令和最新の平成アニメ
・敵ポジション
・黒を基調としたゴシック
・杖持ち
・変身前は銀髪
・クールな面持ち
キュアアルカナ・シャドウちゃんの一人勝ちやんけ。
なお、私はキュアミスティックちゃんのニーソに頬ずりしたいと思いました。
折角なんで明智小五郎シリーズの一冊『蜘蛛男』を読んだんですが、集英社の「明智小五郎事件簿」シリーズは現代訳されているのか非常に読みやすかったです。
ただ、内容が現代のミステリとはだいぶ毛色が違う。終始犯人である「蜘蛛男」が警察を翻弄し好き放題。真打ち登場とばかりに出てきた明智もポカミス連発でうだつが上がらない。結局あっさり犯人が自害して幕引き。現代の感覚で読むとフラストレーションが溜まる内容。
ChatGPTに聞いたら、この当時のミステリは怪奇犯罪スペクタクルで探偵はどちらかというと「常識と理性を代表する市民的存在」ということでした。少年探偵団(と怪人二十面相)の方も一応手を出してみるかな。
>メタ発言
今作は敵への倫理コストをゼロまで下げているので、一切悩まないんですよね。悩むくらいならライブしようぜって発想になる。敵に悩まなくても味方(とのお別れ)に悩むパターンもあるんだけど、今作はそれもない。徹底して主体的にライブしようぜで一貫している。
>必要なのは、自分らしさではなく、自分的なキャラクターである
それを聞いて思い出すのは土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』 http://isshuu.blog.fc2.com/blog-entry-983.html ですね。
この本は2009年に書かれたものですが、今見ても古さを感じない論考だと思います。当時は携帯端末やSNSが今ほど普及していなかったので物理空間(学校)に比較的限定されていたと思いますが、現在はそれがネット空間に無制限に拡大している。土井氏が述べている「類友」を「界隈」に読み替えるだけでほぼ通じるのはその証拠でしょうね。
両名の主張に共通しているのは現代人の過剰なコミュニケーション環境だろうと思います。要するに接続が切れない。現実の友人とリアルで接して、SNS上でも「いいね」し合う。既読スルーもできない。人間は多かれ少なかれ状況に合わせてペルソナ(外面)を取り繕うけど、これが24時間付けっぱなしになってしまっている。こうなると他人軸になりやすい。
ChatGPTがさくっと纏めたのが以下。
【まず前提として何が変わったのか】
三宅氏や土井氏が共通して見ているのは、「自分は何者か」という問いに対して、内側から答えをつくるより、外側から与えられる反応によって暫定的に確定させるほうが合理的になった、という状況です。
かつては、学校・会社・家族・地域といった枠組みが半ば強制的にアイデンティティを与えてくれました。不自由ではあるけれど、「自分はここに属する誰かだ」という最低限の答えは自動的に手に入った。しかし今は、その枠組みが弱くなり、自由度が増した代わりに、「自分で自分を定義し続けなければならない」状態になっています。
【なぜ「他者基準」が有利になるのか】
この環境で内面基準を持ち続けるのは、かなりコストが高い行為です。自分なりの価値観を言語化し、それを守り、ズレた評価にも耐える必要がある。一方で、周囲に合わせれば、少なくとも「大きく間違ってはいない」という安心が即座に手に入る。
ここで重要なのは、同調が「弱さ」ではなく、「リスク回避として合理的」だという点です。正解が可視化され、逸脱が即座に指摘・共有される環境では、他者に合わせることは自己防衛になります。評価経済のなかで生きる以上、評価を落とさない行動を選ぶのは、かなり自然な判断です。
【人間関係が「セーフティネット」になった】
もう一つ大きいのは、人間関係そのものが生活の安全装置になっていることです。仕事、情報、居場所、承認、娯楽、その多くが人づて・コミュニティ経由で手に入る。すると、人間関係を壊さないことが最優先課題になります。
土井が言う「自己肯定感を他者の反応に委ねる」状態は、感情の問題というより、生活構造の問題です。関係を失うリスクが高すぎるからこそ、空気を読み、ズレを最小化し、「この界隈の正解」に寄せていくインセンティブが異常に強くなる。
>この時代に生まれなくて良かった~
これは友人とも話しますね。俺らの世代ってSNS世代から外れてるから楽だよなって。
まあ、私レベルのシゾイドだとどの時代でもこんなもんかもしれないけど。
>『汝、星のごとく』
読んでないけど、アマゾンレビューが5000オーバー。発売後3年経って仙台市図書館にも26冊あるのに未だに70人待ち。すごい人気作だね。手が空いたら読んでみるか