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ソプラノ♪7ボーイズの「京王駅伝フェスティバル」の出演記録

 昨日、11月17日に行われた「京王駅伝フェスティバル2024」におけるソプラノ♪7ボーイズの出演者と、植木壱太のミュージカル『ラブ・ネバー・ダイ』グスタフ役出演情報、平賀照、植木壱太がディズニー映画『モアナと伝説の海2』にコーラスで参加していることを加筆しましたが、高橋輝、小暮大智の、来年1~2月、東宝ミュージカル「ケインとアベル」に出演については、この二人の個人の歌声がわからないので、日本のソリストのコーナーでご紹介できず、この掲示板でお伝えします。

 氷板さんが撮影したソプラノ♪7ボーイズの「京王駅伝フェスティバル」の出演記録です。なお、コロナ禍の期間は、このイベントも中止しています。
ソプラノ♪7ボーイズ(19.11.17①)「汽車ポッポ〜自己紹介〜動物メドレー」@味の素スタジアム 

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ソプラノ♪7ボーイズ(19.11.17②)「かわいい魚屋さん〜汽車」@味の素スタジアム  

ソプラノ♪7ボーイズ(23.11.11)「汽車ぽっぽ〜ふじの山〜動物メドレー〜村祭り」@味の素スタジアム  

ソプラノ♪7ボーイズ(24.11.17)「汽車ぽっぽ〜ふじの山〜おお牧場はみどり〜村祭り」@味の素スタジアム 


 12月19日に日本テレビ系列で放送された『第12回歌唱王』で、「君をのせて」と「テルーの歌」を歌った川合結人の歌唱は、ボーイ・ソプラノの美しさが映える歌です。「テルーの歌」の一部は、下のアドレスでも見ることができますが、番組を見逃した人は、TVerで見ることができます。〈12月26日(木)18:59 終了予定〉
【歌唱王2024決勝】手嶌葵「テルーの唄」


ウィーン少年合唱団の来日詳報が入ってきました。注目ポイントは次の3つだそうです。
一つ目は来日70周年。
二つ目はウィーンの”ワルツ王” シュトラウス生誕200年。
三つ目は大阪・関西万博に出演が決定。ナショナルデーの5月23日にオーストリアパビリオンにて。

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森井信好さんが登場する歌やCM

 ビッグマンモスのコーナーは、本ホームページが開館した時より、23年以上の間に少しずつ書き加えてきたものであるため、今、改めて読み直すと、時を表す言葉や重なりの修正や、加筆すべきこともありましたので、大幅に加筆修正しました。
 また、このたび森井信好さんのホームページとリンクすることになりました。森井さんのホームページに記載されている「あの頃は TVのこちら側と向こう側 でも 今は… 同じ時代を生きて同じ思い出を持つ『仲間』 何度繰り返して読んでもいい言葉ですね。

そこで、ネットの中から森井信好さんが少年時代ビッグマンモスのリーダーとして活躍されたころの歌やCM、成人になってからの回想談までの映像の動画を集めてみました。

ビッグ・マンモス「火の玉ロック」 


ビッグ・マンモス「いなずまロック」(0:55~1:40) 

ビッグ・マンモス卒業式  
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伊藤咲子✖️森井信好 CM ロッテそーだガム  

ビッグマンモスCM等  
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 なお、森井さんの最新の歌(ピアノ伴奏で「大人の歌」を歌っておられます)は、森井さんのホームページで視聴してください。 

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同時期に少年が歌った歌

坂上 忍 昭和48(1973)年 「小学一年生」  

     
宮本浩次 昭和51(1976)年 「はじめての僕デス あ・い・う・え・お・ん・ど」 

岡 浩也 昭和51(1976)年 「はじめての僕デス それ行け3組」

岡 浩也 昭和52(1977)年 「パン屋のケンちゃん・ボクどうしよう!?」 

後藤拓、東京放送児童合唱団 昭和59(1984)年 「雪祭り」 

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『ケンちゃんシリーズ』と『ドラえもん』は始まったが

 昭和44(1969)年という年は、藤子・F・不二雄(当時は「藤子不二雄」名義)の『ドラえもん』が主に児童向け雑誌でで連載が開始されました。やがて、昭和48(1973)年に最初のテレビアニメ化が行われ、昭和54(1979)年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となりました。また、昭和44(1969)年から昭和57(1982)年にかけてケンちゃんシリーズが放映されました。この2つのアニメやドラマは、当時の児童文化にも大きな影響をもたらしています。その一つは、主人公のケンちゃんや『ドラえもん』の副主人公のび太の服装が、一年中短い半ズボンであるということで、当時は、このような服装が少年服として、可愛くかっこいいと思われていました。

さて、昭和45(1970)年以後になると、少年合唱団が実写ドラマやアニメの主題歌を歌うことは、ほとんどなくなりましたが、そのオープニングテーマを主演の少年や、少年合唱団に所属する少年、あるいは少年歌手が歌うこともありました。西六郷少年少女合唱団は、最初の数年間は少年合唱団でしたが、その後少年少女合唱団として活動しました。アニメのテーマソングのレコード等に「西六郷少年合唱団」と書かれているのは、男子だけの選抜だったのかもしれません。昭和50(1975)年、上高田少年合唱団の指導者の奥田政夫が退職し、その歴史も幕を閉じたことは、時期的にも一致します。ところで、平成12(2000)年には、ウィーン少年合唱団に映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』のテーマ曲を歌わせることもありました。これは、「ドラえもん」も国際化したとも言えますが、日本にも少年合唱団があるのに、いかがなものかと思うこともあります。
一方、少年少女合唱団である杉並児童合唱団などは、その後も単独で、あるいはコーラスとしてテレビアニメの主題歌に参加しています。

 このシリーズを通して一番言いたかったことは、特に、昭和30年代後半から40年代(主として1960年代)は、ウィーン少年合唱団の初来日がきっかけとなって、全国的に少年合唱団が誕生し、テレビを通して日本の少年合唱団の歌声が子どもの身近なところにあって親しまれていたという土壌があったということです。
しかし、このような人気は、長い歴史に支えられたものではない一過性のもので、そのような土壌がなくなってしまった現在の日本においては、海外の実力のある少年合唱団を日本に招聘してコンサートを行えば、少年合唱が盛んになるといった単純なものではないということです。
 ということで、この連載は、ここまでとします。

昭和47(1972)年
「へんし〜ん体操」(北美奈々、団進也、上高田少年合唱団) 


昭和47(1972)~昭和48(1973)年
「ケーキ屋ケンちゃん」OP (宮脇康之) 

昭和48(1973)年~昭和49(1974)年
「おもちゃ屋ケンちゃん」OP (宮脇康之) 

ケンちゃんシリーズ(5作品 宮脇康之・岡浩也) 

昭和53(1978)年
「星の王子さま」 OP (鈴木賢三郎:フレーベル少年合唱団) 

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へルドゥール・ハリー・ポルダの歌声を集めて

 エストニア少年合唱団出身のへルドゥール・ハリー・ポルダ(Heldur Harry Põlda 1996~   )がいかに傑出したボーイ・ソプラノであったということは、次の歌声を聴いていただければおわかりいただけると思います。プロフィールは、「世界のソリスト」に記載しています。

シューベルトの「アヴェ・マリア」 


オー ホーリー ナイト 
 
天使のパン  
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君住む街で  
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私たちの父


「YouTube dailymotionとリンク(海外編)」に映画『野ばら』と『ほがらかに鐘は鳴る』をリンクしています。日本語字幕は出ませんが、ウィーン少年合唱団の歌声は楽しめます。この映画の動画、現れたり消えたりしていますが、国際的な著作権が絡んでいるのでしょうか?

 ウィーン少年合唱団は、来年、初来日から70年になります。ウィーン少年合唱団の来日は、日本のクラシック音楽界やファンに大きな影響を与えました。彼らの美しい歌声とプロフェッショナルなパフォーマンスは、日本の聴衆にクラシック音楽の新たな魅力を伝えました。また、日本の合唱団や音楽教育にも大きな刺激を与え、より高い演奏水準を目指す動機付けとなりました。

 さらに、ウィーン少年合唱団の来日は、クラシック音楽の普及と促進にも寄与しました。彼らのコンサートは大規模な成功を収め、多くの人々がクラシック音楽に興味を持つようになりました。これにより、日本の音楽文化がさらに豊かになり、国際的な音楽交流の一環としても重要な役割を果たしました。

 来年の公演については、既に、特設サイトも設けられ、東京公演の日程やプログラムも公表されていますが、「U20割引」が目を引きます。今回の来日は、カペルマイスター マヌエル・フーバー(Manuel Huber)の名前から、モーツァルト・コアです。

 子どもを含む若い世代の獲得こそ、日本の少年合唱界あるいはクラシック音楽界にとって大きな課題だと思います。ウィーン少年合唱団は、コロナ禍の期間を除いて毎年来日していますが、他の少年合唱団は、韓国、中国、台湾に来訪しても日本をパスしているようにも感じます。

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エストニア少年合唱団の歌声を集めて

エストニア国立オペラ少年合唱団 50 - クリスマス コンサート 2021  


国立オペラ・エストニア少年合唱団 - キキリプス  

「休日を待ちながら」 - ラスムス・プール、エストニアの民間伝承をテーマに  

ガブリエル・フォーレ 「レクイエム」 

グスタフ・エルネサック / エレン・ニート / アンドレス・レンバ作曲 「電車に乗って」 (劇「レッツゴー、メン、ゴー」より)  

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眠りの精(Sandmännchen)

 『眠りの精』』は、ブラームスがドイツ民謡を基に作曲した子守歌です。原題は直訳すると『砂の精』になります。『眠りの精』はアントン・フォン・ツッカルマグリオ(英語版)の『ドイツ民謡集』(Deutsche Volkslieder)からブラームスが編曲した『15の子どものための民謡集』の第4曲で、子守歌にも分類される曲です。私は、中学2年生の音楽の教科書に掲載されていたので、そこで学びました。
 砂の精はドイツなどの国々で、夜、子どもたちの目に砂を撒き、眠くさせる妖精で、民話や民謡によく登場します。ブラームスは『15の子どものための民謡集』を、親しかったロベルト・シューマンが1856年に亡くなってから、その遺児たちのためピアノ伴奏に編曲して贈ったということです。

アロイス・ミュールバッーヒャー(Alois Mühlbacher)


ウィーン少年合唱団(Wiener Sängerknaben)

ジニ・レーマン(Geni Lehmann )

アルジュン・チャブラ(Arjun Chhabra 11歳)

ドレスデン聖十字架合唱団(Dresden Kreuzchor) 

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ブラームスの子守歌(その3)と 君、恋し君(我が心の花)

ダラ・キャロル(Dara Carroll)


コーマック・トンプソン(Cormac Thompson)


 「君、恋し君(我が心の花)」は、ネット上に少年による歌唱がないので、バリトンや男声合唱でお聴きください。
エーリッヒ・クンツ(Erich Kunz)ウィーン国立歌劇場男声合唱団

ヘルマン・プライ(Hermann Prey)  

ピット男声合唱団(Pitt Men's Glee Club) 
 

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ブラームスの子守歌(その2)

ジョセフ・マクマナーズ(Joseph McManners)  


ロベルティーノ(Robertino)  

リチャード・ボンソール(Richard Bonsall)   

キム・ミンジュン(김민준)   

エリック・ル・ロシニョール(Eric le Rossignol)  

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ブラームスの子守歌(その1)

 1868年7月にボンにおいて、ブラームス(1833~1897)の友人であったベルタ・ファーバー(Bertha Faber)に次男が生まれたことを記念して作曲されました。なお、ファーバーはハンブルクでブラームスが指導していた女声合唱団の一員で、特に親しかったと伝えられています。
 子守唄の一つとして広く知られており、民謡と同等に扱われることもあります。その人気のために出版直後から多数の編曲が出されて、これはブラームスにとっては嬉しくなかったようです。

ペーター・シュライアー(Peter Schreier) 


マックス・エマニュエル・ツェンチッチ(Max Emanuel Cenčić) 

テリー・ウェイ(Terry Wey)  

アロイス・ミュールバッーヒャー(Alois Mühlbacher)   

マイケル・モーリー(Michael Morley)  

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