評、11/11~11/14、ご投稿分、残り。 島 秀生
11/30から、ぐっと冷え込むみたいですから、服装や体調管理に、充分お気をつけ下さい。
関西詩人協会総会、無事に終わりました。
講演は左子真由美さんのジャック・プレヴェールの詩についてのものだったんだけど、
正直、それ誰やねんと思ってました。
私は、名曲「枯葉」をビル・エヴァンスのピアノでよく聴いていたから、作曲のジョセフ・コスマの名は昔から知っていたんだけど、
「枯葉」の作詞をした人というのが、よもやのこの方でした。
(私のJAZZコレクションにはヴォーカルがないから、とんと知らんかった……。)
左子さんはフランス文学の研究家でもあり、シャンソン好きだから、シャンソンでよく「枯葉」を聴いていたそうです。
「枯葉」は、JAZZにおいても、シャンソンにおいても、名曲なんですね。
●朝霧綾めさん「魔法のお菓子屋さん」
うむ、今回もしっかり、丁寧に書けましたね。
お店の雰囲気が、たぶん実際以上に、夢を持って描かれています。例えば私がそこに行っても、全体のカラフルに「うわあー」くらいは言うだろうけれど、こんなに細かく見ないし、そこまで執着も湧かない。夢も見ない。
この詩は作者の眼を通して見てるから、ファンタジックでいいんです。興味をもって見る度合いが違う。度合いが違うから見えるものが違う。そこがいいんです。
とはいえ、このまま最後まで行くと、ゆるーくなりすぎるかなと懸念したところで、お菓子の国の飛躍が出てきました。この飛躍はナイスでした。創造力は思考力でもあるので、これがクライマックスとなって、話をしめてくれました。
良いと思います。
最後も、また改札探す話で、うまく構成を取りました。
クリスマスに向かうシーズン。飴のサンタクロースの話は、季節にもピッタリでした。
ちょい甘だけど、名作あげましょう。
●cofumiさん「最後の朝食」
2連は、ちょっとだけ変えて、
私はあなたの影ではない
愛って何ですか?と問えば
二人の答えは
夏と冬くらい違うはずだ
この方がいいかな? この連、ステキでした。印象に残る連でした。2人の密な関係性と、反面で心の離れ具合とが、一度にわかる、いい連です。
うーーん、少しシチュエーションを変えて書いてるんだろうなあと思うんだけど、
初連の、「相変わらず」や「当たり前のように」は、年数を経たような長いつきあいの時に使う言葉なので、夫婦かな?って第一印象になります。もし違うなら、もう少し書き方に工夫が必要です。
2連はこれ単独で、良い連なんですが、食い違ってても夫婦を続けてるところも、ままありますから、別れるも別れないも、どちらにでも転ぶ連って感じです。
3~5連になると、明らかに別れる方向の話ですが、
ところが終連(6連)の1行は、逆に親しげな間柄が言う言葉の印象です。そうやって世話を焼いてるあいだはまず別れないので、別れる方向でない話に聞こえます。
こうやって、1つずつお話すると、ちぐはぐ感があるのが、わかって頂けるでしょうか?
たぶん、想像で書いてる部分があるからなのかなあと、思います。
もしかしたら、なにか別れを想起するような契機となることがあったのかもしれませんが、本当なら、哀しみにせよ、怒りにせよ、詩全体を貫くもっと強い情念みたいなものがありそうなものなんですけど、そこにちょっと疑問符がつくんです。だから、あまり迫ってくるものがないのです。弱いというか。
まあ、元々そこまで深いつきあいじゃなかったって場合もあるのかもしれませんが。
うーーん、個々の連には見るべきものがそれぞれあるので、全体に1本、芯をしっかり通すつもりで、もう一度作り直されたらいいと思いますよ。個々にはもったいないものがあります。
cofumiさんは、少し前進してるなあと感じてはいるんですけど、これはちょっと半歩前かなあ。
●白猫の夜さん「朔月の光」
荒削りなんですけど、おもしろい部分の方が多いから、この詩はマルですね。
詩全体を通して貫いてる情念がある。部分に?があっても、全体の情念で読めます。情念の持続性がいい。この詩においては、自分の内にある、行き場のないような想いでしょうね。
部分で良かったのは
のびる朔月の手
大地をふわりとひと撫でして
私の黒い涙をそっとさらって
この連、ステキでした。
たどり着いて見上げたよぞらは
一面の鉱石が
流れる鉄屑が
こういう見方もあるんだなあと、ここもちょっと感心した。
うむ、いいものあると思いますよ。しばらくここで続けられたらいいと思う。
白猫の夜さんは、初回になので、今回は感想のみとなりますが、ぜひまた書いて下さい。
●山雀詩人さん「流星群」
1回目の「本当にここはどこだろう」で夢想し、2回目の「本当にここはどこだろう」で、実際そこに入り込んでる、という展開です。
やりたいことはわかるんだけど、やっぱりちょっとしつこい感じがするよなあー テレビの「世にも奇妙な物語」で、夢が何重にも重なってるような話もあったけど、そこは映像と文字の違いなのか、文字で繰りかえされると、しつこい感があるなあ。
これたぶん、最初、外は星のない闇の夜で、2回目は外にもう流星群が来てるという差異を出そうとしてるとは思うんだけど、どっこい最初も流星群の話が出てしまうので、外が星のない闇だという印象は全く消えてなくなっている。結果的に、外の景色=流星群のイメージが、2度繰りかえされている感になる。そこがしつこく感じる主因かもしれない。
これ、それこそ映像だったら、説明なんかなくても、ビジュアルで両者の差異が明瞭になるんだろうけどねえー。
それと、10連の、
それこそ無数の流星が
君から落ち
僕も落ち
だからみんな止まって見えて
僕をぐるっと囲むだろう
のところが、私にはクライマックスになる美しいシーンに思えたんだけど、すぐあれっ? となってしまうのは、傘を落下傘がわりにしてる作者は他よりスピードが遅いので、そうはならないだろうと、すぐに思い至ってしまうことなんです。そんなわけで、このクライマックスもちょっと空振り感があって、100点ではないんだよね。
うーーん、結論としまして、今の状態だと、やっぱり2回目のくりかえしはヤメて、
12連で、
本当にここはどこだろう
今日ちゃんと帰れるのかな
の2行だけ置いて、終わる案ですね(ラストの3連は削除)、わたし的には。
1~5連はパーフェクトです。この序盤の3分の1はとても良かったです。
ゴトゴトゴト ゴトゴトゴト
ココハドコ ココハドコ
のオノマトペも最高!でした。
力作なんだけど、秀作にとどめます。
●まるまるさん「団地暮らしの自転車通勤」
超いい詩じゃありませんか!!
ちょい甘だけど、名作あげましょう。
新川和江さんが座右の銘にしてる言葉の1つに、「私は傷を書かない。私は傷を治す傷薬を書く」というのがあるのだそうですが、
そんなふうに、この詩は読んだ人間を温かくしてくれる、いい詩ですね。人の傷を治す詩だと思う。
私事ですが、昔、うちのオフィスが入るビルに、ある日、元は気位の高い人だったんだろう面影が残るオバチャンがお掃除の会社の新人としてやってきて、ものすごーーく落ち込んだような真っ暗な顔して、ずっとうつむいて掃除されてたんだけど、
私は、どんな仕事でも働くことが尊いことなのであって、仕事の種類は関係ないと思っていたから、卑屈になることはないよと言いたくて、毎朝積極的に大きな声でその人に挨拶してたんだけど、最初しばらくは黙ったままで挨拶も返ってこなかったんだけど、それでも毎朝挨拶し続けてたんだけど、そしたらだんだん顔あげて、挨拶を返してくれるようになった。何ヶ月かそんなことがあったのち、私は職場が異動になったんだけど、2年ぶりにそこの職場に顔を出すことがあって、行ったら、そのオバチャンは掃除の会社の主任さんになっていて、私の顔を見たら喜んでハイタッチしてくれた。
ああ、通じたんだと思った。良かったと思った。
(すっかり、ペラペラよくしゃべるオバチャンになっていた)
そんなことがありました。以上、余談でした。ちょっと思い出しちゃった。
作品ですが、6連1行目、
通るはずのない団地の出口
この行は、体言止めすると、違う意味を持ってしまい、言いたいことを損ねるので、
通るはずのない団地の出口で
と、「で」を加えた方が、意図がマッスグ伝わっていいです。
そこだけ直してといて下さい。
●エイジさん「花が花のように咲いている」
正直なとこ、うしろ2連目(第4連)になって、やっと話の本題に入ったなって感じなんです。で、話はここからと思って読み続けようとすると、次の連でストーンと終わってしまう。ちょっとガッカリですねー。
言うと、2連からスタートで、2~4連を前半として、後半の残り3連を新たに書いてみてって感じなんです。
現行の4連は、結論に持ってくる重みはなくて、課題レベルなので、前半に置くのが相当です。そしてそこから考えること、感じること、をもっとアタマに巡らせてみて下さい。それでやっと作品が成立するという感じです。
花の詩って世の中にいっぱいあるので、ナメない方がいいです。書くならこのレベルから始めるか、あるいはもっとしっかり観察眼を発揮するとか、何かが必要です。世の中にたくさんあるものだけに、しっかり自分の切り口を持たないと、ただ単に題材に取り上げたというだけでは用を成さないですよ。
ほかに主となるものがあって、副として書く、あるいは添える程度のものなら、気楽に書いたらいいんですけど、「花」を主で書くというのは、水準が高いので案外難しいです。気合い、いりますよ。
今回は半歩前とします。