一日オフなのは久し振り
>ダークイーネは言ってしまえば不謹慎厨
>この空気を打ち破ること。それこそがアイドルプリキュアに課せられた使命
喩えるなら「文化祭を全力で盛り上げて楽しもう!」スタンスの陽キャ主催側が「は?毎年恒例のルーティーンイベントに何マジになってんのww」と斜に構える冷笑系とバトってるみたいなものかな。そして一般学生からより多くの支持を集めて“空気をつくった方”が勝ち…ということでしょうか。どこかしらゲーム的というのか、過去シリーズでは見たことの無い対立構図の設定が興味深いですね。仰る通り展開のマンネリを打破すべく制作陣も懸命に頭を振り絞っておられるんでしょうねぇ。
>フリーレン
>殺伐としてないパーティが描かれるだけで、泣ける程の希少価値を感じる
同感ですね。冒険者の日常が淡々と描かれるだけなのに、何故か物語に引き込まれる不思議(笑)。ふと筒井康隆『旅のラゴス』の冒頭部を思い出しました。
>思った以上にヤマなし、オチなし、意味なし
『成瀬シリーズ』に惹かれて本書を読んだ人は私を含めてみんな虚無顔になるんじゃないかなw(毒)。
>現代の感覚で読むとフラストレーションが溜まる内容
>トリックとかも最早辻褄合わせで、無尽蔵の金と体力で子どもと遊ぶおっさん。それが怪人二十面相
うーん、こういう物語がエンタメとして受け入れられた当時の世相に思いを馳せるためというのならまだしも、現代ではちょっと読もうかって気にはなれない内容でしょうかw(苦笑)。という訳で江戸川乱歩の作品は殆ど読んでいない私ですが、星新一や筒井康隆らの才能をいち早く見抜き、作家デビューへの足掛かりを提供した慧眼にはただただ恐れ入るばかりです(↓)。
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…江戸川乱歩からは我が家に手紙が来た。当時乱歩編集だった推理小説誌「宝石」に特集を組んで[兄弟四人の手になる自費出版の同人誌「NULL」から]兄弟の作品を一篇ずつ三篇載せたいということだった。家に来たその手紙の内容を仕事先で聞かされたおれは、近くの喫茶店へ一人行き、自分の幸せをからだ一杯に身に沁みて感じながら一時間ほどじっとしていたものだ。… (『筒井康隆自伝』文藝春秋2025 p.89より)
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>この人たちは「暇を持て余す」
>大抵の人は仕事できるなら仕事した方が経済的にも精神的にも安定する
>社会から疎外されて無為に時間を潰して生きられる人間なんて一部の社会不適合者だけ
とある英語の入試問題集に収められていた哲学者バートランド・ラッセルの文章を思い出しますね(↓)。
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… しかし、私の考えでは、仕事の量が多過ぎないかぎりは、最も退屈な仕事でさえもたいていの人々にとって働かないでいることよりも苦痛は少ない …… 仕事の大部分はそれ自体は興味深いものではないが、そのような仕事でさえも幾つかの大きな利点がある。まず第一に、それはいちいち自分で何をするかを決めなくても一日のかなり多くの時間を埋めてくれる。…… 指図があまりにも不愉快なものでないかぎりは、一日のどの時間に何をするかいちいち指示されたほうが、断然具合いがいいのである。ひまな金持ちたちはほとんどみな、いやな仕事をしないですむことの代償として、口では言えないほどの退屈を味わわされている。
したがって、仕事は、なによりもまず第一に、退屈を防ぐものとして望ましい。なぜならば、おもしろくはないがしなければならない仕事をしているときに人が感じる退屈は、何もすることがなくて感じる退屈とくらべれば、無に等しいようなものである。仕事がもつこのような利点には、もう一つの利点、すなわち、仕事は休日がやってきたときそれをずっと楽しいものにしてくれるという利点が結びついている。……
(中原道喜 著『基礎英語長文問題精講』旺文社1994、長文問題36より抜粋引用)
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創世記によれば楽園と評されるエデンの園でも、堕罪前のアダムがヤハウェから土地の耕作(と保守管理)を命じられていますからねぇ(創世記1章15節より)。この挿話には無聊を慰めるための労働の重要性を説く古代人の知恵が反映されているのかもしれません。
残念ながら私の場合「(薄給に対して)仕事の量が多過ぎる」ということが目下最大の問題ではありますがw(自虐)。とはいえ定年退職がそろそろ視野に入って来たのは事実なので、ご指摘の「小人閑居して不善をなす」問題への対処法を今から考えておくべきなのかなぁとは思います。
>報われる保証が欲しい
>予備の予備を持とうとする心理
これが若年層の結婚率や出生率が下がっている一因なのかなと思ったりはしますね。確かにパートナー選びにしても子育てにしても、人生におけるハイリスク・ハイリターンなイベントなのは言わずもがなですが、昨今の社会構造が「リスク」の方に目を奪われ易くさせているのかもしれません(私もこのSNS全盛の時代に生まれていたら結婚しなかったような気がしています)。何となくですが、重篤な副作用を被る可能性がゼロでは無いからという理由で、ワクチン接種を断固拒否する風潮と私には重なって見えますね。
>エイドリアン・レイン『暴力の解剖学』
やっと読了しました。著者の主張は極めてシンプルです。犯罪に至る反社会的性格は劣悪な生育環境などの後天的要因だけでなく、生まれ持った脳や自律神経系における生物学的構造および機能不全によるものも少なからずある、つまり社会的要因と生物学的要因と(=バイオソーシャル)が複雑に作用した結果として暴力的犯罪が生まれるのではないか…ということですね。
「犯罪には生まれと育ちの両方が関与している」というのは私には割と当たり前な主張のような気がするんですが、少なくとも著者がこの研究を開始した1970年代は「戦中戦後に特に猛威を振るったおぞましき優生学の復活」と見做されて、『不可逆少年』でも言及されたように「少年法が理念として掲げる教育主義とは真っ向から対立する」タブー視された異端の論だったらしいですね。因みに著者は出典の明記された多数の信頼するに足る先行研究を引用しつつも、データの因果関係と相関関係とを混同するなかれとの自戒を繰り返しながら極めて慎重に自説の論証を進めており、流石30有余年この道で飯を食っているだけのことはある誠実な態度に私は非常に好感が持てました。加えて本書全体を貫く論旨の筋が一本ハッキリと通っているので、門外漢である私にとっては分厚い割に大変読み易かったです。
それ以外にも「(脳スキャン画像によると一般人と比較して)殺人犯の脳の前頭前皮質はほとんど活動していない(p.108)」とか、「反社会的な子どもは、安静時心拍数が実際に低い(p.163)」とか、「男性的な特徴たる高い攻撃性が薬指の長さと結びつく(p.295)」とか、「魚の消費量が多い国ほど年間殺人発生率は下がる(p.320)」とか、暴力的犯罪と人体構造および食習慣との密接な相関を窺わせるトリビアネタが多数登場するのも評価ポイントですね。
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… さて、生まれつきの殺し屋(ナチュラル・ボーン・キラー)は、ほんとうにいるのだろうか?この問いを「暴力に至る変えられない運命が存在するのか?」と解釈するのなら、答えは「ノー」だ。しかし本章[6章]では、暴力の構造の形成には、胎児期、周産期の衛生状態に関わる、さまざまな要因が介在することを見てきた。…… これらカインのしるし[=犯罪者であることを示す身体的特徴]は、生物学的な基礎を持つとはいえ、本質的には環境的なプロセスによるものであり、遺伝的なものではない。もう一度基本に立ち返って繰り返すと、暴力の解剖学を正しく理解するには、生物学的なプロセスと社会的なプロセスが密接に作用し合う事実を、十分に考慮に入れなければならないのである。確実に言えることは、誰が犯罪者になるかというくじ引きでは、サイコロの目の出やすさが早くからセットされているケースもあるということだ。(p.307~308より抜粋)
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とはいえやはり557ページは長いw。御大のようにAIを使えばもっと効率よく読めるのかなぁとも思いつつも、相変わらずチマチマと読書し続ける私ですw(苦笑)。
>『汝、星のごとく』
そんなに巷では人気なんですか(驚)。私の感想をネタバレ回避で簡単に纏めると、苛酷な環境下に置かれた主人公らの成長物語として中々読ませるものの、ラストはこじんまりと綺麗に纏まり過ぎていてやや拍子抜けだった、という印象でした(うろ覚え)。まぁ現代風にアップデートした「ウサギと亀の寓話」だと割り切って読めば楽しめるかなとは思います(←相変わらず謎の上から目線)。