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スレッドNo.167

24時間テレビ

第4回の1981年の昭和56年に、まり子さんが、桜田淳子さんと一緒に、ピンクレディーの「2001年の愛の詩」を歌唱していました。

この24時間テレビは、「愛は地球を救う」をキャッチフレーズに、全国から寄せられた善意で、福祉車両や福祉用品の贈呈、災害復興や環境保全の活動を行っており、今ではチャリティー委員会が公益財団法人をして認められています。

今の番組は、ジャニーズタレント中心で、難病や障がいを持つ人を題材にした「24時間ドラマ」でも、活躍しています。

それと、障がいを持つ人や難病との闘病生活を送る患者と家族のドキュメントが、多く取り上げられるようになりました。

また、第15回の1992年の平成4年から始まった24時間のチャリティーマラソンでは、番組開始とともに、スタートして足の痛みをこらえながら番組終了までに、メイン会場にゴールするタレントの頑張りも目玉になりましたし、番組フィナーレは、加山雄三さんと谷村新司さんの「サライ」で締めくくるも恒例になりました。(ただ、これも加山さんと谷村さんの存命次第)

その他にも、番組特製のTシャツであるチャリTシャツも、ユニークなデザインとシャツのカラーが選べるようになりました。

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この番組は、全部見切るものではないので、見ているものは、24時間テレビのジャニーズタレントが出演するドラマです。

難病や障がいと闘病する人、その家族を取り上げたドラマ、一部フィクションが入っているにせよ、その中で印象に残った作品は、2014年放送の「はなちゃんのみそ汁」です。夫は新聞記者、乳がんを患って余命いくばくもない母親が小さなはなちゃんに、自分のことは自分でできるよう料理を教えた物語です。

はなに料理を教えた母親は亡くなりましたが、ブログを基にした「早寝早起き玄米生活」の本が反響を呼び、ドラマだけでなく、映画(2015年)にもなりました。

あとは、2016年の「盲目のヨシノリ先生」というドラマです。網膜はく離で、視覚障がいになった新井淑則さんが、普通の中学校の教壇に復帰したいという思いが印象に残りました。

新井さんは、周囲から特別支援学校でないと無理だといわれていましたが、本人の強い情熱と補助教員のサポートのお陰で、復帰することができました。

視覚障がい者は、かつてはマッサージの仕事以外選択肢がなかったのですが、点字や音声の反応、盲導犬のお陰で、行動範囲が広がりました。

それでも、残念だと思うことは、視覚障がいの人が、駅のプラットフォームから転落して亡くなる事故や、歩道を渡っている時に、車に引かれる事故が後をたたないことです。

まだ、世の中の視覚障がい者に対する周囲の配慮が、足りないと感じます。

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24時間テレビは、メインの会場のほかに全国各地の商業施設集会所などで、タレントの方々がPRする形をとっていました。まり子さんも番組の黄色いTシャツを着て、デパートなどで他のタレントさんと出演し、その後メイン会場で並ばれていた映像は覚えています。

始まった当初は、手塚治虫のアニメスペシャルなどが話題に上っていました。この番組は、欧米の本来のチャリティとは体裁が異なりますが、見ている人の意識が変わる「きっかけ」になっていると思います。

駅にエスカレーターやエレベーターが、設置されることが多くなりました。高齢者がこれから増えてゆく日本では、段差や傾斜を減らすなど、まだまだ必要なことが多いです。

みなさんが障がい者の方を助けられるときは、必ず一言声をかけてください。視覚障がい者の方、や車いすを使ってる人にとって、黙って手を引かれたりいきなり車椅子を押されることはたいへん怖いことです。

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ユーチューブに24時間テレビの最近アップされた動画がありますね。「石川ひとみ 桜田淳子 倉田まり子」で、探せるはずです。まり子さんの髪型からすると1981年だと思いますので、日本青年館のコンサートから1週間後くらいなのでしょう。なかなか素晴らしいスリーショットと歌声が堪能できます。

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