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スレッドNo.552

中の人の演技、気合い入りまくりでしたねぇ >キュアアイドル

 ジョギ「カイトとの間に絆があるとでも思ってるの?」
 キュアアイドル「カイトさんがどう思ってるのかは分からない、でも!私は私の気持ちを信じる!」

 「推し」が実際に自分のことをどう思っているかはあくまでサブ要素で、メインは「推し」が自分に力をくれたという紛う方無き事実そのもの、ということか。この辺り以前御大が分析されておられた「推し活のより正確な構造は“推しの物語に接続することで自分の物語を駆動させる”行為」と符合する描写のように思いました。


>ゆる言語学ラジオ
>「~っす」は実は「敬語+親近感」を表す画期的なワード。相手のメンツを損ねる可能性がある場合は使わない。という解説は説得力がありました

 成程、これは面白い!授業の合間に挟む小ネタが一つ増えました(笑)。動画の元ネタである中村桃子氏の著書は偶々最寄りの図書館に置いてあった(予約人数ゼロ)ので、また今度借りに行きますね。


>『会話の0.2秒を言語学する』

 残念ながらこちらは貸出し中でしたので、読めるのはもう少し先ですかね。因みに動画の聞き役の方の人も最近単著を上梓されていたみたいですね(↓)。この間最寄りの本屋に置いてあったのをパラパラ立ち読みしてそれなりに面白いとは思ったんですが、ちょっとお値段の割に内容が薄いなと思って購入は断念しましたw(苦笑)。
 ● 堀元 見『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』新潮社2025
   https://amzn.asia/d/06MzZot


>当事者が被害者ヅラして~

 この件に関する私の中での線引きはこんな感じかな(異論は認めます↓):

 ① 「しょうがない犠牲」かどうかの判定資格を有し、かつ発言権を持つのは「当事者」のみ。
 ② 「当事者」の範疇に入るのは、「直接被害を受けた人物および一親等の親族(両親および子供)」まで(祖父母とか孫とかまで広げると既に「伝聞情報」になるような気がするので)。

 勿論、発言する場合でも「発言権を持つこと」が「発言に沿った対応を周囲から期待できること」と必ずしもイコールとはならないことを「当事者」は覚悟する必要があるでしょう。動画内の芸人はそもそも上記の要件を満たしていないでしょうから私にとっては端から考慮するに値しません。まぁ彼にとってはアイヌの話題にしても再生数を稼ぐための単なる道具でしか無いんだろうなぁ、とは思いますが(毒)。


>服部まゆみ『この闇と光』
>特に前半の世界観、文章、主人公の描写は美麗で一読の価値がある

 この作者はこれまで全く存じ上げなかったなぁ…。
 何と言うか、文章全体から漂う「品の良さ」というか、そこはかとなく滲み出る教養というか、いずれもミステリーのみならず最近の創作全般についてまずお目に掛かれない雰囲気のように感じました(ググってみたところもうだいぶ前にお亡くなりになっているらしく、何とも残念です)。

 似たようなテイストの作品だと何だろう…かなり昔に読んだ作品で、前の掲示板でもプレゼンしたこれかなぁ(↓)。流石に細部は覚えていないので、当時のプレゼン原稿をそのまま再掲しますね。

 ● シャーリィ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』1962年発表
   https://amzn.asia/d/gijBymA

―――

 映画『ドッグヴィル』で描かれたような、閉ざされたムラ社会ならではの閉鎖性を煮出して煎じ詰めたようなホラー作品です。異物的存在を徹底排除する酷薄さと、良心の疚しさに由来する薄っぺらい善意とを併せ持つ「至って普通の」村人たちの描写もさることながら、遡ること六年前の「忌まわしき事件」を経てすっかり没落し果てた「嘗ての名門の旧家」にひっそりと暮らす(恐らく虐待されていた過去を持つ)主人公の娘と、その家族らの「静かな狂気」の描写が何といっても見どころ。閉ざされた空間の中で辛うじて維持されていた「穏やかな日常」が、ある日突然外部から荒々しく破られるという、よくある類いのお話ではあるんですが、作中で一番異常な「信頼出来ない語り手」の主人公に対し、不思議と肩入れしたくなる気持ちを読者に起こさせるストーリーテリングの妙味には感心しました(ただ結末はもう一捻り欲しかった気もしますが)。 〈記:2019/01/19〉

―――

>今週の読書
 ● 渡邊雅子『論理的思考とは何か』https://amzn.asia/d/jlaOtAB

 ちょっと前に読んでいたのを改めて再読。本書では四つの「思考の型」を取り上げ、それぞれの型を代表する国(アメリカ・フランス・イラン・日本の四カ国)の作文教育で重視されているのは何かを詳述することで、「論理的なものの考え方」は複数存在し、目的に応じて意識的に使い分ける必要があることを論じています。

◆◆◆

 論理的思考に関する書籍や情報が溢れる中で、本書の意義は何だろう。それは論理的思考に関する二つの常識の克服である。ひとつは論理的思考の方法は世界共通でも不変でもないこと、つまり論理的思考には価値観に紐づいた思考の型があること。もうひとつは思考の技術を使いこなすには、目的(そこに価値観が現れる)をまず特定してその目的に合った思考法を選ぶことである。この二点を踏まえて本書が目指したのは、目的ごとに異なる論理的思考を「方法」としてどのように実際に使いこなすかを示し、その効用と意義についても理解を深めることだった。こうして本書を読み終わる頃には、論理と論理的思考に対する読者の考え方が変わっていることに期待する (「おわりに」より抜粋)

◆◆◆

 例えばアメリカとフランスはこんな感じ(↓)。因みにイランと日本とは割愛w。

 ・エッセイ(アメリカ式)
 ⇒ 自己の主張を分かりやすく効率的に論証して、相手を説得することが目的。冒頭で結論となるべき主張を先取りして提示し、主張を支持する「事実」を三つに制限して取り上げコンパクトに論じる。効率的に最大限の収益を上げることを狙いとする経済領域との相性が良い。

 ・ディセルタシオン(フランス式小論文)
 ⇒ 時間を掛けてあらゆる可能性を吟味し、矛盾を解決することが目的。定立(正)・反定立(反)・総合(合)、つまり〈正〉と〈反〉の矛盾を〈合〉で解決する弁証法を論証の基本構造とする。多様な人々で構成される社会全体の利益(=公共の福祉)を図る政治領域との相性が良い。

 仕事柄目にする機会の多い近年の実用英語検定(いわゆる英検)の作問を見ると、記述問題の一つである自由英作文は、まんま本書の記述通りの「アメリカ式エッセイ」の形式に則っているためまだ馴染みが持てます。しかしフランスにおける(ヘーゲル型の)弁証法を軸とした作文教育は、理屈では理解出来ても正直あまりピンと来ないですね。本書によると、何でも未だにフランスでは毎年50万人超の高校生が受験するバカロレア試験(中等教育終了と大学入学資格を兼ねる)は論述形式で、試験時間は四時間に及ぶのだとか…これ、実際のところどうやって(公平性を担保しつつ)採点しているんでしょうねぇ?著者にはフランスの作文教育をメインに取り上げた著書もあるみたいですから、また借りて読んでみますわw。

編集・削除(編集済: 2025年10月20日 23:55)

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