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スレッドNo.593

明智小五郎と小林少年が出所なんですね <江戸川乱歩『少年探偵団シリーズ』

 まぁ読んだことは無いから何も語れないんですけれどw(苦笑)。それはそうと森亜るるかの元ネタは何だろうな…ひょっとしてモリアーティ教授かしら?(←完全な悪役じゃんw)


>名探偵プリキュア!

 タイムスリップの要素を入れて来るとは驚きだなぁ。メインの舞台を前世紀末(1999年)に設定した必然性って何なんでしょうか(時代考証も大変だろうし)?しかも主人公と相棒とでリアルでの年齢差が28年ということはほぼ親子と言ってもいいほど違っている訳ですから、ジュネレーションギャップ的な話題も出すつもりなのかなぁ… 探偵モチーフのせいなのか、本編開始前から既に謎だらけですねぇ(笑)。


>メタ発言
>わざとやってますね
>うたが「キミ」と言うときカメラ目線になっています

 みのりんパイセンのネタ回含め箸休め的に使用した事例はこれまでもちょいちょいありましたが、作品テーマそのものにガッツリ絡めてきたのは、何気にシリーズ初かもしれないですね。


>三宅香帆『考察する若者たち』

 読了しました。前著の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』よりは論点が絞れていて同意出来る点も多かったかなという印象でした。第一章の「考察と批評の相違」から論を展開していった件とかはちょっと面白いなと思いましたね(なお紹介頂いた動画は、思考がブレるので敢えて観ていません)。

◆◆◆

 批評の時代から、考察の時代へ。いま、そのような変化が起きているとするなら、背景にはいったい何があるのだろう?…… 考察には、作者が提示する(とされる)「正解」がある。『君たちはどう生きるか』を観て、モデルとなった人物を推察すること。『変な家』を読んで、不可解な間取りの理由を考えること。…… これらはすべて、作者から提示された「正解」がある。

 一方、批評に「正解」はない。『君たちはどう生きるか』を観て、眞人の母が眠り続けている理由を考えること。『変な家』を読んで、なぜ本作の最後にムラ社会的なテーマが入り込むのか考えること。…… そこに「正解」はない。

 だからこそ、批評にはゴールがない。

 せっかく批評しようと頑張って努力しても、正解がなければ、その努力は報われない。だが考察には、正解がどこかにあるため、「わざわざ努力する価値がある」のではないか。報われやすく、やりがいもある。…… 令和。それは、物語を楽しむことにすら「報われること」を求めてしまう時代なのではないか。(第1章「批評から考察へ」p.43~45より抜粋)

――

 「報われたい」という欲望が、現代の若者を読み解く一つの鍵である。…… アイドルのライブを楽しむだけではなく、アイドルを応援した結果がほしい。ドラマを楽しむだけではなく、考察が当たってよかったという正解がほしい。仕事の面白さだけではなく、仕事で成長できたという証がほしい。アニメを観ることを楽しむだけではなく、アニメを履修したという事実がほしい。

 ― 報われたい。

 行動の報酬、つまり「報われポイント」が見えていた方が安心して行動に移せる。実体験に対して報われ度が見えるものに、若者の手は伸びる。(第8章「ググるからジピるへ」p.167~168より抜粋)

◆◆◆

 私は引用した両作品ともそれぞれ未視聴・未読ですが、確かにネットニュースとかで「連続ドラマの今後の展開を考察する」といった惹句付きの記事を目にすることが増えた気がしますね(『VIVANT』とか『名探偵津田シリーズ』とか)。そして三宅氏は更に以下のように論を進めます。

◆◆◆

 …… テレビや新聞や雑誌のようなマスメディアが文脈を紡ぎだしていた時代は、皆が知っておくべき作家がいた。しかしマスメディアの力が弱まり、プラットフォーム全盛期になったいま、むしろ皆が知らないけれど面白そうな内容のほうが重視される。作家名はそこにはいらない。

 つまり付帯文脈のある固有名詞とは、マスメディア時代のものだったのだ。「この固有名詞に意味がある!いま皆が知るべき固有名詞はこれだ!」と言っていたのは、テレビや新聞や雑誌のような、皆が見るものだった。

 逆にプラットフォームの時代においては、人それぞれ好きなものを見ればいい。そうなると、皆が知るべき固有名詞なんて消失していく。ただただ、アルゴリズムのおすすめだけが、ある。

 そして面白いのは、たしかに「考察」と「批評」の違いも、固有名詞の有無にあるということだ。作者の正解を当てる考察文化は、誰が考察しているかは重視しない。SNSや動画で考察動画を観るとき、考察者の思想の個性を求めはしない。わかりやすさは必要かもしれないが、考察者の価値観や解釈の個性は必要とされない。

 しかし批評文化では、解釈は人それぞれ違う前提になっているので、むしろ批評家の個性こそが必要とされる。小林秀雄、柄谷行人、吉本隆明など過剰なまでに固有名詞が意味をもつのが批評文化だった。…… (しかし)自分らしいことは、プラットフォーム社会では、価値ではなくなっている。なぜなら自分らしすぎると、それぞれの世界に最適化できないからだ。

 つまり現代において、自分らしさとは、生きづらさになっている。なぜなら「界隈」化がどんどん進んでいく時代にあって、こういうふうに生きるのがこの界隈では正解だ、といううっすらとした最適解が共有される時代になった。すると最適解から外れた自分らしさは、正解をもてない生きづらい自分に変わってしまう。最適解から外れるとすなわちそれは生きづらさになってしまう世界に、私たちは生きている。…… 必要なのは、自分らしさではなく、自分的なキャラクターである。…… もともと特別なオンリーワンであることよりも、適性の正解、最適化する方法を教えてもらえるラベリングのほうが、報われやすい。…… 大げさに言えば、そういう風潮がうっすら広がっているように私には見える。(第9章「自分らしさから生きづらさへ」p.191~205より)

◆◆◆

 「他人の評価はさて置き、私は○○がいいと思う」みたいに自己の意見や感情を曝け出したところで“いいね!”を貰えるどころか、「それってあなたの感想ですよね」と一刀両断されるし、挙句はAIにまでもやんわりダメ出しされるしでちっともいいこと無い(=報われない)から、個性なんてあったところで世渡りしていく上では邪魔になるだけ ― と若者が感じざるを得ない風潮がますます勢いを増しつつある、という理解でいいのかな?どの程度正鵠を射た現代社会分析なのかは兎も角、肌感覚として何となく理解はできますね。

 私の場合読書の傾向も含めて「己の感性について他者からの同調や共感なんて貰えないのが当たり前」と思いながら小中高と大きくなった(恐らく「この道」に首を突っ込んで以降その傾向は一層強化された)ので、正直「ふーん、今の若者もそれなりに大変ですね、この時代に生まれなくて良かった~。」と、(愛娘二人を念頭に置きつつ)どうしても上から目線で見てしまいます。実にヤな父親ですねw。


>今週の読書

 ● 五十嵐律人『不可逆少年』https://amzn.asia/d/0dqGgdP

 著者は『法廷遊戯』の人で、これが二作目に当たります。冒頭部からてっきり未成年サイコパスを扱ったありがちな猟奇殺人モノかと思っていたら、いつの間にか「毒親家庭の下でそれでも前を向いて生きて行こうとする健気な高校生たち」を軸に据えた、まるで凪良ゆうの『汝、星のごとく』を思わせる「ほろ苦い青春小説」要素が主体になったのには驚きました。場面転換・物語展開などは相変わらずぎごちなさを感じるものの、前作より人物描写も総じて掘り下げられているように思いますし、主人公(とその周辺)が家庭裁判所の調査官(Vtuberのかなえ先生みたいなイメージ)というのもチャレンジングな試みで好感が持てました。取り敢えずおススメということで。

 なお作品の重要なモチーフとして「神経犯罪学」なる実在の学問分野が登場します(私は初耳でした)。邦訳書としては巻末で著者が参考文献の筆頭に掲げているコレ(↓)があるくらいでしょうか(今日借りて来た)。

○ エイドリアン・レイン『暴力の解剖学 神経犯罪学への正体』https://amzn.asia/d/arHgHWE

 (↑)訳者あとがきによると「脳や自律神経系などの生物学的な構造や機能の欠陥が、いかに反社会的性格を生み、ひいてはその人を犯罪に至らしめるのかを研究する(p.558)」らしいのですが、この引用だけでも分かる通り「(少年に限らず)教育的手段では更生出来ない犯罪者が一定数存在する」との認識の下、従来犯罪学においてタブー視されてきたテーマを扱う“センシティヴな”学問分野みたいですね。まだ未読(しかも本編だけで557ページ…)なので、時間と体力が許すようならまた後日プレゼンしますねw。

編集・削除(編集済: 2026年01月12日 23:09)

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