今は正式にはアスペルガー症候群とは呼称しないんですね
>自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界
読了しました。自閉スペクトラム症を真正面から取り扱った本は過去に読んだことが無かったので、初めはちょっと付いていくのが難しかったですけれど、大変興味深く読めました。著者の主張を纏めると「ASDやADHDを発症している女性は、健常人(定型発達の人々)の所作をある程度模倣・習得できるほど高い知能の持ち主が多いにも拘わらず、周囲の無理解のためこれまで不当に苦しんで来た。私達はこの現状を変えなければならない」ということのようですね。
ただ、本書の著者には大変申し訳ないんですが、これまでこの板で何度も書いてきた通り「多様性(≒社会的弱者)の尊重」が一種の宗教的信念のごとく崇め奉られる風潮に些かウンザリしている私にとっては、この本ですらも「今なお果てしなく細分化しつつある、数多あるマイノリティー集団の一つからの(よくある)異議申し立て」としか映らなくなってしまいました。私は底意地が悪いので「何でgive無しのtakeばかり主張するの?“定型発達の人々”(←この呼称にもどこかしら逆差別的なニオイを感じるなぁw)とやらに対する理解と配慮とを求め過ぎじゃないの?」ってどうしても思ってしまいますね(毒)。
>「人を見掛けで判断しない」美徳
「見掛けが悪いと高確率で中身も悪いので、数学的蓋然性に基づき私は“人を見掛けで”判断します。」とでも回答しておけば良いのではないかと思います(←直球)。以下は「この道の者」の端くれとしての護教的立場からの聖書引用です(↓)。
― 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。(マタイによる福音書7章18節) ―
― ほかの人々は、ひとりもこの交わり[=使徒ペテロを中心とする初代のエルサレム教会の集まり]に加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。(使徒言行録5章13節)―
>沖縄上陸戦でアイヌ人が犠牲になりまくってた
私も知りませんでしたが、ただ下の記事(↓)での「沖縄戦における死者数の少なくとも43名がアイヌ民族だった」というのは、戦没者数全体(20万人強)に占める割合からして「犠牲になりまくっていた」とまでは言えない数字なのでないでしょうか。まぁ当時のアイヌ民族の人口比からすれば決して少ない数では無かったのかもしれませんが(因みに沖縄県を除く都道府県別の戦没者数で一番多いのは北海道(1万人強)だそうです)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/367165318ea62bdc9c5f52c2421d7e2329c2a0fc
いずれにせよ、アイヌ民族の犠牲の多寡についての評価とか、この漫談ネタ内で言及される大学教授が実在するか否かといった点は取り敢えず脇に置くとして、「しょうがない犠牲」だったかどうかを判定する資格を有するのは直接的な被害を被った人間集団だけにある、と私は考えます。
>『平安貴族とは何か』
>ちなみにこの本も読み物としては面白くはないw
いぇいぇ、私が読んだ同著者の書籍に比べると遥かに読み易かったですよ(笑)。
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… では、東宮に敦成親王[=中宮彰子が産んだ第一皇子で敦康親王より9歳年少]を選んだ道長の選択は実は間違っていた、というのがどういうことなのかを最後に説明しておきましょう。
じつは東宮になれなかった敦康親王[=故・中宮定子が産んだ第一皇子]は……二十歳の若さで亡くなってしまったのです。東宮となった敦成親王は即位して後一条天皇として健在なので問題はないように思うかもしれませんが、その後、敦康は怨霊となって道長の一族を苦しめることになりました。…… 道長自身の運勢も、敦成を即位させて以降、徐々に下り坂になっていきます。…… 多くの子供たちに先立たれただけでなく、道長の計画では子の頼通の女(むすめ)を天皇家に入内させるつもりだったのに、頼通にはなかなか女が生まれませんでした。
それで道長の死後、頼通は幼女と女を二人、后に送り込むのですが、二人ともやはり皇子を産まなかったのです。それで五男の教通(のりみち)が二人の女を入内させるのですが、この二人もついに皇子を産むことはありませんでした。それで結局、摂関政治は終焉を迎えることになったのです。
こうした出来事全てを敦康親王など様々な悪霊が原因と考えるのはナンセンスかもしれません。たまたま運が悪いことが続いただけだともいえます。しかし道長家の人々はすべてを敦康の呪いだと考え、「敦康が早くに亡くなるとわかっていたら、半年ぐらい天皇にしておけばよかった」と、恐らく後悔しながら死んでいったのだろうと思います。(本書p.170~171)
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ん〜「敦康親王は元々短命だった」というのは言い過ぎじゃないですかねぇ?彼が早世したのは、皇位継承権No.1だったにも拘わらず立太子されなかった我が身を儚んでだったかもしれませんよね? 中宮定子の忘れ形見と言うだけで情に絆されて天皇に即位させていたとしたら、思いのほか長生きして道長の政権基盤を揺るがしていた可能性もありますし、ここは倉本氏も仰るように「政治の原則から言うと道長の選択が正解(p.169)」だと私も思います。
ただ、如何に当代無双の権力者とは言え所詮は人の子ですから、正論だけでは割り切ることの出来ない「心の疚しさ」なり「良心の呵責」がどこかしら残るのでしょうねぇ。そのモヤモヤした想いがやがて怨霊という形をとって道長一族を責め苛み、やがて滅亡へと追い込んでいったということでしょうか…何かシェイクスピアの『マクベス』を思わせる展開ですねw。
>今週のプリカツ
まさか実在のホール名が登場するとはなぁw。プリキュアオールスターズ以来、『横浜みなとみらい21』はすっかり「プリキュアシリーズのホームグラウンド」と化した感がありますね。