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スレッドNo.89

エドマンド・バーク「絶対者を念頭に置くがゆえに、私達は自分の不完全性を意識し続けることができる。」

>誰もがそんな理屈を持っている。そして大なり小なり失敗をやらかす。そこから学び世界観を修正していく。

 以前この板で話題にした、保守陣営の代表的論客の一人である中島 岳志氏の「永遠の微調整」なる文言を想起させる今回のエピソードでしたねぇ(↓)。

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 私たちの「現在」は、膨大な過去の蓄積の上に成り立っています。私たちが担うべき改革のための作業は、その過去から相続した歴史的財産に対する「永遠の微調整」なのです。この「微調整」をずっと続けていくというのが、バークの思想のエッセンスであり、保守思想そのものなのです。
(100分de名著・オルテガ『大衆の反逆』p.97より)

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>読む本が被っている

 昨年の12月初旬に私が春日武彦氏の著書を紹介していましたので、無意識の内にお互いに引き寄せられたのかもですね…それは兎も角、恐らくこれは被らないと思います(↓)。

https://www.amazon.co.jp/%E6%9E%A2%E5%AF%86%E9%99%A2-%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A5%A5%E3%81%AE%E9%99%A2%E3%80%8D-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%9B%E6%9C%88-%E9%9B%85%E5%A3%AB/dp/4065285917

 「枢密院」なる、どことなく禍々しい語感を持つ名称に聞き覚えはあっても、じゃあ具体的に何をやってたの?と言われると私自身全く知らなかったので、取り敢えず今回読んでみました。

 Amazon評の中ではCadmium yellow氏のコメントが本書の内容を上手く要約しているように思いますね。中公新書『日本史の論点』にも記載されているように、明治憲法体制は建前としては王政復古による天皇親政ですが、その実態は天皇に政治的責任が及ばないよう周到かつ徹底的に権力を分散させる手法が取られていました。同様に枢密院も、例えば諸外国との条約締結などの内閣から上がって来た重要国務事項に対し、天皇が可否の決定(裁可or不裁可)を行う際に諮詢(しじゅん)を受ける(=参考意見を求められる)ことで、天皇の政治的責任を肩代わりする役割を担っていたのだとか。「政府への権力集中を抑制し、権力の均衡状態をはかる(p.10)」ための、いわば“政界のお目付け役”としてかの伊藤博文によって「発明」されたらしいですね。。

 とはいえ帝国議会での論戦が戦時中においてさえ一般国民に公開されていた一方で、枢密院を構成する顧問官らは選挙で選ばれた訳でも無く、かつ外部への情報開示が全く義務付けられていない国家機関だったのもまた事実で、実際設立当初から既にその存在意義が問題視されていたらしい。しかし曲がりなりにも明治憲法に明文化されていたこともあり、法的根拠の一切無かった元老制度が第二次大戦前に消滅した(=元老が死に絶えた)のに対し、枢密院制度は形骸化しながらも一応戦後まで存続することとなります。

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 近代日本の立憲制は立法、行政、司法の三機関に加え、枢密院という天皇の最高諮問機関を組み込んで成立した。枢密院は内閣に対する牽制と均衡を原理とし、政治に慎重を加えることを目的に設立されたが、そのために日本の政治は多元化し、また複雑化した。もし枢密院がなければ、近代日本の政治はどれほどシンプルであったか。…… 近代の日本は、貴族院と衆議院のほかに枢密院が存在する三院制だったのではないだろうか。…… 三院制とは、なるほどうまい表現とは思うものの、近代立憲主義の要件をなす、いわゆる三権とは関係がなく…… さらに、たとえ戦時中ではあっても、帝国議会の論議が「官報」で国民に明らかにされていたのとは対照的に、一切の議事が非公開で国民から隔絶していた密室性を合わせて勘案すれば、枢密院はむしろ諧謔の意味も込め、「奥の院」といった方がぴったりくるのではないだろうか …… その「奥の院」が衆議院から弾劾され、デモクラットたちから存在を否定されながらも、戦時体制と戦争の遂行に最も批判的な国家機関であったという事実は、近代日本のあまりにも深刻なアイロニーである。(本書エピローグp.318~329より引用)

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 大正デモクラシー期には政党や進歩的知識人らと度々利害が衝突した一方、日中戦争以降は軍部の暴走に対する一定の歯止めとして機能したことを鑑みるに、よく言えば時代の風に安易に流されない・悪く言えば頑迷固陋かつ教条主義的な「ご意見番」的存在だったと纏められそうです… 個人的には、中世の公家と幕府の二元支配を想起させる「日本的バランス感覚」の所産だったような気がしてなりません。

 以前この板で話題になったこの本(↓)の内容も思い出されます。まぁどう言い繕ってみたところで、結局は「大日本帝国」という神輿を担ぎ、最終的に開戦責任を有耶無耶にする結果へと繋がった一組織体に過ぎなかったんでしょうが。
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%81%AB%E8%B8%8F%E3%81%BF%E5%88%87%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B%E2%80%95%E3%80%8C%E4%B8%A1%E8%AB%96%E4%BD%B5%E8%A8%98%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E9%9D%9E%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E3%80%8D%E2%80%95%EF%BC%88%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8%EF%BC%89-%E6%A3%AE%E5%B1%B1%E5%84%AA-ebook/dp/B00B3Q2HS8

編集・削除(編集済: 2023年01月16日 23:59)

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