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スレッドNo.580

満を持してのメロロン回なのに

 次回予告のななの変顔が全部持ってっちゃった感がありましたw(苦笑)。

>物語を読んでいる(買っている)のではなく、感情を買っている
 
 あのラーメンハゲ芹沢の名言そのままで草w。


>この2ステップで完了でき紙面もほとんど必要ない
>現代のなろうは短時間でカタルシスを得られるファストコンテンツ
>実際数字取れているのもその手のやつ

 ファストコンテンツにせよシリーズものにせよ、“お約束のフォーマット”に沿って物語が展開される「安心感」や「お手軽さ」に金や時間を費やす消費者がそれだけ大勢居るってことですよね。クール毎にリセットされるアニメ視聴でも、当たり外れの大きい(というより外れが大半のw)オリジナルアニメよりは、既に確固たる評判を得ている小説や漫画のアニメ化を私自身優先させますから、その気持ちは良く分かります。


>ChatGPT「ここはあなたが得意な“構造を読む”テーマそのものなので、少し骨太にいきます。」
>最近なんかChatGPTが私の思考をメタ読みするようになってきました

 何それ怖いw。質疑応答の応酬からAIが質問者の特性を「学習」して、質問傾向に即した返答形式を予め心づもりするってことでしょうか?シンギュラリティ到来がいよいよ現実味を帯びて来た気がします。


>今週の読書

 ● 京都新聞取材班『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』講談社2025
   https://amzn.asia/d/9SXkVuY

 36人の犠牲者を出した「例の事件」の顛末を扱ったルポルタージュです。こんな狂人に一方的に目の敵にされて無差別大量殺人の標的とされた京アニ関係者らがただただ不憫でならないというのが、一読してまず思う正直な感想ですね(2024年1月に京都地裁で死刑判決・同年2月に青葉側が大阪高裁に控訴するも、今年2025年1月に控訴を取り下げて死刑判決が確定。その後弁護人が「本人による控訴取り下げを無効とする申し入れ書」を提出し、現在審理中とのこと)。加害者の青葉真司については確かに悲惨な生い立ちだったかもしれませんが、離婚して家を出て行った母親にせよ、親身になって支援を続けた訪問看護師らにせよ、家族も福祉行政も精いっぱいの援助を差し延べていたようですし、それらを全て拒絶して破滅への道を選んだのはまさに自業自得そのもので、情状酌量の余地無しとしか私の目には映りませんでした。

 しかしこれだけの凶行に及んでおきながら、被害者遺族には「拘置所に収容されている加害者に面会する権利」が一切認められていない(=加害者が「会いたくない」と言えばそれまで)というのが何とも不思議ですね。被害者参加制度が導入されて十余年が経過しているにも拘わらず、相変わらず加害者の人権ほどには被害者のそれが考慮されていないように思えて仕方ありませんでした。

 本書の中で特に印象深かった記述は、遺族の一人が報道関係者に対し語気を強めて反論した件でしたね。

◆◆◆

  (父親が)ようやく娘の遺品整理を終えたのは、事件から2年がたった頃(2021年7月)だった。…… 青葉の公判が始まるめどはまだ立っていなかったが、娘の命が失われたことで、父親にとっての事件は終わっていた。公判の行方には、「ぜんぜん興味ない。あとがどうなってもどうでもいい。司法に任せる」と淡々と話した。

  その口調が一変したのは、記者が「事件のことを風化させないようにと、私たちは言いがちですが」と投げかけた時だった。

  「なんで風化させてくれないの。悲しみを覚えておけというのか」

  父親の声は大きくなった。

  「風化させなくてどうするんですか。さらしものになるだけじゃないですか。よう言うわ」
 
  事件が起きたという事実、犯人を生み出した背景。それらを風化させないために記録するのは「勝手にやればいい」と父親は言う。「死んだ者を忘れないで、とはこれっぽっちも思っていない、むしろ忘れていただいた方が話のネタにならずに幸い」。そう告げて、父親は黙り込んだ。(本書p.60~61より)

◆◆◆

 事件を「記憶すべき」か「忘れるべき」かを判断するのは他ならぬ遺族、第三者に決められる筋合いは無い…ということなんでしょうね。ふと「忘れられる権利」を巡る議論を思い起こしました。

編集・削除(編集済: 2025年12月15日 22:15)

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