一日に二通記すのは何年振りかなぁ
>10年後20年後に変わっている可能性もあるから(可能なら)更新すればいい
>新しいバージョンのソフトウェアやOSを使うように、道具も知識も新しいものを使えばいい
(↑)このあたりは私も同意見です。ただChatGptの登場以降、あらゆる学問分野に関して最新知識がアップデートされる度合いが加速度的に増したようには思いますので、10年どころか5年前の新書の内容ですら既に過去の遺物になってしまっている感が個人的にはありますね。2015年に野村総研が発表した「AIやロボット等による代替可能性が高い(低い)100の職業」のリストを改めて眺めてみると、未来予測が如何に難しいものであるかがよく分かります。https://www.nri.com/content/900037164.pdf
>知識や正しさは変わっていく、と思っているから原典に重きを置かない
ここは御大と見解が分かれる部分ですね。たとえ現代では間違っているとされる知見であっても、少なくとも原典発表当時は「(暫定的ながら)正しいもの」として世間に受容されたという点を私は評価します(その原典を批判したり修正したりを繰り返しながら今がある訳ですから)。つまり原典を金科玉条の如くそのまま鵜呑みにはしないが、学問の歴史的において果たしてきた役割を重んずるスタンスといえば良いでしょうか。
そういったいわば「叩き台」的な役割をAIが担えるか?となると個人的にはちょっと疑問なんですよ。プロンプト次第で出力される内容が大きく変動するというのは、議論の足場がフワフワと定まらない( = 議論が深まっていかない)感覚が先立ってどうにも落ち着かない気持ちになります。私の場合、少々間違っていても構わないから、生身の人間たる当代の第一人者に「自身の責任において、現段階で私はこう思う」と断言して欲しいのかもしれません。思えば私がAIに質問を投げ掛けるのを余り好まないのも多分にそのせいなんでしょうね…まぁ、ここまでくると単なる好き嫌いの問題ではあるのですが。
>この道の者さんはおそらく権威主義寄り
ご指摘の通り私自身「権威主義寄り」思考の持ち主だと思います。それは自身の感性が世間一般からズレているように感じることが多いので、自身の価値判断に我ながら信用が置けないという不安感の裏返しでもありますね。
>投資とか配当金で働かなくてもいいレベルの収入を得ている。もしくは会社を辞めても致命的にならない(給与が下がる職についても十分暮らせる)。そういう状況であれば常に「会社を辞める」選択肢を持ちながら働けるから精神衛生的に楽になる
>「降人」は生きる知恵、処世術に近い印象
成程、安部公房『砂の女』のラストで、溜水装置の発明により、村人から毎日配給される水に最早依存しなくてもよくなった主人公が、今や「出て行こうと思えば何時でも村から出て行ける」からこそ、敢えて村に留まることを選んだみたいなものですねw(←読んだ人にしか分からない譬え)。
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… べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。それに、考えてみれば、彼の心は、溜水装置のことを誰かに話したいという欲望で、はちきれそうになっていた。話すとすれば、ここの部落のもの以上の聞き手は、まずありえまい。今日でなければ、たぶん明日、男は誰かに打ち明けてしまっていることだろう。
逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。