第38回童謡こどもの歌コンクール/こども部門/二次審査収録会の録画第9弾
第38回童謡こどもの歌コンクール/こども部門/二次審査収録会
山﨑 陽斗 (小6)「かぜよ ふけふけ」
吉岡 伊織 (小2)「むぎわらぼうし」
米山 璃夢 (小6)「手のひらを太陽に」
YouTube動画は、歌う個人あるいは家族の名前のあいうえお順にアップされますが、第38回(昨年度)は、ここまでとなります。
さて、日本の童謡の歴史は大正時代に始まりました。大正7(1918)年に発刊された文芸雑誌『赤い鳥』が、純粋な子どもたちの心に寄り添った芸術として、価値のある童話や童謡を創作するためのきっかけとなりました。その歌詞は、日本の四季折々の風景や文化を反映した歌が多く描かれています。
童謡の名曲と呼ばれるものは、大正時代と、昭和20~30年頃多く生まれました。しかし、昭和40年代後半(1970年代以降)から童謡の衰退(子どもが童謡を歌わなくなること)は、始まりました。そこには、いくつかの理由が考えられます。
① メディアの変化: テレビ番組やアニメソング、J-POPなどの影響で、童謡を歌ったり耳にしたりする機会が減少しました。
② 音楽の多様化: 新しい音楽ジャンルやスタイルが登場し、子どもたちの興味が多様化しました。
③ 社会の変化: 戦後の高度経済成長期を経て、生活スタイルや価値観が変わり、伝統的な童謡の位置づけが変わってきました。
これらの要因が重なり、童謡は次第に子どもの日常生活から遠ざかっていきました。昭和61(1986)年に日本童謡協会と公文教育研究会の提唱で「全国童謡歌唱コンクール」がスタートし、平成28(2016)年に「童謡こどもの歌コンクール」という名称に変更されました。この変更は、コンクールが30周年を迎えた際に行われ、より子どもたちの成長や親子の絆を深めることを目的としていますが、実際には、子どもが歌う歌も多様化していることが背景にあると考えられます。
日本レコード大賞童謡賞も第1回(昭和34 1959年)から、第15回(昭和48 1973年)年までは存在しましたが、その歌い手は大人の歌手やコーラスグループで、大慶太が最後の年に歌った「ママと僕の四季」だけが少年の歌です。(B面)は、「ふるさと」です。「YouTubeで見る」をクリックしてご覧ください。
大 慶太 「ママと僕の四季」
大 慶太 「ふるさと」