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スレッドNo.546

>あ、遊園地に乗り込むわけじゃないんだ (← それな)

 トリプルデートは単なる口実で、結局はうたとカイトをコソコソ尾行するんでしょ?と思っていたらまさかの展開でした。これは予想外…というより逆に不自然ですよねw?


>平安貴族サバイバル

 読了しました。このあたりの日本史の知識はうろ覚えでしたがこうして改めて俯瞰してみると:

 ① 出来のいい息子達・娘達を数多く授かること
 ② 時の天皇と自身の娘とが共に結婚適齢期であり、しかも男子が(スペア込みで大勢)生まれること
 ③ 同時代の有力な後見人や優秀なブレーンに恵まれること

 等々、平安中期の藤原氏にとっての権力基盤は、数限りない不確定要素を基盤としてどうにか成り立っていたものだったということが大変良く分かりました。

【参考図書】倉本一宏『皇子たちの悲劇 皇位継承の日本古代史』(第六章 摂関政治全盛期の皇子)
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(↑いかにも学者サンらしく記述が歴史的事実をひたすら羅列、かつ内容が詰込み気味なので余りおススメはしませんw(苦笑))

 さて、御大のプレゼンからはちょっと話はズレますが一つ豆知識を紹介します。「摂関政治」という呼称からは「摂政や関白を拝命=漏れなく強大な権限が付いて来る」ように聞こえますが、必ずしもそうでは無かったようです。権力を掌握する上で当時何よりも大事だったのは御大も指摘されている通り「天皇の母方のお祖父ちゃんになる事(=天皇の外祖父になる事)」だったので、この条件が満たされなかった場合は摂政や関白の位に就いたところで名ばかりの称号に過ぎず、公卿らからも軽んじられたのだとか(↓)。
(※その証拠にあの藤原道長はイメージに反して実際に関白の座に就いたことは無い(出家後に世間から「御堂関白」と呼ばれるがこれはあくまでも非公式な綽名。摂政位に就いたのも1年間だけですぐに息子の頼通に譲った)。

◆◆◆

 ここで注意してほしいのは、摂政・関白はともに律令における規定がない。つまり、具体的な権限を伴っていない、ということです。…… あくまでも、天皇の個人的な輔弼者、という位置づけだったのです。

 だとすれば、藤原道長が関白にならなかった理由は、おのずと明らかでしょう。道長はその代わり、左大臣の座を手放そうとはしませんでした(注:左大臣は行政権と官吏の任免権とを掌握する、太政官制における事実上の最高責任者だった(官制上は太政大臣が最高官だったがこれは実質名誉職に近いもので、置かれない場合も多かった))。…… 道長はまた、天皇に奉る文書や天皇が裁可する文書に事前に目を通すことのできる、内覧という地位にも就いています。名ばかりの摂政・関白ではなく、実のある左大臣・内覧を道長は選んだのです。

 (相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史 古代・中世編』KADOKAWA2016 p.77より)

◆◆◆

 とはいえ、厳しい要件をクリアした上でという条件付きながら、法律的な裏付けの一切無い役職に大きな権限が持たされたという点は、明治憲法に明文規定が一切無いにも拘わらず「薩長閥の出身で明治維新を主導した政治家および軍人」が、天皇の信頼を得て「総理大臣の推挙」いわゆるキングメーカーとして絶大なる発言権を有した元老制度に重なってみえますね。


>秋アニメ
>驚く程なろう臭いのばっかで食指が働かない

 全く同感ですねぇ。過去作で評判の良かった未見のアニメでも探してみましょうか…。

>あれは創作というよりその人の感性そのもの
>それが動物園の珍獣よろしくエンタメ的に消費されている

 その本は私は未読ですが、芸人でいうところの「笑われている」と「笑わせている」の違いみたいなものでしょうか。あくまで一般論ですが、多様性とやらを過度に持て囃す風潮を反映してか、単なる変わり者の著者の妄言でしか無い代物に「何かしら深い意味」を読み込んで不当に高く評価する傾向が昨今確かに見られるようには思いますね。


>典型的な勧誘法。不安を煽る。相談できないように孤立させる。自信満々

 キリスト教であろうが仏教であろうが、それが本当に人を救済する教えであれば無理に集めようとしなくても、どんな教えなのかを聞きたくて聴衆の方から勝手に集まって来てくれるんじゃないかとは常々思ってはいますね……まぁ私の場合は積極的に布教しない言い訳として使っていたりしますが(苦笑)。


● 最近の読書
 
 ① 上杉勇司『クーデター ― 政権転覆のメカニズム― 』中公新書2025
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 歴史を振り返ると、決起は「避けられない悪」として繰り返されてきた。しかし、21世紀の民主主義にとって重要なのは、抑止策と対策のみを追求するのではなく、その発生要因を根本から取り除くことだ。私たちがめざすべきは、「クーデターのない世界」ではなく、「クーデターが必要とされない世界」なのだ。(終章 p.257より)

◆◆◆

 著者は世界各地の紛争地で平和協力や研究を実践してきた学者さん。各章の末尾に「この章のまとめ」が付されているのは要旨が摑み易く有難いですね。
 内容は予想通り「クーデターを用いずに政権交代できることが望ましい」とのスタンスに立って第二次大戦以降に起きた数々のクーデターを概観し、それぞれの成功要因や失敗要因、考えられる抑止策などを記したものです。詳細はいちいちここでは記しませんが、総じて常識的な記述が多く意外性は無かったかなという印象でした。まぁちょっと面白いなと思ったのは、2010年の「アラブの春」を契機に始まった中東地域におけるクーデターの特性に関する以下のコメントぐらいでしょうか(↓)。

◆◆◆

 他にも新しい要素がある。それは、中東や北アフリカにおけるイスラム勢力の存在だ。エジプトやスーダンで民主化をめざす勢力にとって、ムスリム同胞団は大きな脅威となっている。彼らの台頭を阻止するためには、独裁政権打倒に手を貸してくれた軍に引き続き頼らざるを得ない。…… イスラム圏における「世俗化かイスラム復古か」という議論は決して新しいものではない。世俗化が進み、グローバル化が浸透する現代社会において、その反動としてイスラム化が唱えられて久しい。イスラム社会では、過度の復古主義に対抗するために軍が世俗化の守護者の役割を果たしてきた。そのため、民主化運動の成果を軍が横取りしたとしても、イスラム主義の台頭を防ぎたい民主化勢力は、軍の横暴を見逃すしかない。なぜならば、将軍や独裁者には寿命があるが、コーランは不滅だからだ。(p.55~57より抜粋)

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 イスラム圏において民主化を目指す勢力(主に青年エリート層)にとっては、銃口を突き付けてくる軍部よりもイスラム原理主義の方が遥かに手に余る…ということのようですね。

 ② ハン・ガン(韓江)『少年が来る』井出俊作訳 株式会社クオン2016
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◆◆◆

 (軍事政権によって虐殺された当時中学一年生の弟について執筆する)許可ですか?もちろん許可します。その代わりしっかり書いていただかなくてはなりません。きちんと書かなくてはいけません。誰も私の弟をこれ以上冒瀆できないように書いてください。(p.265)

◆◆◆

 著者は2024年にアジア人女性として初のノーベル文学賞を受賞した韓国人小説家。内容は1980年の韓国民主化運動の一つ「光州事件」を取り上げたもの(読み始めてから気付いた)。

 女性作家による戦争ルポルタージュといえば同じくノーベル文学賞受賞作家であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を思い出しますが、こちらは息抜き的なエピソードが一切無く、剥き出しの暴力にただただ晒され、身体と心とに生涯癒せぬ傷を負ってそれでも生きて行く人達が描かれるのみで、読みながら何だか説教されているような気持ちになって些か居心地が悪くなりました(本邦の原爆文学に似通った雰囲気と言えば分かってもらえるでしょうか)。当時の軍事独裁政権の横暴を声高に訴えたい気持ちは理解出来ますが、この告発過多の文体はソルジェニーツィン『収容所群島』同様、却って潜在的な読者やシンパを遠ざけているように思いましたねぇ。同じ光州事件を題材とした映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の方が、重たい史実にエンタメ描写を絶妙に織り交ぜることで、遥かにメッセージ性を高めていたように私は感じました。


>それなりに仕事できる人でも自分ストーリーに没入するとこうなるのか、の実例

 私は著者のようにシゴデキではありませんが、いずれにせよ家族に迷惑を掛けるような「推し活沼」にハマらないよう今後気を付けないといけませんね(苦笑)。


>一条蘭子ちゃん…元気にやってるかなぁ…

 中の人的には転生して今期の敵組織のリーダーをやってますよw。

編集・削除(編集済: 2025年10月06日 21:49)

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