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スレッドNo.52

マックス・エマヌエル・ツェンチッチの歌手としての人生を3つに分けて

 マックス・エマヌエル・ツェンチッチの歌手としての人生を、①ボーイ・ソプラノとしての初期のキャリア ②男性ソプラノとしての試行期 ③カウンター・テナー歌手の時期の3つに分けて書き直してみました。
 美しいボーイ・ソプラノが与えられた少年が、変声期で葛藤して、ソプラノの声を維持しようと苦闘し、ついに、カウンターテナーとして成功するまでを描いてみました。変声期のコーナーをお聴きください。
 マックス・エマヌエル・ツェンチッチは、自分でYouTubeチャンネルを作って、そこで、少年時代以来の自分のいろんな時期の歌声を公開しています。
https://www.youtube.com/@MaxEmanuelCencicSinger 

 19世紀後半から20世紀にかけて、宗教曲(教会音楽)以外の分野でも、少年合唱は盛んとなりますが、その時期の作曲家と作品を採り上げてみました。 
 おそらく、その中で、一番有名な作品の一つは、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」でしょう。ウィーン少年合唱団が、入場曲として「おお、運命の女神よ」を採り上げることもあります。スポーツ・映画・ドラマ・バラエティ・ゲーム・アニメ等のBGMとして使われていることもあります。
カール・オルフ 「カルミナ・ブラーナ」より「おお、運命の女神よ」ウィーン少年合唱団 

 

 童謡こどもの歌コンクールのホームページは、昨年度から、二次審査収録会出場者の歌唱をYouTubeで採り上げるようになりましたが、第37回(2022)については、4月から、逐次アップするようになりました。乾澤 奏志(4歳)の「ありがとうの花」は、本選(YouTubeのコーナーにリンクしています。)で高評価を得ましたが、この時点でもよい歌を歌っています。
阿部 壬保(中1)「ふじの山」

伊藤  諒(小1)「カイカイゾクゾク海賊の歌」   

乾澤 奏志(4歳)「ありがとうの花」   

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