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スレッドNo.32

新春に寄せて

 あけましておめでとうございます。本年が、皆様にとって良いお年であることを祈念いたします。ジルベスターコンサートの新年のお知らせに合わせてアップしました。

 ウィーン少年合唱団が出演する映画で、日本で一番最初に公開されたのは『野ばら』でしょう。ウィーン少年合唱団が初来日した直後に公開されているので、観客動員もかなりあったのではないでしょうか。その後、テレビでも1960年代から80年代にかけて何度か日本語吹き替え版が上演され、昭和44(1969)年には、映画が夏休みの期間にリバイバル上映しています。

 ウィーン少年合唱団は、毎年ウィーンニューイヤーコンサートに出演しているわけではありませんが、比較的最近出演した2012年の演奏をYouTubeとリンクします。ウィーン少年合唱団は、今年のウィーンニューイヤーコンサートに出演します。ただ、気になるのは、インターナショナル化することで優雅なワルツが聴かれなくなり、せかせかしたポルカばかりが演奏されることです。
トリッチ・トラッチポルカ 


鍛冶屋のポルカ  


 今回採り上げた芦野宏や、五十嵐喜芳が学芸会で独唱したというところから、戦前の小学校の学芸会は、古くは、保護者や地域の人々に学校教育の実情を知ってもらうことも一つのねらいであったでしょうが、出演者は、ある分野が得意な一部少数の児童であったと考えられます。最近では、学芸会(音楽会)も全員参加でしかも独唱は、たとえ部分であってもなしという傾向が強まっています。
芦野宏が、紅白歌合戦に昭和30(1955)~昭和39(1964)年10回連続出場という記録は、おそらくシャンソン歌手としては、破れない記録ではないかと思います。そのことから、当時の日本人の音楽嗜好がわかってきます。偶然ですが、『九重佑三子のコメットさん』第1期:昭和42(1967)~昭和43(1968)年前半で、コメットさんが住み込んでいる家庭の父親役が芦野宏で、『大場久美子のコメットさん』第2期:昭和53(1978)~昭和54(1979年)で、コメットさんが住み込んでいる家庭の父親役が五十嵐喜芳であるというのも不思議な縁です。
芦野宏の少年時代の歌声は、聴くことができませんが、昨年6月18日に生誕98年記念 50周年記念ディナーショーより5曲メドレー映像が公開されました。
芦野宏 生誕98年記念 50周年記念ディナーショーより5曲メドレー映像   

若い時の歌声は、「芦野宏」で検索して代表曲の一つである「幸福を売る男」等をお聴きください。芦野宏の声質が甘いのでテノールと思っている方もいるかもしれませんが、バリトンです。秋川雅史はテノールと自称していますが、バリトンだと思うのですが・・・

2年前の第35回 童謡こどもの歌コンクールグランプリ大会の子ども部門で村方乃々佳ちゃん(2歳)が、「いぬのおまわりさん」で銀賞を獲得、その後、「アルバムをリリースした最年少ソロアーティスト」としてギネス世界記録に認定大活躍していますが、乾澤奏志くん(4歳)は、将来「歌のおにいさん」になるかどうかは別として、村方乃々佳ちゃんとはまた、違った活躍をしてほしいと思っています。重永大武君は、とにかく、「どんなことがあっても、負けないで。」という言葉を贈りたいです。
第37回童謡こどもの歌コンクール こども部門・銀賞 重永大武「大きな古時計」 

第37回童謡こどもの歌コンクール 審査委員特別賞  乾澤奏志「ありがとうの花」


過日ご紹介したフレーベル少年合唱団が歌った「おなかのへるうた」は、消えていましたので、YouTubeのコーナーから消去します。そのほかにも消えているもので新しくつながるサイトがあるものはそれにつなぎ、ないものはリンクを外します。それぞれ、消えたり、つながらなくなったりしたのはどのような事情かは不明ですが、これは、ネット動画にありがちなことです。だから、ネットで拾ってきた映像を掲示板に貼り付けることはしても、それをホームページのメインにはしません。

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