休日出勤だったこともあって助かった。 >毎年恒例の駅伝で1回休み
その一方で50年の歴史を刻んだ「スーパー戦隊シリーズ」終了のお知らせを耳にするとはねぇ…。
>ブルシット・ジョブ
この言葉を初めて知ったのは数年前の100分de名著の『資本論』の回でしたね。欧米のジョブ型雇用においては「日本のような人事異動・配置転換が出来ないから、以前のようには仕事が出来なくなった人をカバーするための仕事を新たにでっち上げなくてはならない」というご指摘ですか…成程なぁ。以下の引用(↓)を見てもお分かりの通り、斎藤氏は「ブルシット・ジョブ」が生まれる構造的背景についてはそれほど詰めた考察を行っていないので、勉強になりました。
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技術発展にもかかわらず、料理が人でなければ配達できないように[例:Uber Eats]、多くの仕事は機械に任せることはできません。例えば、コンビニ店員の業務は多岐にわたり、そのすべてを一つの機械に代替させるのは、ほぼ不可能です。介護や看護のように、一つ一つは単純そうにみえても、実際には、相手に合わせて細やかな要求に応えないといけない難しい仕事(エッセンシャル・ワーク[=社会の存続にとって〈必須な労働〉])を、ロボットにさせようとすれば膨大なコストがかかります。問題は、こうした「人間にしかできない」仕事、しかも社会的に重要な仕事に従事するエッセンシャル・ワーカーたちに長時間労働と低賃金という負荷がかけられているという現実です。
その一方で、そもそも社会的にさほど重要とは思われない仕事、やっている本人でさえ意味がないと感じている高給取りの仕事― 文化人類学者デヴィット・グレーバーは、そんな「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」が、広告業やコンサルタント業を中心に、近年急速に増えていると指摘しています。それは、生産力が高くなりすぎて、意味のない労働でも作り出さないと、週40時間労働を維持できない状態になってきていることの裏返しでしょう。
無益で高給なブルシット・ジョブがはびこる一方で、社会にとって大切なエッセンシャル・ワーカーが、劣悪な労働環境を強いられている。これが、資本主義が爛熟した現代社会の実態です。やりがいのない無意味な労働も、過酷な長時間労働も、人間を貧しくするという意味では同じです。要するに、この社会では、大部分の人々が労働から疎外されているのです。
(斎藤幸平「100分de名著 カール・マルクス『資本論』」NHKテキスト2021年1月号 p.93~94より)
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私の方では「AIやロボットに代替させられない仕事を行っているにも拘わらず、どうしてエッセンシャル・ワーカーらは劣悪な労働環境を強いられるのか」という質問をChatGPTに投げてみました。以下項目別に列挙された理由を一部抜粋・紹介します(↓)。
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🔹1. 「価値」と「報酬」が乖離している構造
まず大前提として、「社会的に必要な仕事」と「市場で高く評価される仕事」は必ずしも一致しません。市場経済では「どれだけ社会に必要か」ではなく、「どれだけ利益を生み出すか」が価値の基準になります。
• 介護・清掃・物流・保育などのエッセンシャルワークは、社会を支える不可欠な仕事ですが、利益を直接的に生まない(= 付加価値を「売る」形にしづらい)ため、賃金が上がりにくい。
• 一方で、金融・コンサル・広告などは、資本の流れや権力構造の中で高い報酬を正当化しやすい仕組みを持っている。
つまり、「市場原理」が人間社会の「倫理的原理」とズレているのです。
🔹2. デヴィッド・グレーバーの分析:「支配と正当化の装置」
「ブルシット・ジョブ」という概念を提唱した人類学者デヴィッド・グレーバーは、この現象を次のように分析しています「現代社会では、人々を支配し、秩序を維持するために“仕事をしているという感覚”が必要とされている」と。
つまり、本当は不要な仕事でも、人々が「忙しく働いている」状態を保つことで、支配構造が安定するというのです。このため、エッセンシャルワークよりも「見かけ上の重要さ」を演出できる事務職・管理職・金融職が高給で評価される傾向が生まれました。これは、「支配の正当化のための仕事」という意味で、単なる経済問題ではなく政治的・文化的な構造です。
🔹3. 「労働の尊厳」と「再生産労働の軽視」
さらに、ジェンダーや歴史的な視点も重要です。
• 家事、育児、介護などの「再生産労働」は長らく女性の無償労働として軽視されてきました。
• 近代資本主義は、「生産=男性的・経済的に価値がある」「再生産=女性的・非経済的」という差別的な構造を内包しています。
• その延長線上で、現代でも「人を支える」仕事(保育・看護・介護など)が軽視され続けている。
つまり、労働のジェンダー的偏見と資本主義的価値観が重なって、賃金格差や労働環境の不均衡を固定化しています。
🔹4. 技術革新がもたらす逆説
AIやロボットの進化で自動化が進むのは、定型的でデジタル化しやすい仕事です。しかし、エッセンシャルワークの多くは、人間の共感・判断・身体性が不可欠であり、簡単には置き換えられません。それにも拘わらず社会はこれらの仕事に十分な価値を認めず、AI化できるホワイトカラー業務に資源を集中させる傾向がある。結果として、「人間にしかできない仕事」が最も疲弊し、報われないという逆説が生じています。
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上記の内容が学術的に見て正しい分析なのかどうかまでは私には判別出来ませんが、個人的にはいずれも納得度の高い理由でした。
この話題に限らず、昨今は「ふとした疑問」に対する答えを(多少不正確でも良いから)手っ取り早く得るには、確かに「お手元のAIに聞くのがタイパいい」と思える機会が増えて来ましたね。御大に紹介頂いた書籍はどちらも最寄りの図書館にあるのは確認済ですが…どうしようかな。これまでのように手間暇掛けて原著で確認を取るのを順次止めていくかもしれないですねぇ(苦笑)。
>パスワード別送
現在の部署における私の仕事はほぼ社内で完結していますので、この「儀式」は知らなかったですねぇ。まぁその代わりに「出勤したら職員室の出入り口および職員用トイレのドアノブを塩素入りの水で拭き清める。」なるミッションがコロナ禍以降相も変わらず課せられています。最早実効性など誰も検証しない「感染対策やってます社内アピール」カテゴリーの雑務と化してしまっていますね(毒)。
>今週の読書
● 柚木麻子『BUTTER(バター)』新潮社2017
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以前紹介した『ナイルパーチの女子会』の著者です。ちょっと古い本ですし別段興味は無かったのですが、先日塾生の一人が「今英国でベストセラーになっているらしいからこれから読んでみるつもり」と話していたので読んでみました。
ざっくり要約すると、いろいろ私生活に問題を抱えている女性編集者が、料理マニアで現在は拘置所暮らしの女性犯罪者に感化されて、「食」を通じて自分の来し方行く末を見つめ直す…みたいな話です。
まぁ結論から言うと:
① やりたい事は分かるが、物語の主題(犯罪に至る動機の解明・女性同士の友情・ジェンダー論etc.)を詰め込み過ぎて全体的に不完全燃焼かつ冗長。
② モデルとなる実在の犯罪者の強烈な個性に物語そのものが負けている。
③ 主人公が何で他者からの視線や評価をそれほどまでに気にするのか、全然感情移入出来ない。
登場人物が多過ぎることも相俟って、それこそバターが胃にもたれているかのような心境で全584ページをどうにか読了しました。まぁ良かった点を挙げるとしたら「料理&食事の描写がリアリティ豊かで美味しそうだった」ところくらいでしょうかw(毒)。
因みに第157回直木賞候補作品当時の選考委員評を見ると、私が列挙したのと似たような理由でほぼ全員から酷評されています。私は寧ろ、本作品そのものよりも、「どうして本作品が英国でベストセラーになったのか」の社会学的分析の方に大いに興味が惹かれますね。
● ブッツァーティ作/ 脇 功訳 『タタール人の砂漠』岩波文庫2013
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こういうのでいいんですよ(笑)。
原著は何と1940年、訳者解説によると「ムッソリーニ率いるイタリアが第二次世界大戦に参戦する前日に刊行された」とのことですが、どこか寓話めいた設定からはそんなキナ臭くも生臭くもある執筆当時の時代背景を全く感じさせません。物語の主要舞台となる「とある一将校の辺境の地での砦暮らし」を、「我ら凡人のままならぬ人生」の比喩として脱臭かつ普遍化して描くことに見事に成功しているように思います。
ややこしいマイノリティ設定や複雑な筋立ての小説が氾濫する中で、こういうストレートなテーマの物語は私には却って新鮮に映りました。ちょっとカフカの『城』っぽいところもありますが、プロットの起伏においてもリーダビリティにおいても遥かにこちらの方が上ですし、悲劇的にも拘わらず悲壮感は感じられないオープンエンド的ラストも気に入りました。久し振りのおススメですね(笑)。
>『会話の0.2秒を言語学する』
>ちょっととっ散らかっている感じがする。
私も読みましたが確かに(汗)。著者自身は執筆しながら思考が纏まっていって楽しいのかもしれませんが、その過程に付き合わされる方(読者)にとっては正直キツイですねぇ(苦笑)。
>『デジタルの皇帝たち』
最寄りの図書館に置いてあったので取り敢えず確保しておきますね。