あんなもニジーも子どもとして描かれている
>ニジー
幹部含めて全員妖精なのか、ウソノワールだけが妖精で幹部は彼が作った人形(駒)なのか、あるいはウソノワールは人間で幹部はお供妖精なのか現状わかんないんだよね。
これで何が変わるかと言うと、ニジーの言動って子どもが親にアピールしている態度そのものなんだよね。アゲセーヌとの言い合いも子どもの順番決めのソレに近い印象の方が強くて。だからあんながみくるに気を遣って独断専行したように、ニジーも親の歓心をかいたくて独断専行したという解釈も腹落ちする(私は半分その路線で見てる)。
いずれにしても幹部、特にニジーは部下ってより子どものソレに言動が近いから、こいつを序盤で印象付けることでプリキュア側との対比や敵のポジション取りしてるかなって感じますね。
>比較的新しい学問領域では~暫定的に依拠するしかない
そこは別に否定も消極態度も取ってないよ。実際私色んな新しい本読んでるし。
この話の根本って「知識の信頼性は何で担保するか(納得するか)」だと思うんだけど、この道の者さんはおそらく権威主義寄りだよね。第一人者の原典をまず当たる。そこを基準に置く。学問的には王道。
それに対して私は実証主義とか実用主義なんですよ。とりあえず使えれば良い。
前提として私は人間をアホだと思っているので信じていません。今信じられていることでも100年後覆っている可能性は十分にある。それは100年前と比較すれば容易に実証できる。だからといって人間が言っていることが何もかも間違っているとは思っていない。使えるなら使えば良い。
だから「その分野の第一人者の見解に暫定的に依拠」は当然する。だってそれが現在最新の「使える」ものだから。でもそれは今この瞬間であって、10年後20年後に変わっている可能性もあるから(可能なら)更新すればいい。新しいバージョンのソフトウェアやOSを使うように、道具も知識も新しいものを使えばいいんじゃない?っていう考え。
知識や正しさは変わっていく、と思っているから原典に重きを置かないんですよ。機能的に代替できるならそれでもいいと思っているからAIの活用にも抵抗がない。自分で言うけど、私、一般人よりも圧倒的に本読んでるでしょ?w でもそれも情報の一つでしかないって思ってる。
>降りるってことを意識の隅に住まわせたい
>降りるってことを肯定的選択肢として持ち続けたい
これはFIREで例えるとわかりやすいね。
投資とか配当金で働かなくてもいいレベルの収入を得ている。もしくは会社を辞めても致命的にならない(給与が下がる職についても十分暮らせる)。そういう状況であれば常に「会社を辞める」選択肢を持ちながら働けるから精神衛生的に楽になる。上司に理不尽なこと言われても「どーせ辞めてもいいしな」で流せるようになる。これは投資界隈でよく言われるw
ここで重要なのは「降りる」選択肢が選べること。辞める選択は十分に肯定的選択になり得る。けど、もし本当に会社を辞めたら次の選択肢を探さなければいけない。場合によっては選択肢がなくなる。「だいたい結果はろくでもないことになる」は逃げた先が袋小路になることを示唆している。
あの会話って確かほぼ終盤だったと思うけど、あの時点で浜野は主人公が限界であることに気づいていたはずで、そうすると仕事を辞めたあとに(何かやらかしたあとに)選択肢がなくなってしまう。だから「生きていい」って選択肢を与えているんだね。「降りる」は「生きる」ことを前提としているけど、主人公はその選択肢すら持てなくなっていたから。
ニーチェの「超人」は哲学的思想だけど、「降人」は生きる知恵、処世術に近い印象を受けましたね。