追加戦士登場回でサブタイに予告が出ないのは何気に初めてでは?(未調査)
>メロロンが自分の秘めた気持ちを伝えないまま大切な人のために犠牲になる展開はそれ自体退廃的な美しさがあります。でもそれはやっぱり歪んでいるのです。甘美で刺激的だけど毒がある。プリキュア的な文脈で言えば愛にこだわりすぎて自己犠牲に陥るみたいな話。
プリキュアシリーズはこれまで一貫して自己犠牲を肯定して来なかった記憶があるので、今回の『Hugプリ』以来2例目となる追加戦士二人同時変身も正直手放しでは喜べないですかねぇ。変身の経緯からしてキュアズキューンもキュアキッスも「咲良うたをはじめとするアイドルプリキュアたち」との想い出を失っている(らしい)というのも、これからの物語展開に不穏さしか感じさせませんし…今年のシリーズはまたエラく尖った脚本をブッコんできたものですねぇ(呆れ)。
>『婚活マエストロ』
>正直肩透かし
婚活なるテーマと、中の人の持ち味である「悪人が一切登場しない」作風との相性がよろしくなかったという感じなのかな。最新刊https://amzn.asia/d/1HVSgDUは、成瀬シリーズ同様の青春モノみたいですからそっちを読んでみましょうかw(最寄りの図書館で8人待ち)。
>中山七里『作家刑事 毒島の暴言』
図書館で予約してほぼ7カ月後に漸く読めましたw。筒井康隆の『大いなる助走』(1979年刊行)を思わせるテーマですね(粗筋はWikiを参照してください)。勿論筒井作品では時代的に本作で登場する「作家養成スクール」のようなビジネスモデルは登場しないのですが、「文学賞選考委員らの票を獲得するためであれば買収であれ色仕掛けであれ手段を選ばない主人公」・「物書きの才能が皆無なのにも拘わらずそれを頑なに認めようとしない自称“作家のタマゴ”」・鮮烈なデビューを飾ったものの2作目以降が続かず消えていった“一発屋”」等々、出版界の舞台裏で蠢く人間模様は今も昔も変わらないなぁという印象でした。
あと、実在の宗教団体(と政党)をモデルとしたと思しき最終話も、やはり筒井氏の初期短編『堕地獄仏法』を彷彿とさせますねぇ…しかし今覚えば、当該団体の教勢華やかなりし当時、よくこんな毒塗れの作品が出版媒体で発表出来たものだなぁw(呆れ)。
>NotebookLMでポッドキャストを生成
>ラジオのパーソナリティ風
へぇ~、どっかの政治系Youtuberが配信していた動画音声です、と言われても違和感ないレベルの出来ですね。テキストも的を射た記述に思えますし、今や無料版でもここまで出来てしまう技術水準に達したのかとちょっとばかり怖いですね(苦笑)。恐らくWikipediaの記事も、徐々に生成AIによる文章へ順次置き換わっていっているんじゃないかと思いますね~、目立たないだけで。
それでも私はやっぱり古い人間なので、気になった事柄に関する情報を収集するにあたっては、まずはその分野での信頼できる書物に頼りたいなというのが正直な感想です(その上でどうしても分からないこと、確認を取りたい事だけAIに聞くスタンス)。
>民主主義の限界っつーか、多数決で決めて良い話とダメな話があるよねって気がするなぁ。……って思ってAIに投げたら記事のとおりとなりました
私が最近読んだ本だと、(ほぼAIの指摘の通りですが)この辺りの記述が該当するでしょうか(↓)。
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…… 関連して、もう一つ考えておきたいことがある。それは、デモクラシーにおけるエリートの役割やテクノクラシーの位置づけについてである。ここでいうテクノクラシーとは、専門的な知識をもとにエリートが政策形成する統治のあり方を指す。あらかじめ断っておけば、デモス(民衆)が自らの選好について自由に表明でき、選挙を通じて政治指導者の首をすげ替えることができるデモクラシーは価値のあるものだという前提のうえでの話である。
じっさいに存在する普通の民主的政治体を素のままに見ると、そこにはデモスによる直接的な制御の効かない、ないし効きにくい組織や機能が散見されるはずである。日本の場合だと、法的安定性を図る内閣法制局、競争政策を執行する公正取引委員会、予算策定をつかさどる財務省主計局、ひいては(政府からは外れるが)通貨政策に責任を持つ日本銀行など、参加民主主義が貫徹すれば、大混乱が起こることが確実な組織や機能が存在する。つまり、これらにおいては、その時々の民意によって、財政・金利・競争政策が過度に歪められないよう設計されているわけである。…… EUは一面で、そうした機能をつかさどる組織なのである。もちろん、究極的にはデモクラシーの制御を受けねばならないのは当然なのだが、この観点からすると、EUはデモクラシーの直接的な制御を受けてはならない面を持ちあわせているということである。…… いずれにしても、EU自体がデモクラシーでない、あるいは希薄なデモクラシーしか持ち合わせていないという問題は現在のEUを占ううえで非常に重いとしても、話はそれだけは済まず、デモクラシーが貫徹さえすればうまくいくという性質のものでもない。デモクラシーとテクノクラシーは相互に緊張関係に立つが、持続可能であるためにはお互いを必要とするのである。
(遠藤 乾『欧州複合危機 苦悶するEU、揺れる世界』中公新書2016 https://amzn.asia/d/fO5tADL、p.231~233より抜粋引用)
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なお同書ではさらに進んで、米国のさる経済学者が唱えた「世界経済の政治的トリレンマ」なる仮説も紹介されていました(試してみたところ、AIの回答にほぼ同じ)。この仮説が正しいとすると、「国家主権(=国策におけるフリーハンド))と国内の「民主主義的決定(=国民投票)」とを優先したイギリスが、グローバル化を切り捨てることとなった(=EUを離脱した)のは当然の帰結、ということになるのでしょうし、また現行のトランプ政権下における米合衆国の「自国ファーストの経済政策」も同様に説明出来るのかもしれないですね(↓)。
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ダニ・ロドリックは主著『グローバリゼーション・パラドックス』(原著2011年)で、〈 グローバル化=国家主権=民主主義 〉はトリレンマ状態にあり、同時に三つは並びえないと論じた。たとえば国家主権と民主主義の連結により、労働や金融など選択的に市場を閉めると決め、グローバル化に背を向けることはできる。また、国家主権がグローバル化と結びつき、民主主義を犠牲にすることも可能だ。あるいは、国家主権はこのさい犠牲にして、グローバル・ガバナンスと世界民主主義の組み合わせを構想することもできる。けれども、三つを同時に成立させることはできないというのである。
ロドリックの議論は、現代における先進国リスクを暗示している点で優れている。それは …… ほぼ例外なく民主主義的である先進国の悩みを言いあてているのである。つまり、中国のような一党独裁国やシンガポールのような権威主義国は、主権とグローバル化の組み合わせで前身できるのに対し、先進国は、自国の民主主義に敏感にならざるをえない分、グローバル化がいっそう深化すると、トリレンマに陥る。
規制緩和と自由化を軸とする単純なグローバル化主義者は、統治権力=国家主権と結び、この民主主義的側面、ならびにそれを行使する中間層の人びとを、えてして「非合理」と軽視してきた。EUもまた、複数の統治権力=国家主権を束ねるところまではよかったが、民衆と民主主義を軽んじた。今起きているのは、やせ細る中間層以下からのしっぺ返しである。(同前、p.254~256より)
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あとちょっと面白かったのは「なぜドイツはEU離脱をチラつかせるギリシャに対して頑なに財政緊縮を強要したのか?」なる問いに対する、AIも指摘しなかった回答(の一つ)が書かれていたことですね(↓)。
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[イギリスのEU離脱により]ヨーロッパの国際政治を強大なドイツのくびきの下にあると描けば済むかというと、そう簡単ではない。というのも、ナチスを経験したドイツは、伝統的に自身への不安を育んできているからである。…… もちろん、ドイツ人は自身を取り戻し、ときに傲慢に振るまうようにもなった。しかし、この不安は簡単にはぬぐえず、厄介な現れ方をする。先に述べた緊縮財政も、みずからが権力的に課したというより、規律やルールの陰に隠れ、それが経済的合理性をもつという観念のもとで実行される。その合理性神話が、自身に関するもう一つの神話、つまり勤勉家・節約家であるという自意識や両独統一後の成功体験と結びつき、手に負えないほど硬い国民的コンセンサスをなしている。
このドイツに、みずからの図体が大きくなり、その一挙動が権力性を帯びてしまっているという自覚は薄く、それに見合う責任意識はなかなか生まれない。したがって、緊縮を緩め、投資を促し、場合によっては債務を軽減することで成長を呼び込み、そのことでヨーロッパじゅうの中間層の厚みを増すという、客観的にEUを円滑かつ持続可能なかたちで運営していくための措置は取られないままである。
言ってみれば、いまのドイツは戦間期のアメリカに近く、自身の権力と責任(意識)とが乖離した状況にある。じつは、いまヨーロッパで必要とされるのは、責任に応じたより一層のドイツの権力行使であり、正しい権力の使い方なのだが、「ドイツの覇権が復活した(ので警戒せねばならない)」とだけ述べる多くの言説は、その必要を覆い隠してしまうのである。(同前、p.245~246より)
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やんちゃの限りを尽くした過去が根深いトラウマとなって、ドイツに「欧州における責任あるリーダー」として振舞うのを躊躇させている…ということか、興味深い視点ですね。
因みに昨今の報道によると、ドイツでは反EUを党是とする極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が徐々に台頭し、今年2月のドイツ連邦議会選挙では大幅に躍進し152議席を獲得して第2党にまで上り詰めたんだとか。今やドイツに「責任あるリーダー」としての役割を求めるのはますます難しくなりつつあるようです。
>ロックは淑女の嗜みでして
相変わらず演奏描写が御大の言う「魔法バトル」なのはご愛嬌ですねw。主人公りりさの面倒見の良さには好感が持てますし、話の運びも王道なのでストレスなく視聴出来るのは有難いです。