MENU

スレッドNo.507

今年も夏期講習会の時期が到来しました

 と、いう訳で8月いっぱいまでは例年同様書き込みは控え目になるかと思いますのでご了承ください(その分今回は長文になってしまったw)。


>成長を望む(強制される)キャリア志向とは別に、脱成長を望むスローキャリアも同時によく耳にする話
>働き方としては二分する方向に動くんじゃないか

 成程、言われてみれば確かにそんな気がします。すっかり忘れていましたが、働き方改革の一環として2019年に設けられた「高度プロフェッショナル制度」がまさしく二極化の典型例かもしれません。確かこの制度の導入当初は「時間外労働・残業代未払いがなし崩し的に拡大し、労働基準法が実質的に骨抜きにされる」といった批判も巷では喧しかった思い出がありますが、今のところ当初の制度設計を(恐らく)大きく逸脱せず運用されているみたいですしね。
 https://xn--alg-li9dki71toh.com/roumu/work-style-reform/highly-professional-workers/

 この事例に限らず、政治体制にせよLGBT運動にせよ、時計の針が「一斉に」反対方向に触れて時代が後戻りするようなことは起こりにくく、モザイク状にますます多様化する(=混迷の度合いを深めていく)のが当節あるあるなのかもですね。


>資本力のあるプラットフォームしか生き残れなくなるから、寡占化が起きて、そこのルール(数量規制、コンテンツの縛り)が実質的なスタンダードになる

 寡占化による情報バイアスが生じやすいということに加えて、プラットフォームに課金する余裕があるかないかによっても、得られる情報の精度が大きく変化していくようにも思います。「持つ者と持たざる者」との間の情報格差は今後ますます広がっていくのかもしれません。


>現実では少数派なのにネットでは多数派に見えたり

 (↑)これと御大の指摘される「予防的回避」行動が合体することで、現実社会では眉を顰められがちな極論や暴論が、SNSによって広く拡散され社会全体を動かすまでになることも最近では珍しくないように思います。今回の参院選の結果をみてもそんな気がしますね。


>対照的にキリスト教圏を中心とする欧米文化では空想と現実の線引きが相対的に薄く、内面までも道徳や倫理の射程に収めようとする傾向があります
>キリスト教的な考えでは空想、心の中でそう思ったことは行動にも繋がる、空想が現実に影響するのではないか、だから積極的に働きかけるべきではないか、という発想になりやすい

 御大が指摘される通りだと思います。そもそもユダヤ教の律法(トーラー)自体が既に「創造神ヤハウェに対する内面の服従まで要求する」ものですからねぇ(↓)。

◆◆◆

 「ヤハウェは言われた。この民は口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ。」(イザヤ書29章13節・新共同訳による(以下同じ))

◆◆◆

 で、新約聖書ではそのイザヤの預言に触れた後、イエス・キリスト自らこう語っていることもあって(↓)、仰る通りキリスト教文化圏では「内面と外面とは地続き」という発想になり易いでしょうねぇ。

◆◆◆

 イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」(マタイによる福音書15章16節~20節)

◆◆◆

 ただ、上記の引用の最後にも出て来る通り、イエスの教えはそこから更に進んで「律法が制定された意図(=被造物である人間の幸福を実現するため)を正しく把握してさえいれば ― つまり内面が整ってさえいれば ― 外面上の体裁(=教えの履行不履行)に縛られる必要は一切無く、むしろ積極的に外的行動に移すべきである。」と断言するまでに至ります。この点は「内面と外面(空想と現実)を明確に分けて捉える」日本人には持ち得ない発想かもしれないですね(むしろ陽明学で言うところの知行合一とかとシンクロする考え方でしょうか)。

【参考・マタイによる福音書12章1節~14節】
 (※ 因みにこの箇所でファリサイ人達がイエス(とその弟子達)を非難した理由は、口伝律法(=律法から派生したユダヤの言い伝え)においては「収穫、脱穀および病人の生命に直接関係しない医療行為等」は“安息日に行うことを禁じられている労働行為”に該当すると解釈したためです。)
https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.12.%2525E6%252596%2525B0%2525E5%252585%2525B1%2525E5%252590%25258C%2525E8%2525A8%2525B3

 いま思い付きましたが、イエスのこういう考え方って、例えば17世紀に英国の哲学者ジョン・ロックが唱えた抵抗権(=もし政府が権力を濫用する場合は、人民は政府に対して抵抗する権力を持つ)とか、『バイセンテニアル・マン』のクライマックスの台詞にも影響を与えているように思いますね。

◆◆◆

 「つまり、死ぬ手配をしてきたというの、アンドリュー? まさか。まさか、そんなことができるはずがないわ。[ロボット工学三原則の]第三条違反よ」

 「そうではない」とアンドリューは答えた。「いろいろな死があるんだ。リー・シン、第三条は区別をつけないが。しかし、わたしは区別する。わたしがしたのは、肉体の死か野心と欲望の死かの二者択一だった。より偉大な死を犠牲にして肉体を生かすこと ― それがほんとうの第三条違反だ。…… ロボットとして永遠に生きるくらいなら、人間として死ぬ方を選ぶよ」(アシモフ&シルヴァーバーグ『アンドリューNDR114』創元SF文庫2000 p.363~4より引用)

◆◆◆

>空想に現実を持ち込むことへの嫌悪感や不快感
>海外の、政治や社会問題を扱った「批判的コメディ」が日本で受け入れられない

 確かに。政治的スタンスを公言しているアーティストが欧米では珍しくないのに対し、本邦では皆無である点(公言する人はほぼ例外なく芸能界を引退して政界入りする)とか、批判的コメディに限らず政治・社会問題を取り上げた国内エンタメ作品がほぼ存在しない(=一般ウケしない)点とかも、同様の理由から生じているように思います。一方同じ東アジア圏でありながら韓国では『タクシー運転手 約束は海を越えて』のような政治色強めの映画群が隆盛を極めているのは、カトリック・プロテスタントを合わせたキリスト信者が韓国国民の約3割を占めていることと無縁ではないのかもですね。
https://note.com/hogenosuke/n/n74ebdba8f944


>今週のプリキュア

 売り言葉に買い言葉的な流れとは言え、現役JCに剥き出しの腹部を開陳するっていうのは当節事案以外の何物でも無いですなぁw(呆れ)。とは言えザックリーさんも光堕ち間近ですし、いよいよチョッキリーヌ様が名ばかり管理職と化して現場に出張ってくるしか無いのかしら?


>最近の読書
 ● 中村圭志『亜宗教 ― オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで ― 』
 https://amzn.asia/d/3rR1zE1

 広く浅くではありますが「宗教&宗教っぽいもの」全般をバランス良く考察し、無難に一冊に収めた欲張りセットという趣ですね。個人的には各事項の内容そのものよりも、まさに正論と言っても差し支えない著者自身の記述スタンスの方に心惹かれました(↓)。

◆◆◆

 亜宗教(=近現代に生まれた、非科学的で宗教めいた信念や言説)が人類の知恵の発展に積極的に寄与することは概ね無いと言えるだろうが、しかし、人類思想史の裏面を教えてくれるという意味で、貴重な情報アーカイブとなっているのである。(p.12)
――
 クランシーの報告内容は、宗教、疑似科学、偽史、フェイクニュースの信者のケースによく似ている。彼らはいずれもテコでも自らの信念を曲げようとしない。議論を持ち掛けたところで水掛け論(神学論争?)が待っているだけである。どうやら人間とは、事実やら「不都合な真実」なんかのために生きている動物ではないのだ。自分という存在に深い満足を感じたいがために生きている。(p.175)
――
 すなわち、物理的な意味でのソリッドな事実というものを馬鹿にしてはいけない。解釈はいつも多様だが、どんな解釈もOKというものではないし、解釈イコール事実というわけでも、事実が解釈とともに雲散霧消するわけでもない。そのあたりを(自然科学用語であれそうでないのものであれ)やたらと観念的な用語や比喩をもって華麗なレトリックでごまかして考えるのは、思想と文化そのものの衰退の道でしかないのだ。(p.250)
――
 というのは、 理論としての無神論は、その論理を理解するのにそれなりの修練の手間がかかるからだ。つまり、最初から宗教に関する知識もなく、自分のなかの宗教的願望にも気づいていないような人が、ただ、トレンディだから、権威者が言っているから、自らのアイデンティティのよすがにしたいからというだけで「無神論」をやっているのなら、それはどちらかというと「宗教」的な態度である。そのように曖昧な姿勢であれば、いざ自分が人生に挫折して、それまで死のことなんて考えたこともなかったのに急に死の強迫観念にとらわれたとき、手もなく天国や輪廻や交霊術を信じるようになるかもしれない。(p.283~4)

◆◆◆

 本書を読むと、改めて人間というのは「根拠の無い確信」無しには生きられない、面倒臭い生き物だなぁと思わずにはいられませんねぇw(苦笑)。

編集・削除(編集済: 2025年07月21日 18:35)

ロケットBBS

Page Top