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スレッドNo.491

とうとう初期メンバーが全員推し活を始めちゃったw

>メロロンやってんなぁ
>プリルンの記憶がないことを良いことに自分が主導権を取っている疑惑
>プリルンとやり直し(独占)を図っている

 ということは、キュアキッス(メロロン)はプリルンへの想いを失っていないということか(Why?それを捧げたからこそ変身出来たんじゃないの?)…だとすると、うたとの記憶を失っている筈のズキューン(プリルン)の口を衝いて出た「キュアアイドルは私が守る」なる宣言(しかも2回)は、傍らで聞いていて何とも居たたまれなかっただろうなぁw(苦笑)。昨シリーズの初期の、ユキがまゆを独占しようとあれこれ画策した試みに似た展開が暫くは描かれるのでしょうか。


>現代は優しい時代なのでみんな褒めてくれる
>正しい挫折の仕方がわからず現実とのギャップでメンタル折れる人もいる

 (↑)ウチの塾生でも「志望する大学」と「学力」とのギャップを誰からも(両親&高校教師含めて)指摘されないまま、遂に受験学年を迎えてしまった「ある意味“手遅れ”」な人は少なからずいらっしゃいますね。

 勿論、そんな生徒さんご自身もまるっきり○鹿ではないので、己の学力不足に薄々気が付いてはいます。だからといってそれをこちらが迂闊に指摘する訳には参りません。「塾講師ごときに面と向かってそんな酷いことを言われる筋合いは無い!プライドを傷つけられた!」とばかりに、そのまま塾を辞めてしまうという極端な選択に走ることも珍しくはありませんから(「子どもの意向を尊重する」現代においては、親が子どもの意向に関係なく通塾を強制するケースは極めて稀ですしね)。そういった“繊細なお客さん”との言葉のやり取りには、職業柄取り分け神経を使いますw(苦笑)。


>今週の読書

 久し振りに古典なんぞを。

 ● オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』(1835年刊)
 https://amzn.asia/d/i93Ormt

 19世紀初めのフランス、ナポレオン失脚直後の復古王政期を舞台に、貴族と貧民(悪党を含む)の別を問わず人間の汚さ・愚かしさ・浅ましさをほぼ改行なしで文庫本500ページにみっしり詰め込んだ超大作ですね。

 実は本作の主人公はタイトルの「ゴリオ爺さん」ではなく、親戚の伝手頼みに向こう見ずにも魑魅魍魎渦巻くパリの社交界へと単身乗り込んでいく、地方の貧乏貴族出自の大学生ラスティニャックの方です。人並み以上の成り上がり願望に満ちた、血気盛んな若者のビルドゥングスロマンと並行して、幼い頃から寵愛してきた愛娘二人にこれ以上無い程の冷酷な仕打ちでもって報いられる「ゴリオ爺さん」の、『リア王』張りの“悲劇”が切々と語られる、というのが物語の大枠です…何と言うか、当時まだ生まれたばかりの近代小説なるジャンルの「原初のマグマじみた熱量と勢い」をひしひしと感じる作品でしたね(そういや同時代のフランスではヴィクトル・ユーゴーもアレクサンドル・デュマも大活躍していましたっけ)。

 あと主人公ラスティニャックが法学を専攻する学生で、実家の母や妹に金を無心する手紙を書き送る描写は、恐らくドストエフスキーが『罪と罰』のラスコーリニコフ(法学部中退という設定)を造形する際にも参考にしたのかもなぁ、なんて思いました。ちょいと読み切るのに骨が折れますが、おススメです!


>ハイパーインフレの苦い経験
>速報性ぐらいでしか本に勝る点が無い
>AI利用

 そういやフランスが少子化対策に熱心なのは、第一次世界大戦のトラウマを100年以上経過した今でも引き摺っているせいだとか何とか聞いた覚えがあるなぁ~、と思ってGeminiに投げてみたら案の定でしたw(こういう質問が出来るのも事前に本を読んでいたお陰ですねw)。とはいえ指示出しさえすれば出典まで明記してくれるとは、AIの進歩の速さに改めて驚かされました。御大のように自在に使いこなす域には到底及びませんが、趣味でも仕事でも少しずつAIを活用してゆけるようになればと思います。

◆◆◆

【質問】
 フランスが少子化対策に熱心なのは、第一次世界大戦で若者の戦死者が多かった影響があると聞いたことがありますが、本当でしょうか? 本当だとしたら、何か信頼できる情報ソースを紹介して頂けないでしょうか。

【回答】
 ご質問の通り、フランスが少子化対策に熱心なのは、第一次世界大戦で若者の戦死者が多かった影響が非常に大きいと言えます。これは複数の信頼できる情報源で裏付けられている事実です。
以下にその根拠となる情報源をいくつかご紹介します。

信頼できる情報ソース

 1. 労働政策研究・研修機構「フランスにおける父親の育児休業制度 ―なぜ、高い就業率と特殊合計出生率が両立したのか」

 o このレポートでは、フランスが世界で最初に急激な少子高齢化を迎えた国であることを指摘し、その背景として第一次世界大戦による戦死者とインフルエンザの大流行により、人口が約300万人激減したことに言及しています。
 o 特に、1914年には2.34であった合計特殊出生率が、1916年には1.23にまで急落したことが明確に示されています。
 o フランス政府は、この人口減少が兵力減少による国防力の低下、労働力減少による農業生産力・経済力の低下につながる国家的危機と認識し、極めて早い時期に少子化対策に取り組まざるを得なかったと説明されています。具体的には、1920年7月の中絶禁止の法制化や、1921年からの児童手当創設、託児所・幼稚園の増設などが挙げられています。
 o 出典:フランスにおける父親の育児休業制度 - 労働政策研究・研修機構

2. 国立国会図書館「フランスにおける少子化と政策対応」柳沢房子

  o この資料でも、1930年代にフランスで少子化による人口減少が進んでいたこと、そして第一次世界大戦中に出生数が急激に落ち込み、大戦後も若者の結婚と出生が遅れたことが述べられています。
  o 出典:フランスにおける少子化と政策対応 柳沢 房子

3. 一般財団法人自治体国際化協会「フランスの子育て支援政策について」

 o この資料でも、第一次世界大戦後に出生数が急激に落ち込んだことに危機感を抱いた政府が、出生数の増加を優先課題として様々な対策(家族手当、出産手当など)を実施したと述べられています。
 o 出典:フランスの子育て支援政策について

第一次世界大戦におけるフランスの人的被害

 第一次世界大戦におけるフランスの人的被害は甚大でした。

 • 死者数:約135万8000人とされており、これは動員兵力に対して非常に高い割合でした。(「戦争による国別犠牲者数 - 人間自然科学研究所」のデータ参照)
 • 特に多くの若年男性が戦場で命を落とし、それが戦後の人口構成に大きな影響を与えました。この若い世代の喪失が、少子化に対する危機感を一層高めたと考えられます。

まとめ
 これらの情報源から、フランスが第一次世界大戦による甚大な人的被害、特に若年層の戦死者の多さから、国家的な危機感を抱き、その後の少子化対策に非常に熱心に取り組むようになったという経緯は紛れもない事実であると言えます。

編集・削除(編集済: 2025年06月09日 23:50)

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