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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。

(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

可哀想に

気づいたんだ
肌の下に、鱗があるって
おへそが痒くて、ガリッと引っ掻いたら
ベロンと皮がめくれて
爬虫類みたいな肌が見えたんだ
びっくりしたよ
それで
誰かに知られたら、大変なことになる
慌てて、接着剤で皮を貼ったんだ

微妙な肌具合、肌から微妙に鱗が浮き出てる
毎日、びくびくしてた
でもね、気づいたんだ
街を歩くと、ほとんどの人が同じだって
通勤の電車なんか
たぶん全員、鱗人間だと思う
よく見れば、鱗が浮かんでるって分かるんだ

          ✳

そういえば
人間ってさ、何度も地球を壊したじゃん
放射能ばらまいてさ
あちこちで突然変異が起きちゃって
鱗人間があちこちに現れて
淘汰というか
地球が、人間を否定してるんだよね
人間の子供
ここ五十年、生まれてないもんな

そのくせさ
シン・人類革命連合って、怖いよね
「地球を取り戻す」とかで、テロだろ
交渉が決裂して
海のプランクトン、全滅させたもんね
あれって自爆だよね
鱗人間は、窒素で生きてるもんな
だいたいさ
鱗人間は、自然と共生を一番にしてる
科学なんか、ほどほどで十分だし
日向ぼっこをしてるだけで幸せなんだよな
もちろん、戦争なんか絶対にしないね

          ✳

この前さ、久しぶりに人間を見たんだ
一人だけ、なんか怯えていたね
みんな、珍しいから見ちゃうんだ
駅でも電車内でも道でも
ビルの窓からも、みんな見てたな

ああ、そうだ
テレビで言ってたけど
そろそろ皮を剥がしましょう
来月の1日に、一斉にって
人間って
もう100人もいないんじゃないかな

ああ、君は人間だったね
可哀想に

編集・削除(未編集)

サイレン  トキ・ケッコウ

いまみんな
いやだから
何かを言い出したくて
仕方ないのかもわからん
いままで
黙っていたことが
ほとばしっているだけかも
わからない
でも
これだけ救急車の音が
こだまして
それに釣られるように
言い出す人もいて
それもそれで
いいのだと思うが
でもどうなんだ?
あの救急車のなかの
叫び声を
遮るような
サイレンの音は?
ほんとうの叫びを
騒々しい清らかさで
サイレンは
消すように鳴るのだが

ニセの叫びに
耳を塞いで
わたしは
騒音と
ことばの
境目を
探す

編集・削除(未編集)

宇宙人  荒木章太郎

ホルマリン漬けにされた
宇宙人が中学校の理科室の
床下から見つかったという
噂が広がっていた

肝試しにと
真夜中の中学校に
幼馴染の君を誘い出したら
「私は火星人だ」と
告白されて、理科室へ連れていかれた

君が嘘をついていると
証明できずにいるとき
僕の鼓動が遠くの音みたいに聞こえはじめた

「地球人はすでにドーパミン漬けにした」
と君は続けた
笑うつもりだったのに
喉が乾いて 何も言えなかった

僕は君の手を取って
「許嫁になる約束をしたい」と告白した
「こんな時に、ずるい」と
君は涙をこぼした

僕の頭の中で母の言葉が反芻している
(恋は病よ。父さんとは愛し合ってる。)
愛と恋とは 一体何が違うのだろう

個性はまだ確立されていない
人格や特性が 不安定に軋む音を立てる
僕らの成長は病にも似て
この宇宙との調和を乱していた

絶望が口を開けて横たわる季節
こんな青い闇の中に
僕らがいていいはずがない

二人は理科室を飛び出した
校庭の真ん中にある
樫の木の下まで
君の手を引いて走った

黒い闇には
天の川が浮かんでいた

星に誓うように
僕は言葉を続けた

「君を信じるために
約束したかった
僕を守りたかったんだ
君が嘘をついていると
決めつけた僕自身が
許せなかった」

見上げれば
銀河を横切る流れ星
それは一体 何の涙(意味)なのか?

涙の理由を
聞かずにはいられなかった

君が火星人であっても
僕は君を
愛せると思ったから

編集・削除(未編集)

今からあなたに呪いをかけるわ  白猫の夜

今からあなたに呪いをかけるわ
たとえこの身が裂けてしまって
地獄の業火に焼かれようとも
声高々にわらってみせるわ

あなたはどうか何も知らず
塵芥のまま生きていて
私を手酷く叩いたその手で
選択肢をも押しやって
改心なんてしないで頂戴

きっと変わってくれるだなんて
信じて信じて疲れきったけど
ようやく軽くなるところなの
だから私の決心が揺らぐこと
善性の片鱗は見せないで頂戴

地雷をばらまくあなたでいて
被害は多ければ多いほど
十王の審理が重くなる
地獄の底が近くなるから
あなたはどうかそのままで
焦熱地獄なんて生ぬるいから
どうか阿鼻まで堕ちていって

今からあなたに呪いをかけるわ
刺し違え果てんと私が一緒に
あなたを地獄まで連れていくわ
そうして私は奈落の底へ
人を呪わば穴二つ
すでに墓穴は用意したの

それまではどうぞお花畑で
ちゃちなままごとであそびあそばせ
それまではどうぞ夢の中で
覚めない夢をごらんあそばせ

編集・削除(未編集)

小夜啼鳥(さよなきどり) 三浦志郎 7/28

二人の
恋の証しに
ナイチンゲールは歌ってくれました
ロンドンの
バークレー公園での時間でした

二人の
小さな夜のために
その鳥は鳴くのでした
眠ることさえ忘れたように―
美しく鳴き終わった後は
血を吐いて
命を捨てかねないようにー

鳥のことは
そこまでにしましょう
むしろ
私たちの恋のことです

恋の始まりは俗に
”落ちる“とか言われますね

でも 私たちは
落ちませんでした

あの鳥の歌に誘われて
翼のように舞い上がったのです

そして 一緒に
何処までも行けるのでした
そう それは
恋の目的地のようでした
抱擁と接吻という
二人の営みのようでした

やはり鳥の話に戻しましょう
私たちの恋の行方を
ナイチンゲールは占い
祝福を歌にしてくれたのです

それは夜が美しい
バークレー公園の出来事でした



*          *          *          *          *


「ア ナイチンゲール サング イン バークレー・スクエア」
という曲がある。その昔、一度だけビッグバンドで演奏したことがあった。
つい最近も、ある女性シンガーが歌ったのを聴いた。それがきっかけで思い出した。
私はこの曲についてふたつの誤解をしていたのだ。

ひとつ目の誤解は、主題が歴史的に偉大な看護師ナイチンゲールの事だと思っていた。(あのナイチンゲールが「サング」―歌ったのか?)。しかしよくよく調べると、ナイチンゲールとは鳥の名前だった。
(あ、だから「ア」が付いてるわけだ。鳥が公園で鳴いたのか?)

ふたつ目の誤解は、私はこの曲をジャズのスタンダード・ナンバーと思っていた。
そうには違いないのだが、元々はイギリスの流行歌~LOVE SONGであると知れた。どうりで歌詞に「ロンドン」が出て来るわけだ。しかもこの曲の成立は1940年。時あたかも「BATTLE OF BRITAIN」。国家の存亡がかかっている時期に、こういった曲が生まれたのは、明らかに日本とは違う。本来「不謹慎」とされるべきだが、逆に「英国人の不退転・タフネス」として、私は感じ入ってしまう。ともかく元々は、アメリカの曲ではなかったのだ。しかし、こんな美しい曲なら、英米関係なく聴いていたい。ノスタルジックを味わうなら、ナット・キング・コールのフィーリング。モダンな雰囲気なら、ロッド・スチュワート・バージョンがわかりやすい。

ちなみに、ナイチンゲールという鳥は日本には存在しないそうだ。美しい歌声のわりには地味な装いの鳥。そこにある奥ゆかしさ。
ただ日本語訳だけはあって、「小夜啼鳥(さよなきどり)」という優しい名詞が与えられている。恋人たちと、この鳥のためだけに日本語は用意されている。そんな風にも思えて来る。曲を聴きながら調べて、私はなんだか嬉しくなって来たのだった。

編集・削除(編集済: 2025年07月28日 14:41)

荻座様 お礼です 上原有栖

今回も丁寧な感想と評を頂きまして誠にありがとうございます。
この詩はタイトルが何故「鱒」なのか?というところからもう、読み手の方に考え方を自由に委ねる詩となったような気がします。ご指摘の通り、「この詩は〇〇として読んで欲しいです!」とは私も言語化できない詩ですが、そこが自分でも気に入っています。
見えないところで泳ぐ魚をどのような形でも、この詩から感じて頂ければ幸いです。
美しい作品と言って頂けて嬉しいです。これからも楽しく詩に寄り添っていきます。次の投稿の折にも、どうぞ宜しくお願いいたします!

編集・削除(未編集)

人工衛星  静間安夫

物心ついてまもなく
彼方に美しく
青く光るあなたを
見つけたそのとき、
わたしは有頂天になり
たちまち、あなたの魅力の
虜になってしまった

それ以来
あなたの周りの軌道を
ただひたすらに
回り始めたのだ

ところが
いつまでたっても
目指すあなたには
たどり着けない

定められた軌道を
幾たびも
繰り返して
回るより仕方がない

それでも
わたしは幸せだった
何よりも
美しいあなたを
いつも見守ることができ
常に手の届くところに
あなたがいてくれるように
思えたから

しかし
いつしか時は過ぎ去る

そして、とうとう
わたしの寿命が
尽きようとする今になって
かくも数奇な運命が
待ち受けていたとは…

なぜなら
最期のときを迎えて
わたしは初めて
軌道の中心へ
引き寄せられるのを感じ
「ようやくあなたの懐に
たどり着ける」
と歓喜したにもかかわらず
その刹那
こともあろうに
わたしの身体は
むなしく燃え始めたのだから

まるで恋に殉じる
一人の人間のように…

編集・削除(未編集)

荻座利守様 評の御礼です  温泉郷

今回も丁寧にお読みいただきありがとうございました。私の住まいの近くにあって放置されている空き地が気になっております。夜はかなり不気味でして通るときに浮かんだイメージを作品にしてみました。最後の部分、ご指摘のとおり尻切れトンボでした。いただいた案、とても素敵です。能舞台が浮かんで来ました。ありがとうございます。今後とも宜しくご指導下さい。

編集・削除(未編集)

荻座利守様 御礼  aristotles200

荻座利守様
評とご感想、ありがとうございますいます。
佳作とのご評価、とても嬉しいです。

ご指摘の
「やがて飽きる、全て色褪せてしまった」
ですが、確かに、
「程なく訪れた倦怠が、全てを褪色させてしまった」
とすると、詩、全体の格調も上がります。

しかしながら、
「程なく訪れた倦怠が」という言葉、
繰り返し、省みましたが
今の私では、逆立ちをしても出てきませんでした。
如何せん、私の詩作の力不足です。

詩作は、難しいですね。
この一線、凄く大きいと感じています。

毎回、同じことを書いていますが、
今回も、まだまだです。

ご指導、ありがとうございます。
これからも宜しくお願いいたします。

編集・削除(編集済: 2025年07月27日 16:10)

7/22〜7/24 ご投稿分 感想と評です  荻座利守

7/22〜7/24ご投稿分の感想と評です。宜しくお願い致します。
なお、作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。

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7/22 「虚無主義にはなりたくない」 荒木章太郎さん

お寺のお子さんが、親御さんとは違う道を進み、ざざまな経験を経て、実家のお寺を継いだり、似たような職についたりする、といった話をいくつか聞いたことがあります。血は争えないということでしょうか、それとも、幼い頃の成育環境の影響でしょうか。
それはともかく、今回の作品ですが、全体的に以前の突っ走ったような感じが少し抑えられて、やや落ち着いた感じになったような印象を受けました。
まず1連目の「顔の右半分を吊り上げて/ニヒニヒと笑うようになった」という表現が独特で面白いです。また、ワニの剥製の逃亡とネットでの聖地の噂は、現代の都市伝説の発生の経緯を現しているようで、これも面白いです。
ここで重要なのは「聖なるものは/人の噂が作り出すもの」ということなのでしょう。それは聖なるものを人々が求めていることの現れなのだと思います。そしてそのことが「ニヒリズムに陥りそうになった俺は」「まだ見たことのない神に祈る」ということに繋がるのでしょう。
さらにその背景には、工学や自然科学の世界に入っても、ニヒリズムの克服にはつながらなかった、ということがあるとも受け取れます。
そして最終連で、「四葉のクローバー」という、語り手がまだ希望を捨てていないことの象徴とも思えるものがでてくるのが良いですね。
ただやはり、8連目と11連目と12連目の隠喩と、全体の流れとの接点が、いまひとつよくわかりません。
「本物のワニを焼いている」、地下倉庫の下の「稲やレタスや人工肉」、「工夫してきた親父たち」、これらが何を意味しているのでしょう。
自然をコントロールし、聖なるものを白日のもとに曝そうとする人間の浅知恵を「親父たち」と表しているのでしょうか。
このあたりに何か、読み手のための「補助線」になるような部分が欲しいような気もします。
それでも最終連の表現が、うまく抑えが効いていて、詩全体を美しく締めています。
評については、佳作半歩手前とさせていただきます。


7/23 「鱒」 上原有栖さん

どこか内省的な印象を受ける作品ですね。特に1連目の括弧書きの部分は、自分自身との会話のように受け取れます。そうであるならば、タイトルの「鱒」とは現実に存在する魚としての「鱒」ではなく、自分の内面にある何かの象徴であると思われます。それが「心ヶ淵」という淵の名前に表されているのでしょう。
ただ、この「鱒」や「心ヶ淵」が何を象徴しているのか判断するのは、とても難しく感じました。「心ヶ淵」については1連目の「(恥じらいを知った頃から)」というところがヒントになっているような気もします。そして「鱒」については、最終連がヒントになっいるなかなとも感じられます。
しかし、それらについて「自我意識」とか「生命力」とかいった言葉がフッと頭に浮かんだのですが、そんな言葉で表してしまうと途端に陳腐になってしまいます。強いて言えば、はっきりと言語化できないからこそ詩の題材となり得た、詩として表現できたもの、ということになるのでしょうか。
全体的な表現については、抑えの効いた落ち着いたものとなっていて、秘密の場所である「心ヶ淵」という雰囲気に合っています。
特に3連目の、左端を一文字分開けた配置や、「大きな 鱒」や「美しい 鱒」といった、形容詞の後に一文字分空白を置いている表現が、鱒の存在感を表すのにとても効果的だと感じました。
ただ、5連目や最終連でも同様な、一文字分空白を置く表現を用いていますが、3連目の「大きな 鱒」「美しい 鱒」という表現を際立たせたいのであれば、5連目と最終連は普通の配置でもいいのではないかなとも思いました。
でもそれは些細なことであって、全体的に静謐で均整のとれた、美しい作品だと感じました。
評については、佳作としたいと思います。


7/23 「変換」 喜太郎さん

子供の頃は感じるままに動けたのに、大人になって様々な人間関係のしがらみに絡め取られて、心が勝手に言葉を変換してしまう。そんな悲しみや苦しみが丁寧に描かれていますね。
言葉を選んだり笑顔を作ったりすることに疲れるというところは、多くの人が共感することなのではないでしょうか。
そして、何も考えずに踏み出した右足を左足が追いかけてきたといった表現を用いて、それを、一歩踏み出すにも勇気が必要となっている現状につなげているのは巧みだと感じました。
それからその後の、「自分さえ我慢すればって」「見えないふりして心から視線を外す」「もう何度も繰り返すから勝手に動く薄笑い」「綺麗な人生なんて短いから輝くのかな?」といったところは、多くの人が抱えている思いを代弁しているかのようです。
さらに末尾の2行も、苦しみの切実さをうまく現していると感じました。
ただひとつ、タイトルが「変換」であるのに、本編では「変換」ということが、やや隅に追いやられているような印象を受けます。言葉の変換、そして真実と嘘との変換、それらの望まぬ変換、強いられる変換が、どのように心や魂に歪みや痛みをもたらすのか。そこのところを何らかの比喩や、擬音語、擬態語などを用いて表現したならば、その苦しみが読者により感覚的に伝わるのではないでしょうか。
でも最後にもう一つ感じたことは、こんなふうに自分の中の葛藤や醜さを表すということは、自分自身への誠実さの現れなのだろう、ということです。
評については、佳作一歩手前としたいと思います。


7/24 「静けさの世界」 aristotles200さん

静寂に覆われたディストピアを描いた作品ですね。2連目にある「塩の柱」とは旧約聖書にある「ロトの妻の塩柱」から得た着想でしょうか。
ソドムとゴモラの滅亡の際、ソドムから逃げる途中に振り返るなとの神の言いつけに背いたロトの妻が、塩の柱にされたという伝説。
でも、恥ずかしながら私は、まず最初に有川浩によるライトノベル、「塩の街」を思い浮かべてしましました。これは、突如として空から巨大な塩の結晶が落下し、同時に人々が塩へと変わる「塩害」と呼ばれる怪現象が発生した世界の物語です。
それはともかく、全体として厳かな感じで統一されていて、美しく仕上がっていると感じました。
また、三分された世界観により、この詩の構成がとても良く整えられていると思います。
そして8連目の、人々がその愚かさ(?)から塩の柱へと変わってゆくのが良いですね。ロトの妻が振り返ったのも、悪徳の街ソドムへの執着が残っていたからなのかもしれません。また、「最後の声は/ありふれた/母を呼ぶ声だった」というところも、信仰を失ったもののよりどころが母親だったというのが、シニカルでありながらどこか哀愁も感じられて、とても美しいと感じました。
ただこれはとても些細なことなのですが、7連目の「やがて飽きる」や、8連目の「業とか」という表現が、全体の雰囲気にややそぐわない感じがしましたので、それらにもう少し工夫があれば尚いいかな、と思いました。
例えば、「やがて飽きる、全て色褪せてしまった」というところを「程なく訪れた倦怠が、全てを褪色させてしまった」みたいに、また、「業とか」を「あるいは 業」みたいにしてみてはどうでしょうか。
全体を通した文体が厳かな感じなので、これらのような些細な点がかえって目立ってしまうような気がしました。
それでも、それらは本当に些細なことで、この作品に流れる「厳粛なる静けさ」の雰囲気を損なうものではありません。
ですから評については、佳作としたいと思います。


7/24 「深夜の能舞台」 温泉郷さん

都会の中の限られた土地で懸命に生きる、いわゆる「雑草」と呼ばれる草の姿を描いていますね。その、周囲を人工物に囲まれた土地を、能舞台に例えているところが斬新だと感じました。
いくつか植物の和名が書かれていますが、それらの中で一番印象的だったのが、なんといっても「ヘクソカズラ」です。実際にその臭いを嗅いだことはないのですが、何だか身も蓋もない名前ですね。この草からしてみれば、その嫌な臭いも生き残るための大切な手段だったのでしょう。ちなみにこの草には、かわいらしい花を咲かせることから、サオトメバナとかサオトメカズラといった呼び名もあるそうです。
それはともかく、もう一つ印象的だったのは、「外側までは進出できず」「人に踏まれながら」「ぎりぎりの際で/小さな花を咲かせている」といったところが、いわゆる撹乱地に生きる、そして、撹乱地でしか生きられない「雑草」の姿をうまく表していることです。そしてそのことが、次の連の「ここだけが/彼らの舞台」というところをスムーズにつなげています。
さらに、6連目の能の描写が幻想的で良いですね。特に「冬枯れの/幕間に見た夢を披露する」というところが、草たちの生の厳しさが巧みに表されていて美しいです。
ただひとつ気になったのは、その後の終わり方です。なんとなく詩の途中で途切れてしまっているような印象を受けました。その後に詩全体を締める部分があったほうがいいように思います。例えば、
 昼間の街に犇めく
 喧騒の裏に潜む
 誰も観ることのない
 深夜の能舞台
 しめやかに
 ひそやかに
 風の謡に
 緑の装束が舞う
みたいな感じで締めてみてはいががでしょうか。
評については、佳作一歩手前としたいと思います。

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