑)。