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スレッドNo.556

有能ななな(笑)

 外見の割に変わり者属性が多かった『Hugプリ』の薬師寺さあや嬢に、更にアクティブさを追加したような感じというのかな。今回は主人公キュアのサポート役としてその自由闊達な存在感(笑)を遺憾なく発揮してましたねぇ。


>國分良成『防衛大学校』

 一気に読了しました。防大校長としての9年間の歩みを、良い点も問題点も赤裸々に綴った記述の数々から、生徒への惜しみない愛情や「あるべき防大の理想像」への献身ぶりが随所に滲み出ていましたね。良書に出逢わせて頂き、誠に有難うございます。

 興味深かったのが、筆者が「もし防大生に戻れるとしたら、何をしたいか」の問いを卒業生らに向けたところ、ほとんどの答えが「英語を学び直したい」(次点が「教養を身に付けるため読書に励みたい」)だった件ですね。著者も指摘しておられましたが、漠然とした「勉強」では無く明確に「英語」と限定するのが、如何にも国を跨いでの活動が求められる今の自衛隊ならでは、という気がしました。

 あとそこかしこに写真が挟み込まれるのも本書の理解を助けていますね。ラストでの「防衛大学校長離任の日」の写真は、著者は本当に生徒から慕われていたのだなぁということを伺わせる素晴らしいスナップだと思います。


>他国との国際交流で短期留学もやっていてそこでトップレベルの成績すら取れるほどの実力があるのに「大学院」の称号すらもらえないって何だよ!?

 著者の記述を信じる限り、そこら辺のFラン大学など比較にならないくらい(毒)生徒の質も意識も高そうに見受けられるだけに、その点は何とも意外かつ残念でしたね。


>フランスでは「バカロレアは国家の神聖な儀式」
>毎年この時期に全国の高校教育システムが“試験のために止まる”
>日本とは真逆の社会的優先順位で運営

 関連して、『論理的思考とは何か』の著者である渡邊雅子『「論理的思考」の社会的構築 ― フランスの思考表現スタイルと言葉の教育 ―』岩波書店2021を読んでみました。
 https://amzn.asia/d/2mxo5ID

 フランスの教育現場(といっても著者が調査した20年ほど前)の公立学校(小・中・高)で、如何なる教育理念の下で実際にどういう教育が行われているのかを詳述した本です。21世紀の現代でもなおフランス革命の精神(=キリスト教支配から脱却して人間理性に基づき判断し行動する人間を育てる)を掲げつつ、人文教育(中でも哲学を最重要視)主体の教育を全国民対象に実施しているという事実にまずは驚きました。… いや〜歴史的・文化的土壌に隔たりがあり過ぎて、このやり方をそのまま日本に取り入れるのはまず不可能ですねw。

 かの国では議論の内容そのものよりも議論の形式を身に付けることに教育の主眼が置かれている、というのも初耳でした。将来バカロレア試験にて弁証法を用いた高度な論旨展開を行えるようになる基礎を形づくるため、小学校で一番重要視されるのはなんと国語である「フランス語(「文法」・「動詞の活用」・「教師の読み上げる文章の書き取り」etc.)」なんだとか(一週間の総授業数16コマのうち11コマが充てられる!)。初等教育では兎にも角にも母国語で「語句の定義を明確にしつつ、正しく綴れるようになること」が何よりも優先されるため、日本の感想文でありがちな「この文章を読んであなたはどう感じたか」的な、主張を補強する論証の構築に貢献しない「個人の意見」は全く評価されないんだとか。まさに「所変われば品変わる」ですねぇ。

 ここからは私が考えたことです。フランスは大革命以降「人間はすべからく皆“平等”な存在であるから、元の国籍や民族的出自によって公共空間における処遇を変えるべきでは無い」という「共和国としての理念(タテマエ)」のもと、移民に対しても基本同化(統合)政策を強いてきた国だということを鑑みるに、仏語の完璧な習得にせよ革命精神の受容にせよ、特に年配の移民の方々には相当ハードルが高いんじゃないでしょうか?コロナ禍の終息とかやウクライナ危機とかも相俟って流入する移民の数は近年右肩上がりみたいなので(2023年で総人口の10.7%)、その辺り教育現場では実際どんな風に(ある意味臨機応変に)対処しているのかも知りたかったのですが、流石にそこまではカバーしていなかったのが残念でした。

 とはいえ、フランス人の思考様式の一端を窺うには(学者的記述多め&フランス式教育に肩入れし過ぎている点を差し引いても)おススメの一冊かなと思います。


>大多数の答案は「形式的には作文、実質的には散文」。
>それでも国家は「考えたという行為」に教育的意義を見いだしている。
>ここがフランス的

 まぁ全国一律の試験スタイルと言えば本邦の共通テストも大概ですからねぇ。少なくとも英語については(当初予定されていた記述問題導入の制度改革がポシャったこともあって)、すっかり「膨大な量の文章を如何に短時間で正確に情報処理出来るか」だけを競う、AIの方がコンマ何秒以下で遥かに高得点を取れる「技能試験」と化してしまっていますし(毒)。それでも本邦の大学入試に置いては共通テストを課さない選択肢も存在するだけまだマシなのかもしれません。


>中村桃子『新敬語「マジヤバイっす」社会言語学の視点から』https://amzn.asia/d/6xeeFaQ

 読了しました。まぁ記述の8割はご紹介頂いた動画通りの内容でしたねw(第6章の「女性がテレビCMの中で用いる「ス体」は、男性との関係から規定されない女性性を示しているのではないか」という“仮説”が目新しかったぐらいでしょうか)。まだ『会話の0.2秒を言語学する』の方は読めていませんが、著者の水野氏(とその相方)のプレゼン力の高さを図らずも証明しているように思いました。


>単に自分が言いたいことを言っているだけではないのか?
>具体的には倫理棒で人を殴って悦に浸りたい、人から承認の声を浴びたい、ネタにして金を稼ぎたい、といった懸念・疑念。今回の例では冒頭で「犠牲はしょうがない」という仮想敵を持ち出してそれに「それはいじめっこの論理だ」と倫理棒で殴っているのでこの時点で相当な単純化・感情化が入っていて聞くに耐えない。

 私が言いたかったことを上手く言語化して頂き有難うございます。
 そうなんですよねー、件の動画について言うなら、百歩譲って金銭目的では無いとしても「「しょうがない犠牲」だと発言しているとされる人物は実在するの?ひょっとしてマッチポンプじゃないの?」とか、「よしんば実在したとしても、それってストローマン論法に陥っているのでは?」等々の疑念が払拭されない以上、私はまともに取り上げる気が起きないですかね~。

編集・削除(編集済: 2025年10月27日 22:07)

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