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スレッドNo.649

4人目のプリキュアは誰なんだぜ

 実は候補者4名とも揃って燻製ニシン(ミスディレクション)で、本命はポチタンだったりしてw。


>プリキュアで剣系の武器って子どもウケがよくないのか定番化しないんですが、ビームサーベル式なら演出の範囲なので行けると踏んだらしい

 20年近く前ですけど、『GoGo』で五人がビームサーベルのようなもの(キュアフルーレ)を装備していましたっけね。確かその前年の『Yes!』でもキュアアクアが白馬に跨がってビームサーベルのようなものを構えていたような…?(調べてみたら34話でした)。

 でもどちらも、(教育的配慮からか)得物を振りかざして真正面から相手に斬りつける…という描写はやってなかったように記憶しているので、今回は演出として割とギリギリを攻めているなという印象でした。しかも浄化した後のアンサーに笑顔で「キュアっと解決!」と決め台詞まで言わせてますし。

 そういや今思い出しましたけれど、確か『GoGo』の劇場版でキュアドリームが剣戟を披露していましたね。とは言えラスボス(ムシバーン)を倒した後のドリームは、何とも言えない悲し気な表情を浮かべていたものですが。


>当時の物価としてはなかなかの賞金

◆◆◆

 この探偵小説には私が懸賞をだします。犯人を推定した最も優秀な答案に、この小説の解決篇の原稿料を呈上します。…
 坂口安吾

◆◆◆

 本作が雑誌で連載されていた当時(1947~48年)は戦後のハイパーインフレが進行中だったことを考慮すると、「一等賞金一万円」というのは」大体当時の技術労働者(機械工・溶接工)の月給に相当すると考えてよさそうですね(↓)。

【参考:コインの散歩道 明治~令和 値段史】https://coin-walk.site/J077.htm

 因みに本書末尾には「犯人さがし懸賞」正解者発表も附記されていて、それによると一等1名(賞金一万円)・二等3名(同五千円)・三等1名(同二千円)・四等3名(同一千円)だったとのこと。つまり勤め人の月給三ヶ月分を坂口安吾が自腹で負担したってことみたいですね。う~ん、流石無頼派の名に恥じぬ太っ腹なエピソードです(笑)。

>GW期間中の読書

● アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』1926発表
 https://www.amazon.co.jp/dp/4151300031

 言わずと知れたクリスティの代表作の一つ。執筆されたのは丁度100年前ですが、(細部の描写にやや気になる点はあるものの)、発表当時物議を醸したと聞くメイントリック ― 現代ではミステリー物の標準装備 ― の仕掛けそのものを生み出した才覚には全く驚かされますね。事前に決定的なネタバレを耳にすること無く読めたのは誠に幸運でしたw(笑)。今更ながらの超定番ですが、オススメですね。

● 瀬名秀明『ロボット・オペラ』光文社2004
 https://www.amazon.co.jp/dp/4334924379

 どっかで聞いた名前だなと思ったら『パラサイト・イヴ』の著者でした(1995年発表・私は未読)。

 ロボットの歴史を10年刻みで纏めた氏の文章に、それぞれの時代を象徴する中短編のロボット物をアンソロジーとして加え、更にロボット関係者らのコラムを差し挟んだ厚手の「ロボット入門書」です。まぁ比較的癖の無い文章ということもあってサクサク読めはするんですが、流石に771ページを読み切るのは中々の骨折りでしたw(苦笑)。20年以上前の書籍ながら、中短編の中には現在隆盛を極める生成AIの問題を先取りしているかのように見えるものも含まれていて興味深かったですね。

 個人的に一番興味を惹かれたのは以下の件でしょうか(↓)。

◆◆◆

 AI研究とロボティクスの接点では、…「記号接地問題」が重要な課題となった。これは記号(シンボル)をどうやって実世界と関係づけるかという問題である。…例えばリンゴについて考えてみよう。私たちは赤ちゃんの頃からさまざまな経験を重ねることで、常識や抽象概念を身につけている。リンゴを見ても他に目に飛び込んでくるものをちゃんと選り分け、世界の中からある部分だけをリンゴとして切り取り、それを「リンゴ」という言語によって記号化して意味を理解している。そして私の持っている記号とあなたの持っている記号が接地(グラウンディング)しているので、つまりリンゴに対する共通理解があるので、私とあなたはリンゴについて語り合うことができるのだ。これが記号接地である。

 だがAIにリンゴを理解させようとするときはどうなるか。AIのシステムに「リンゴ」という記号を組み込んだとしよう。しかし、AIはその記号を実世界にあるリンゴとどのように関連づければよいのだろうか。AIは世界のどこからどこまでをリンゴとして切り出せばよいのか。仮にリンゴを一度も見たことのない人がいたら、その人は辞書で「リンゴ」という単語を調べても現実のリンゴをうまくイメージできないだろう。その状況とよく似ている。

 この難問を解く鍵として、身体性が脚光を浴びるようになったのである。MITのロドニー・ブルックスは「知能は身体を必要とする」と主張し(1991)、「身体的知能」という言葉でそのことを表現した。ブルックスに共鳴するロボット研究者たちは、システムが身体性をもって(すなわちロボットとして)環境とインタラクトとすることで、実生活にある物を物理的に理解し、記号を創発させることができるだろうと考える。前章で述べた(※)「フレーム問題」とこの「記号接地問題」は、やがて認知ロボティクスという新しい研究分野において、解決すべき大きな課題となってゆくのである。(本書p.590より)
――
 (※)環境に何かを働きかけようとするとき、その影響はどの範囲まで及ぶのか。その範囲をロボットに理解させるためには、ある行為をするとき、それによって何が変化しないかをいちいち記述しなければならない。だがこれではあまりに膨大な記述が必要になって、情報量が爆発してしまう。この煩雑さを逃れていかに効率よく「変化しないこと」をプログラム上で記述できるか。簡単にいえば、ロボットに端折る能力を与えるにはどうすればよいか。これが有名な「フレーム問題」であり、1969年にマッカーシーとヘイズによって初めて論文の中で提示された。(本書p.505より)

◆◆◆

 ところで先月の100分de名著では哲学者のヴィトゲンシュタインが取り上げられていたんですが、活動後期に分類される著作の中にこんな一節があるみたいです。

◆◆◆

 意味とは本当に、言葉の使われ方ということに尽きるのだろうか。言葉の使用が生活と噛み合う、その仕方なのではないだろうか。というより、そもそも言葉を使うということ自体が、我々の生活の一部なのではないだろうか。…… 使い方は知っているが、理解せずにそれをなぞっている、ということはありえないだろうか。…… 理解というものが成立するのは、何か別のことにおいてではないか。すなわち、「自分の胸の内に」感じること、当該の表現を体験することにおいてではないだろうか。(『哲学的文法』より)
―――
 痛みを感じたことが一度もない人に、「痛み」という言葉は理解できるのだろうか。(『哲学探究』第一部より)

◆◆◆

 そのうち「AIに人間のような五感を持たせるにはどうすれば良いか」なんて取り組みが始まったりするのかもですね(笑)。


>あかね噺 第五席

 う~ん、話の運びが雑ですねぇ(毒)。

 前回の第四席(老人ホームが舞台)で観客一人ひとりと目を合わせていたくらいだから、進路指導の先生が会場に来ていたことは(薄々では無く)即座に気が付いて当たり前なんじゃないでしょうか。教師の臨席を見越した上でそのシチュエーションに合ったマクラを即興で振るくらいしてくれないと、「気働き」なるテーマとの整合性が取れないように感じました。あと保護者と受入れ先(あかねの師匠)が認可しているのにも拘わらず、三者面談すら行わずにあかね一人のみを呼び付けて翻意を促す進路指導のあり方そのものにも少なからず違和感(というより嫌悪感)を覚えました。

編集・削除(編集済: 2026年05月05日 00:30)

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