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スレッドNo.3093

汗血馬:前座見習い

前座見習いの金原亭汗血馬でございます。
真打登場の前に福永祐一JRA最終騎乗後のインタビューについての見解(前編)などを一語り致します。
兎に角、小倉の時と比べると東京は大掛かりでしたなぁ。
初めの花束贈呈からして、小倉とは順番も違うは、贈呈の度に記念写真の撮影も行うは、かなりの念の入れようでした。
※最初に東京競馬場の高畑覚場長→東京馬主協会の森保彦会長→関東の騎手を代表して柴田善臣相談役と騎手協会から武豊会長
(善臣も豊もお揃いのデサントMOVE SPORTジャケットを着用、写真撮影は左に豊・右に善臣)
その後のインタビューで二人にどんな声を掛けられたかと聞かれた祐一騎手は『順番が違うだろう』と言われたと答えていました。
更に自分よりも年長の二人に花束を貰うのは複雑な思いがあったと述べ善臣騎手とはサウジアラビアで一緒のレースに乗る事にも触れていました。
さて、前編はここまでにして気になる事など。
花束贈呈の順番を変えて、インタビューでも順番が違うと言っているからには順番が違う何かがある筈ですね。
尚、小倉では九州馬主協会小田切有一会長(字幕なし)→浜中俊騎手(字幕なし)→小倉競馬場(字幕もなく名前も呼ばれず)でした。
片や字幕で名前を書かれた東京と字幕がなかった小倉。
名前には特に注目して下さいという事なのでしょうね。
因みにインタビューの中で出て来た初重賞勝ちのキングヘイロー。
後に善臣騎手に乗り替わった4歳時に東京新聞杯と中山記念を連勝して6歳時に高松宮記念で初GI制覇を果たしています。
※1999年3月14日2中山6日第73回中山記念12頭
 5枠5番キングヘイロー4牡柴田善臣①人気→6枠7番蛯名正義④人気→1枠1番中館英二⑤人気

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