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スレッドNo.512

響カイトの御親族の方ですか?

 EDテロップを見るにジョギって名前なのか。チョッキリーヌ様とどちらが役職が上になるのかなw…。

>一面のひまわり畑

 昭和生まれの私としては、やっぱり戦争メロドラマ映画の佳品『ひまわり』の冒頭シーンを、ヘンリー・マンシーニの哀愁漂うテーマ曲と共に想い出しますね(↓)。

 https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e6%98%a0%e7%94%bb+%e3%81%b2%e3%81%be%e3%82%8f%e3%82%8a+youtube&qs=UT&pq=%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%80%80%e3%81%b2%e3%81%be%e3%82%8f%e3%82%8a%e3%80%80you&sc=12-11&cvid=DDD4D78FECFF4F2CAD33E2F43DFD8C1F&sp=1&lq=0&ajaxnorecss=1&sid=2B1B0D321FAE6E4A28841B171EAB6FA4&jsoncbid=0&ajaxsydconv=1&ru=%2fsearch%3fq%3d%25E6%2598%25A0%25E7%2594%25BB%2b%25E3%2581%25B2%25E3%2581%25BE%25E3%2582%258F%25E3%2582%258A%2byoutube%26qs%3dUT%26pq%3d%25E6%2598%25A0%25E7%2594%25BB%25E3%2580%2580%25E3%2581%25B2%25E3%2581%25BE%25E3%2582%258F%25E3%2582%258A%25E3%2580%2580you%26sc%3d12-11%26cvid%3dDDD4D78FECFF4F2CAD33E2F43DFD8C1F%26FORM%3dQBRE%26sp%3d1%26lq%3d0%26ajaxnorecss%3d1%26sid%3d2B1B0D321FAE6E4A28841B171EAB6FA4%26format%3dsnrjson%26jsoncbid%3d0%26ajaxsydconv%3d1&mmscn=vwrc&mid=FC1A83314D625F3D8B77FC1A83314D625F3D8B77&FORM=RCACF

 そして当時ウクライナで撮影されたこのひまわり畑も、今や戦場と化しているかも…と考えると、何とも複雑な気持ちになります。

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>キリスト教は「(人間が勝手に決めた)正しさ」を信じていて、日本人は「(人が勝手に言っている)良いこと」を信じている。そしてそのどちらもコロコロ変わる

 先日アニメ化されたものを視聴した『チ。― 地球の運動について ―』でも、教会側の経済的都合(=地動説関連書籍の印刷・頒布を許諾する見返りとして、売上げ収入の一部を教会が受け取る)から、それまでの「断固滅ぼすべき異端」と見做していた地動説のことを「あくまで仮説としてなら許容可能」へと大きく認識を改めていましたっけね。まぁこれ自体は史実としては(多分)正しくないのですが、進化論しかりLGBT問題しかり、キリスト教会が異なる言説の徹底的排除から平和的共存へと舵を切った(悪く言えば「手の平クルー」した」)という史実を象徴的に示しているという点では正しい描写なのだろうと思います。

 因みに作中のクライマックスでは、それまで教会を後ろ盾として「異端は撲滅されるべき」との信念を抱き続けて来た異端審問官ノヴァクが、ある夜突然(書籍販売事業にカネの臭いを嗅ぎつけた)上司のアントニ司教に「そもそも地動説が異端である根拠など無い」とこれまでの所業を全否定されたことで、司教もろとも教会堂に火を放ち自死を遂げる様子が描かれます。これなんかまさに以前話題に出た「キリスト教文化圏では内面と外面が地続き」の一例のように思いますね。ノヴァクが味わった喪失・絶望感はそのまま『レ・ミゼラブル』のジャベール警部に重なって見えますし。

 御大の考察に更に付け加えると、つまり「内面と外面との一貫性」を志向するキリスト教文化圏では「内面」が「外面」によって否定・抑圧されることは「極度のストレス」と捉えられがちですが、「内面」と「外面」をそれはそれ、これはこれと完全に別物として捉える日本ではむしろ日常の所作の一部と見做されているのではないかという気がします。そういや以前山本七平氏の著書で、氏が戦時中捕虜となった際にアメリカ人兵士が「お前達は天皇を現人神だとして崇め奉っているらしいが、進化論というものを知らないのか?」と揶揄された際に、「こう見えても私は大卒だ。進化論のことなら申し訳ないがあなた以上に詳しいし、また正しいと認めている。」と返事したら大変驚かれた ― 細部はうろ覚えですが確かこんなエピソードが紹介されていたと思います。続けて山本氏は、総じて日本人というものはタテマエ(外面)とホンネ(内面)を使い分けることに何の抵抗も感じないどころか、むしろ情況の変化に応じて自在に使い分けられる人こそ「オトナ」として高く評価する傾向にある、とも論じていたはずです。だから例えばジョージ・オーウェルの『1984年』で描写されるディストピアは、日本人の大多数には欧米で受け留められているほどピンとは来ていないんじゃないかと私は想像しますが…実際どんなもんなんでしょうね。


>内面が整っていれば融通を利かせても良い

 「融通を利かせても良い」どころか「寧ろ今までの社会的通念(=外面)こそが間違っているのだから正すべきだ。」と、精神的意味合いにおける (「我に自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」的な) 一種の死活問題と解釈して来たのが欧米社会なのかな、という気がしています。この辺りも内面と外面の一致に拘りの薄い日本人の大多数にとっては、『バイセンテニアル・マン』のアンドリューの「究極の選択」に関しても、単に(屁)理屈を捏ねているだけのように映るのではないでしょうか。


>今週の読書

 『地雷グリコ』やっと図書館で借りられたわw(結局10カ月待ち)。見事なまでに“「審判がグレーゾーンのジャッジを予め自分が思い描いた通りしてくれること」を前提に奇策を繰り出す主人公が無双する”エピソードばかりでしたねぇw(毒)。まぁ御大がおススメされただけのことはあって面白く読めはしたんですが、御大もご指摘の通り「あっと驚くトリックから逆算する形で無理くりお話を作った感」はどうしても否めなかったですね。このオムニバス短編の執筆に数年を費やしていることを鑑みれば、例えば「敵サイドに過剰に肩入れする審判の偏向ルールを逆手に取って見事勝利する話」や「敗北を覚悟した主人公の無意識の行動が勝利を呼び寄せた話」を入れるとか、もう少し変化を付けて欲しかったかなぁw(苦笑)。

 あとはこれかな(↓)
 ●『一次元の挿し木』松下龍之介 2025宝島社文庫
 https://amzn.asia/d/9e3P1WN
 
 第23回(2024年)『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ獲得作品。

 イケメン(自覚無し)主人公 → ミステリアスな義妹と出会って恋仲に → 義妹の謎の失踪 → 絶望する主人公・クセの強い眼鏡っ娘と出逢って意気投合 → 一緒に義妹の捜索 → 怪しげな宗教団体絡みの殺人鬼の襲撃…と、まぁ「おまいらこんなん好きだろ?」の欲張りセットみたいな話でしたねw。謎を小出しにしつつテンポ良く話を畳みかけてくるのは好印象でしたが、流石に終盤は展開が急ぎ過ぎ、かつ宗教団体を証拠隠滅に便利遣いし過ぎで、リアリティに欠けるのはマイナス点でした。借りて読むならまだしも、¥900(税込)払ってまで読む価値があるかというと正直微妙な作品でしたかねぇ(苦笑)。

編集・削除(編集済: 2025年07月28日 06:37)

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