ワイ、AIに課金する
ChatGPTとGeminiに課金して使用感をお試し中。後者は初月無料なのでとりあえず一ヶ月好きに使ってみようかなと。
>「内面」と「外面」をそれはそれ、これはこれと完全に別物として捉える日本
それの応用ってわけじゃないけど、例えば私は「いっしゅう」名義でネット上で活動してるけど、私が本名名義とごっちゃにしてない限り、本名名義とは別物として扱うっていう暗黙のルールがありますね。「でもお前、ネットではああ言ってたじゃん」みたいなのは言わない約束的な。
日本でハンドルネームが一般的な運用になっているのは、この「顔の使い分け」が文化的に馴染みやすいからでしょうね。別の名前を使っているってことは別人として扱って欲しいんだろうな、っていうのが了解される。まあ、身バレ防止ってのもありますが、どっちが先に来るかって言ったら私は前者が先に来ますね。
勿論これも「一線を超えない限り」なので、もしそれを超えたら「裏ではこんなことをやっていた」ってなる。
>キリスト教の手の平クルー
例えばフランスでは生まれたばかりの赤ん坊を乳母(遠方に住んでいる場合もある)に預けて自分では育てず、幼稚園児くらいで家に戻ってきたら次は寄宿舎に入れて半ば厄介払いってことが富裕層では当たり前に行われていましたよね。バルザックの生い立ちがまさにそんな感じ。イギリスでも児童労働は当たり前だった。
ところが、ルソーの教育思想が広まって子どもは大事にしよう! ついでに母親は母性的であらねばならないと母性神話が登場して正反対に舵を切る、みたいなことが平然と行われる。
LGBTにしても元々は日常生活で不便があったからそれをどうしようかって話だったのに、政治の道具(人権問題に絡めて政敵を攻撃したり、自分たちは進歩的だと嘯いたり)になってああなってる。実際には政治エリート層と一般層で温度差がエグいんだけど、その事情をよくわかってない日本人が「やっぱ欧米は進んでるなぁ」と輸入してるわけね。
>仲正昌樹『悪と全体主義』 https://amzn.asia/d/dN1ZZ5F
ドイツのアレを扱っているよくあるテーマの本。大衆とか全体主義についてハンナ・アーレントの主張をベースに展開していて、別段目新しいわけではない。今更大衆云々で説教じみたこと言われてもね、ってなるしね。
ただ、国民国家と国民の関係についてよく表している一文があったので紹介。
近代の国家は「国民」をベースに創設され、「国民」の利益を守るべく運営されてきました。「国民nation」を構成する「市民citizen」たちのために各種の権利が設定されました。それがなければ、「人権」は実質的に機能しません。逆に言うと、「国家」はそうした諸権利や利益と引き換えに、「国民」の忠誠心を繋ぎとめてきました。その「国民」のための資源を、「国民」ではない者たちに無条件に分け与えるわけにはいきません。「国家」が使える資源には限りがあります。「普遍的人権」の名の下に、困っている無国籍者を全て受け入れるという態度を取れば、多くの人が押しかけて、「国家」のキャパシティを超えてしまいます。(p105)
カッコ書きが多くて読みづらいけど、要するに人権は国家が保障するもので、国家に依存してる。つまり人権とはシステムが作り出した虚構なわけ。まあ、平常時はそんなに問題にならないんだけど。
じゃあ、どういうときに問題が露見するのか。それが無国籍者の流入。これは当時でいうと国を追われた難民とか、権利を持たない人たちのことなんだけど、これを現代で最も適合しやすいもので表すと「移民」になる。
最近日本でも外国人に厳しい目が向けられてて、政府に対しても批判が出てるけど、その中でよく目にする「俺達の税金を外国人のために使うとは何事か!」「日本人より外国人が優遇されている→日本人の人権が蔑ろにされているのでは?」ってのはまさに国家の仕組みから言えば真っ当な意見なのね(事実であるかは別として)。言ってる人は多分感情的に言ってると思うけど、制度的・国家論的に言えばめっちゃクリティカルなんだよね。
建前から言えば人権は全ての人を保障しなければいけない。国家が自国民だけを保障するなら嘘になる。けど、一国にそこまでの能力はないし、自国民以外を手厚く保障したら国家の正統性(=国民の支持)を失うっていうのが国民国家の建前と本音。
>地雷グリコ
逆算系は段取り臭くなるのと、何故かクリティカルになる部分を誰も事前に突っ込まない不自然な形になりがち。
>亜宗教
目新しい内容はありませんでしたが、学者が書いた本のわりには軽妙な内容でしたね。
>ウィッチウォッチのデスゲーム
ボードゲーマーのワイ「口だけで説明するな。耳慣れない単語を連呼するな。いいからサマリーよこせ」