流石に劇場版までは引っ張らなかったかw>田中の妖精体
>なるほどこの謎については物語上でもキチンと扱うつもりなのね
私はてっきりこういった経過を辿ったのかなと思っていました(↓)。
・メロロンは「プリルンにとって自分が唯一無二の特別な存在になりたい」という願いを以前から持っていた。
・そしてその願いをハートキラリロックに“封印”した(=つまりその願いは決して叶わない)。
・プリルンがうた達との記憶を失っているように、メロロンも「自分がプリルンにとっての“一番”には決してなれない」ことを忘れてしまっている。
・だからこれからもメロロンは今回のように「なんでずっとキュアアイドルばっかり…」と事あるごとに煩悶し続けるべく運命づけられている。
… うーん、しかしこれだとメロロンが余りにも惨めで可哀想過ぎるなぁ。これとはまた別にメロロンが封印したものが何かあるんでしょうか?
>電信技術が奇術(見世物)と見なされていた1840年代
>それからたった20年後の1866年には大西洋横断海底ケーブルを敷設
調べてみると本邦の場合は以下の通り(↓)。
・1869年(明治2):東京 ― 横浜間に電信開通。
・1871年(明治4):長崎 ― 上海間に海底ケーブル敷設。
・1877年(明治10):九州 ~ 北海道まで電信開通・電話の輸入。
明治維新直後にもう日本と中国とを繋ぐ海底ケーブルなんて出来てたの?なんて思っていたら、既にその5年前には大西洋横断ケーブルが完成していたんですね。通信事業に限らず、近代における技術革新の世界規模での伝播の速さには本当に驚かされます。
プレゼン頂いた書物は、営業再開目前の行きつけの図書館に置いているみたいなので、また予約可能になったら予約しておきますね。
>ヴォートランはその後秘密警察の幹部にまで上り詰めるそうです
あ、そうなんですか? 私がGoogle Geminiで調べてみたら、「表向きは敬虔なカトリックの神父・実は裏社会のラスボス的存在」みたいな紹介をされたので、どっちが正しいんだろうと思ってどなたかの読書感想をググってみた結果がこちらです(↓)。
https://msrvine5319.blogspot.com/2020/08/splendeurs-et-miseres-des-courtisanes.html
まぁこの記事にも、「処刑どころか最後は出世までする」と書いていますから、ヴォートランが最後にどうなるのかは、実際にオリジナルを読んでみないと判断出来かねますねぇ。改めて「資料に書いていないことを堂々と言う」懸念が付き纏うAIにはまだまだ丸投げ出来ないなという感を強くしました。
>週刊漫画のライブ感のような作品
同感。「待ってろよ社交界のクソ共!俺の戦いはこれからだぁぁー!(第一部・完)」みたいな結末でしたものねw。
それにしてもラスティニャックとヴォートランとが最後に登場する作品が『浮かれ女盛衰記』って…(直訳なのだとしたら)バルザックって、ホントにタイトルセンス皆無ですよねぇ(苦笑)。『ゴリオ爺さん』だって内容を考えたら『社交界の首領と呼ばれた男~青雲立志編~』とでもした方がまだしも適切な気がしますし。
>これでもかと人間洞察が並べられた文章ですが、なんのことはなく「自分のこと言ってるだけ」
関連読書として、今週はアレクサンドル・デュマ・フィス(『三銃士』・『モンテ・クリスト伯』の作者アレクサンドル・デュマ・ペールの非嫡出子)作の『椿姫』(1848年発表)https://amzn.asia/d/h5MjV0Nを読んでみましたが、どうやら本作も同時代の『ゴリオ爺さん』や『レ・ミゼラブル』同様、作者の実体験が色濃く反映されているみたいですね。逆に言うとナポレオン時代(第一帝政) → 復古王政 → 立憲君主政 → 第二共和政 → 第二帝政 → 普仏戦争&パリ・コミューンを経て第三共和政確立、と政体が目まぐるしく移り変わった19世紀フランスというのは、当時の社会の世相をそのまま切り取るだけで十分「ドラマティック」たり得た人類史上稀有な時代だったと言えるのかもしれません。
なおご多分に漏れず、(7歳の時に息子として正式に認知されたとはいえ)「偉大なる父親」とは、実生活においても文学的姿勢においてもかなりの確執があったみたいです。
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… 小説『椿姫』の本質は、オペラの華やかさとは遠いところにある。愛し合った二人は別れ、和解の機会もないまま、美しい乙女は無惨な死を迎える。父のデュマとは異なる、いや、正反対とさえ言える現実感と人生の悲哀こそがデュマ・フィスの特徴とも言えよう。「父は夢想の中に物語を求め、僕は現実のなかに物語を見つける。父は目をつぶって物語を構想するが、僕は目を見開いて物語をつくる」とデュマ・フィスは言っている。…… 実際のところ、『椿姫』は、デュマ・フィスにとって、叙情的なロマン主義からリアリズム、自然主義への転換期の作品でもあった。それはまた騎士道を懐かしみ、豪快なロマンを得意とした父からの決別を意味しており、時代の要請でもあったのだ。折しもナポレオン三世のクーデターにより、王政復古の時代は終わり、フランスは第二帝政の時代に入る。(翻訳者 永田 千奈による本書解説 p.434,447~448より引用)
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因みに私の作品感想は、現代日本で言うならヒルズ族に相当するような、極めて感情移入のしにくい(特に苦労知らずのボンボンに過ぎない語り手の青年アルマン)有閑階級の恋愛模様を延々見せられたところで何だかなぁ…というのが正直なところでした(毒)。まぁ純愛&悲恋ものがお好きな方向けの作品でしょうか。
>ウィッチウォッチ
連載途中ということもあってか、まぁ無難に纏めてきたという印象ですね。やや日常パートがクドい気味はありましたが、それなりに楽しめました。続編制作の有無は円盤の売上げ次第と言うことでしょうか。