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2025.6.8~9投稿の感想
※明日から出張のため、お先に失礼します。
こんばんは。
MY DEAR同人の秋冬です。
雨音さんの批評を期待されていた方、佳作等の評価を楽しみにされていた方には申し訳ありませんが、今回はピンチヒッターのため感想のみとさせて頂きます。
恥ずかしながら、あまり詩を読まずに詩を書くようになったものですから、投稿者の意図を私が十分に汲めずに、的外れな感想もあるかと思いますが、参考にならない場合はスルーの上、ご容赦下さい。
☆「旅立つ日に」津田古星さん
津田古星さん、はじめまして。
「旅立つ日に」は、亡くなられたご両親との「別れの日」を綴られていますが、梅雨明け、秋晴れという好天とローズマリー、茶の木が季節毎に見せる植物としての強さ(生命力)が描写され、それぞれ「可憐な水色の花」「慎ましい白い花」という故人を象徴する花を明示していることもあるからなのか、悲しさよりもありがとうの思いが溢れ、「別れの日に」ではなく「旅立つ日に」というタイトルがストンと肚落ちしました。
一読した時は「耐え忍んで働き続けた人の一生を」が「野良に生き 地位も名誉も求めなかった人の一生を」に比べると漠然として「弱い」と思ったのですが、二度目に読んだ時は、おそらく農家に嫁がれ、義父母などとの関係で大変な苦労をされたお母さまのことを考えると、あえて詳細に書かないで「耐え忍んで働き続けた」という表現の方が、逆に「重い」と思いました。私も含め、ついつい「書き過ぎてしまう」ものですが、この「書き過ぎない」点は評価できると思います。
それ以上に評価できる点は「今は肯うことが出来る」「今は誇ることが出来る」にあると思います。「今は」があることで、娘である「わたし」の葛藤が伝わります。「耐え忍んで働き続ける」母親、「地位も名誉も求めずに野良仕事をする」父親に対して、不満や反抗を覚える時期もあったけれど、自分自身も年齢を重ねて様々な経験を積んで「今は肯うことが出来る」「今は誇ることが出来る」と言えることは素晴らしいですし、「旅立つ」人にとっては最高に嬉しい言葉だと思います。良いことばかりではないけれど、やはり根では分かり合える親子の強い絆を感じます。この二行にはホロリとしました。
ここまでは、とても素晴らしいと思いました。
が、どうしても気になったのは、ここから先の終連です。
いつかわたしが旅立つ日には
わたしの棺には
誰が何を入れるのだろう
で終われば、どんな季節にわたしは旅立つのか、そして棺に誰がどんな枝(植物)を入れてくれるのか、と想像でき、余韻を楽しむことができたのですが
願わくは
わたしが幸福を願った人達から送られた
手紙の束を
と続きます。両親の「旅立つ日に」は娘であるわたしが思いと重なる枝を棺に入れているのに、どうして自分が「旅立つ日に」は自分の希望(「願わくは」)が入ってしまうのか、が何度読んでもしっくりときませんでした。
とはいえ、
わたしが幸福を願った人達から送られた
手紙の束を
には、きっと私が気づいていていない深い意味や思いがあるのでしょうから、津田古星さんにとって、「手紙の束」が必然であれば、何の問題もありません。あくまでも、読者としての感想です。
優しく、強く、深い詩ですね。
そして、リズムがとても良いと思いました。
読ませて頂き、ありがとうございました。
☆「欲望」鯖詰缶太郎さん
鯖詰缶太郎さん、こんばんは。以前、初心者向け掲示板でやり取りさせて頂いたことがありますね。お久しぶりです。
読み始めて直ぐに「あぁ、鯖詰缶太郎さんの詩だ」と思いました。でも、以前に比べると、良い意味で「整った」感があります。切ない「愛の詩」だと思いました。二人の距離感、関係性が微妙でとても気になります。なんでしょうね。「優しさ」「思いやり」をじんわりと感じる詩です。
リズムが独特で心地良くて、ラブソングを聴いているようでした。
初連は「わかってしまうのです」で終わりますが、二連は「とてつもなく いやだ。」で終わる。ですます調が続かないことで「とてつもなく いやだ。」がとてつもなく強く響く。とても効いていると思いました。
そして、「健やかな欲望」が良いですね。タイトルが「欲望」で「暴力性が散見する自分の姿」とあるので、まさか「健やかな欲望」がくるとは思いませんでした。純というか、真というか、悪い「欲望」ではなく良い「欲望」だな、と思いました。「欲望」と言いつつ、「願望」に近いような気もしました。
引力が
あなたと引き合った
その大いなるあたたかさだけが
僕にもあなたにも必要です。
どうしても私が理解できなかったのが、三連です。「僕にもあなたにも必要です。」の「あなたにも」が分からないままです。「僕には」必要なのだと思うのですが、「あなたにも」必要というのが、分かりませんでした。同じような「欲望」を持った人であれば、ハリネズミのジレンマになるので理解できますが、「白い夏服」の人が「僕」と同じように何かしらで苦悩しているとは思えず、ごめんなさい、どうしても「あなたにも」が分かりませんでした。
朝飯のあとは
あたりまえのように吠えていたいのです。
ここまで読んで、鯖詰缶太郎さんなので、色々と捻られて「飼い主と飼い犬」の詩なのか? と深読みしてしまいましたが、僕が犬だとしたら「悪意にとらわれてしまった獣のようで」「あなたを抱きしめていたいのです。」が矛盾するので、やはり男女の「愛の詩」であると思いました。(読み間違いだったらごめんなさい)
理解が及ばない箇所はありましたが、全体を通して、とても好きな詩です。読んで直ぐに「あぁ、鯖詰缶太郎さんの詩だ」と分かるのは凄い個性だと思います。
読ませて頂き、ありがとうございました。
☆「僕には藝術がわからないんだ」飯干猟作さん
飯干猟作さん、はじめまして。
これは詩ではないですよね。そして、藝術でもないです。
あるいは
いや、これは詩です。そして、もちろん藝術です。
なんていう具合に
はっきりと言えたら良いのですが
私も藝術が分かりません。
そして、詩も分かりません。
なので、誰かに私の詩を「詩ではない」と言われたら、そうなのだなと納得するだけで、別に抗議はしないです。私は「#詩のようなもの」を書いていると思っているので。
というわけで、私は「僕には藝術がわからないんだ」を大いに共感しながら読ませて頂きました。
好きか嫌いかで判断するのは、私も同じです。嫌いなものを、頑張って好きになろうとか、勉強のために我慢しよう、とは思いません。書かれている内容が現実に近いとしたら、飯干猟作さんは私よりも少し先輩だと思いますが、思考が似ているような気もします。ただ、初音ミクや大藪春彦などのように、何かにのめり込む性質ではないので、ここまで熱く語れるのは羨ましいな、と思いました。
同じ対象を観て、読んで、ある人は藝術であると言い、ある人は藝術ではないと言う。また、ある人は詩だと言い、ある人は詩ではないと言う。スポーツのようにルールがある訳ではないので、当然だと思います。なので「僕には藝術がわからないんだ」と明言するのは、とても潔いと思いました。もちろん、藝術も詩も定義はあるのでしょうが、私は定義に興味がありません。もしかしたら、飯干猟作さんも同じように興味がないのかもしれないな、と思いました。
ところどころに「老人」が現れますが、この詩を読んで、この長さは「老人」だからだ、と思う人もいれば、「老人」なのにこの長さを
書くなんてとても「老人」とは思えない、と思う人もいるでしょう。私は後者で、ほとばしるパワーを感じました。つまり、見方考え方は人それぞれです。きっと、藝術もそうなのでしょう。
「ハイにハイにハイにしてくれる」「好き」に囲まれている現状は最高ですよね。誰かの意見に流されることなく、自分で「好き」を選択される姿は理想的だと思います。
僕には藝術がさっぱりわからないんだ
だが今の所、わからなくて困るコトはない
その通りだと思います。「困るコトはない」のです。ただ、分かりたいという人がいて、色々と調べて突き止めようとすることは尊いと思います。でも、飯干猟作さんも私も興味がないので、分からなくても「困るコトはない」のです。
僕は詩で今、旅が出来ればそれで充分だ
最後の一行が、とても好きです。「詩を書いてさえいれば」ではなく、「詩で旅が出来れば」という表現が素晴らしいと思います。古くからの読書体験などの時間旅行もできる訳ですし、「詩で旅をする」というのは、とても素敵だと思いました。
藝術も詩も分かない私が、飯干猟作さんにお伝えする言葉はないので、最近心に残った文章を引用させて頂きます。蜂飼耳さんの散文「詩について」を読んで、次の箇所がとても心に残りました。
詩は、説明ではない。単なる行分け散文の鈍さからは離れたところにしか詩は成り立たない。
私は「#詩のようなもの」を書くときに、この文章(特に「詩は、説明ではない」)を思い出しながら書くようにしています。実際は、なかなか難しいですが……。
これだけ長い詩を書けて、しかもすんなりと読ませてしまうのは、書く力があるからだと思います。飯干猟作さんの方が私よりも藝術や詩に多く触れられていることは間違いないと思いますので、ここまで読んでも参考になるところはなかったかもしれませんが、ご容赦下さい。
読ませて頂き、ありがとうございました。
なんだか、元気になりました。とても楽しかったです。
(独り言)
僕は詩ィで今、旅が出来ればそれで充分だ
飯干猟作さんがご自身の詩を「詩ィ」と呼ぶのなら、詩ではなく「詩ィ」なのだと思います。
なので、個人的には、この終わり方の方がより響くような気がしました。独り言です。
以上になります。
雨音さんの批評に比べるともの足りなさを感じている投稿者の方もいらっしゃると思いますが、引き続き、MY DEARへの投稿をお願いします。私自身も詩だけでなく、批評もできるように成長したいと思います。
投稿者の皆様、じっくりと読んで感想を書く機会を頂き、ありがとうございました。
その曲がり角が隠している景色を見たくて
自身の不意をつくようにそこを曲がると
もう街の声は聞こえない
その道には
若葉を透いて非日常が差し込んでいる
風はスローモーションで吹いている
はじめて歩く道だけれど
過去に何回も歩いた道だ
目的をしらず進む道は
いつだってなにかを隠している
それが見たくて進むのだ
いつの間にか地面は舗装することをやめて
小さなお社をわたしに近づけた
箱庭のような境内で
ぐるりを木々がお守りしている
その一角の二本の木が
胴から切られ立っていた
一つはクスの木
もう一つはカエデの木
切られているのに立っている
切られているのに立っている
風が吹いても動かない
揺られる葉も枝もない
何万年も前からそうしてきたみたいに
何万年も後までそうしているみたいに
失ってもなお
ふたり
立っている
※
街の声が徐々に聞こえてくる
時間がふたたび秒針を動かす
隠されたものを見つけても
こたえがわかったわけではない
何万年も前からそうなんだろう
何万年も後までそうなんだろう
地表を鏡とせよ
その瞬間、180°展開が始まる
向こうに私はいる
ここは鏡像の世界、裏側の世界
くぐもった音、そこはかとなくする匂い
私以外、誰もいない
地面は透けていて、本当の世界の真実が見える
下を向いて世界を見てみよう
道を歩いている大勢の人
中身はー空っぽ、皮だけが歩いている
自分で考えない、考えれない
電車が定時に駅に停まるような
決められた、それだけのもの
ビル街が広がっている
誰も住んでいない
コンクリートの廃墟
見栄とか
踊らされた無機質のマネキンが置かれている
温もりはなく、底冷えする冷たさだけ
ひび割れた、マネキンの崩れる音が聞こえる
ガラスとコンクリートの巨大な墓標
道は森に向かう
樹木は、表も裏も変わらない
あちこちに化学薬品が染み付いている
汚染された世界にあらがう植物たち
剥き出しの地表に荒野が広がり
その上に
人工の、作り物の
自然が、薄っぺらく置かれている
沈黙と、大いなる存在の怒りが満ちている
ここは鏡像の世界、裏側の世界
透明な階段を見つけた
光の搖らぎで、全体が見える
遥かな天空まで階段は続いている
その先には、新たしい世界があるのだろうか
今日はやめておこう
きっと、帰ってこれなくなる
中身のない、本質の失われた、人工の世界
何もかも、プラスチックで作られた
偽物の世界
いつから、こうなったのだろう
人間は、何処に向かっているのだろう
私は誰だろう
私は、再び唱える
地表を鏡とせよ
180°展開する
原色の世界に戻ってきた
どちらが、私の世界なのか
何処も居場所じゃない、そんな気もする
微かに記憶に残る、家族の笑顔
家へ、まだ、帰らねばならない
待っている人がいる限り
呼ぶ声がある限り
私は、私である
平均台の上で
アクロバティックに
振る舞っても
君は平均値に見える
監視塔の上からでは
君は、ただのデータだ
君の頭上に
一本のロープを渡し
綱渡りをしている男がいる
彼は正しいのか
悪者を探しても
俺の皮膚は反応しない
ああ――
植物だった頃に戻りたい
もっと感受性が豊かだったはずだ
いや、神経質すぎたのかもしれない
敏感肌で、泣き虫で――
強くあるためには
鈍感にならなければ
無神経にならなければ
死刑執行などできない
それでも、
秩序を守るという理由で
四角四面におさまり続けていると
このままでは
石になってしまう
義母を見舞って
静かな帰り道
馴染みの
公園のカリンの樹
妻がふと見上げる
ひとつだけ
Y字の枝に挟まっている
落下できずに
地上に落ちた仲間を見る
初秋の風が撫でていた
あれは可哀そうね
鳥は来ないのかしら
秋から冬
冬から春
カリンは
黄色から
褐色に
そして
斑に黒ずみ
やせ細り 縮み
Y字に かろうじて
くっついていた
白い鳥が
くればいいのに
5月の連休
彼女は
無言で
土を確かめるように
ゆっくりと
踏みしめて歩く
見上げると
枝のカリンは
新しい芽吹きとともに
消えていた
きっと
白い鳥が来て
きっと
土に落ちたわよね……
君がばらばらになったら
どこから手をつければいいだろう
やっぱり頭?
いや手が先かな
意外と内臓からの方がいいかもしれない
天のお星様が僕に告げたんだ
君に会いにいけってね
そしたらそうなるかもしれないんだって
動物なんてみんな似たり寄ったりだから
たぶん僕もばらばらになるかもしれない
そしたら足からにして欲しいな
サッカーボールを蹴りたいから
あとはそうだなあ
川に流そうよ
あちこちぶつかってきっと楽しいよ
そしていつか出会えるさ
暗く深い海の底で
国道16号線沿い 横に目をやると横田基地
歩く歩道の先には小さなドーナッツ屋
店先に鉄製の白いベンチが置いてある
太ったな初老の外国の方が
コーヒー片手にドーナッツを頬張っている
空はどこまでも青くて雲ひとつない五月晴れで
その風景は絵になるなと感じて その絵に加わりたくなった
僕もドーナッツとコーヒを注文してしまう
片手にコーヒーで軽く会釈をして隣に座り
ドーナッツをガブリと頬張る
柔らかくてふわふわしている雲のよう
独特の甘さが口いっぱいに広がり
口のや周りは粉砂糖 思わず笑顔になってしまう
それを見ていた彼が膨らんだ頬のまま可愛い笑顔で
少し砂糖の付いた親指を立てて
こちらに向ける
僕も思わずドーナッツを摘みながら同じポーズで返す
お互いに笑顔 美味しさには言葉なんて必要ないんだな
コーヒーのほろ苦さが
青空を眺める穏やかなひとときを演出してくれる
彼はやがて立ち上がり手を振り歩き出す
僕は思わず「bye」と言葉を投げかけていた
彼は振り返り「bye」と微笑みながら返してくれた
少しの間がありものすごい爆音と共に
目前の滑走路に軍用機が着陸する
目の前に国道とフェンスを隔てて基地があり
さっきまでドーナッツ屋に笑顔の可愛い彼がいたリアル
軍用機が着陸する外国の基地がある事もリアル
青空の下 基地もドーナッツ屋もこんな近くに存在していて
できる事ならこちら側の穏やかな日々が続いたらと
ふと考えながら残りのドーナツを頬張った
残りのコーヒーを口にした後に
はドーナッツの甘さより
コーヒーのほろ苦さが口の中に残っていた
心の中にも目の前の基地のリアルが
何故か苦味のように残っている
立ち上がり店主に頭を下げて五月晴れの下歩き出す
リアルとリアルの間 国道16号線沿いの歩道
空はどちらのリアルにも同じ五月晴れが広がっていた
僕は
毎日毎日
何も見ず
何も感じることがないので
結局何も表現することがない
だが しかし
僕のなかには確実に生の重要な何かが
こころに引っかかっていて
それは表出を求めて
僕の疲れた自我を苦しめる
いつか表現し切るまで
あるいは
いつか
自分が自己とうまく一致して
何らの不快感もなくなるまで
僕は言葉を使って
苦しみ続けねばならない
雨が降る
ぽつぽつ
静かに弾ける音が優しい夜に溶ける
音は生活のリズムと不思議と調和していた
星ひとつ見えない寂しい夜空に
雨粒が街路灯に照らされ
日常の流星群
水たまりになれば
地上の夜景を切り取るけど
水玉ひとつぶなら何かを写していたりするのか
ぽつぽつ
雨と町あかり
窓からの夜景は
冷たいままで気持ちよかった
一階の居間から
テレビの特番で家族に向かって
大声でああでもない、こうでもないと
日頃の鬱屈を語る祖父の声が聞こえてくる。
ぽつぽつが夜空の景が破られるように
祖父の現実への観念が滂沱のように流れ込む
雨が地面に軽い音を打ち続ける今
祖父の静寂の星粒を裂くラッパのような声
短歌を詠みたくなった
今この時を切り取りたくて
─雨粒の言葉が降る空が夜色に じいじの好きな時事ネタ嫌い─
他の人からの評価なんてわからないけど
日常を切り取った言葉が
日常のリズムに流れて
ボトルメールのように誰かに届けば
口ずさんだ短歌は雨粒に
誰にも届かず水たまりに溶ける
空へ届いて また明日に夜降りますように
三浦様、評をありがとうございます。
今回の詩も、お忙しい中丁寧に読み取っていただいてありがとうございます。
先生の仰る通り、これは女性同士の確執じみた出来事がベースにあります。
「成長過程」の内容を上手に表現できなかったので、もう少し考え直してみます。
ご指摘ありがとうございます。
精進します、また、どうぞよろしくお願い致します。