◎11月29日(火)~12月1日(木) ご投稿分、評と感想です。(青島江里)
11月29日(火)~12月1日(木) ご投稿分、評と感想です。
☆暴食 黒い木さん
通りがかりに見た木の下の光景。よく見つけましたね。
また、その光景を文字にして残しておこうなんて、詩や文章を書くことが好きではないとできないのではないかと思いました。
それにしても、団子虫一匹、一匹、それぞれに性格があるのですね。ジャムまみれになったり、寝転んだりしている子までいたのですね。
詩を書くって、何らかの気づきや発見が起点になったりすることが多いですよね。黒い木さん、これからも生活にいろんな色のアンテナを張って、自分の詩の世界の可能性を広げていってくださいね。
☆世界と私の始まり 森山 遼さん
夜明け前の風景を描いてくれていますね。色の移り変わりも丁寧に記されていますし、寒色使いがより一層の冬の冷たさを記していますし、暖色の赤の使い方は、夜明けの太陽のイメージを彷彿させてくれます。色だけではなく、最終的には小鳥の声を打ち出してきて、色と音を合わせているところがとても印象的でした。
ただ、この作品で気になったのは一点。
風景の景色に対して、有名な画家の絵画のイメージで説明しようとしていた点。そういう風にすることは、全然問題のないことなのですが、この作品に関しては、その例が多すぎるということでした。ルオー、ゴッホ、ブリューゲル、モネ・・・これはたとえが多すぎて、くどくなってしまっているような気がしました。個人的には、一つか二つに留めておいた方がよかったかなって思いました。なぜか。それは、今回の森山さんの作品の風景描写が、そのようなたとえに頼らずとも、充分に素敵なものとして表現されていたからです。読み手は、そのようなたとえがなくとも、想像の中の風景散歩を充分満喫させてもらえると思います。ただそこだけでした。今回は佳作半歩手前で。
☆淋しい人 秋冬さん
淋しいというのは、なんとなく、言葉にしなくてもわかる気がするのですが、実際、深いところまで追求するとなると、その奥底というものはどういうものかなんて、はっきりわからないと思います。このような思いを表現することは難しいと思います。ましてや、難しい言葉を使わず、誰にでもわかりそうな言葉でそれを伝えるとなると、いったん、足を踏み外してしまうと、書けなくなってしまうこともありそうです。
では、何が一番いいのか。書きやすく、スラスラとそのような思いを表現することができるのか。それは、何も考えずにありのままにしかないような気もします。
一歩間違えれば、理屈の世界になって面白くない作品に仕上がってしまいそうですが、この作品の根底には、そこはかとない淋しさがあります。好きな人に淋しいと言わせたくないという、愛情もあります。こちらがベースとなっていて、無口な世界の中にある、特別な淋しさを表現することに成功しているようにも思えました。なかなか面白いアプローチの仕方だと思いました。佳作を。
☆沸騰 猫目屋倫理さん
もの凄く殺気立った強い感情が伝わってきました。それが実際、どういうことが発端となって、こうなったのか、ということに関しては、一切知らされていません。個人的には、そのような詳細を、全部とは言いませんから、一部でも表現してくれると、より一層、猫目さんの今回の詩の世界の中に入ってゆけたような気がします。
「沸騰」・・・。
タイトルも大変迫力がありますね。最後の連の「煮詰まって」という部分を思うと、相当な温度を感じました。感情の表現について考えさせてくれる作品だと思いました。
☆ベルが鳴る 紫陽花さん 「評なし希望」
評なしということで、そのようにさせていただきますね。小さい感想だけおひとつ。ひとつの出来事に一区切りがつくということだけでも大変なことだと思います。「複雑な喪失感をのこしておきたくて」という言葉に、作者さんの愛情を感じました。詩にして残しておくということは、詩書きさんだからこそですね。紫陽花さんのこれからの益々のご健筆をお祈り申し上げます。
☆悲しき赤 cofumiさん
曼殊沙華の赤は強烈な赤ですよね。遠くからでもわかることがありそうです。
「マンションの10階から真っ赤な世界が見えた気がした」
この表現はとても印象深く、鮮烈なイメージがしました。
とてもいい立ち上がりだと思いますが、ちょっとはっきりさせた方がいいと思ったのは、二連目です。「あのカール」という表現もわかりにくいですし、「あの」が「どれ」としてしまうところも、読み手としてはどこにどう行き着けばよいのかという迷いも生じました。
ただ、三連目にいくと、これまた、いい表現にぶつかるのですよね。
二人過ごした日々は
子供の水遊びくらいに楽しくて
この表現、どれくらい二人でいて楽しかったかということがものすごく伝わってきます。ただ子供のように遊ぶというのではなくて、「水遊び」という設定にしたところが特にいいなと思いました。あなたとなら、どんな格好になっても忘れて、平気なくらい楽しいという風になっちゃいますから。
その人のことがどれくらい恋しいかということがものすごく伝わってくるのだけど、詩の全体を見ると、二連目がわかりづらくなっているので、本当にそこは残念です。
恋しい人との思い出の表現がとても印象深い作品になっていると思いました。今回は佳作一歩手前で。
☆さようなら ボク 山雀詩人さん
谷川俊太郎氏の「朝のリレー」を思い出します。そのようなことがベースになっているようにも思えました。自分の目の前にある夜。その裏側にはかならず朝がある。誰もが知っていることなのですが、地球の丸さを感じさせてくれる神秘を思わずにはいられません。こちらの作品は、主に、自身を見つめて、陽と陰の僕に焦点を当てられましたね。
夜の裏側にある朝の世界の表現は美しかったです。
地球の裏のどこかの国が
朝を迎えているだろう
そしてきっとその朝は
とびきりの明るい朝だ
分かるよ それくらい
行かなくたって分かる
特に、行かなくたってわかるという表現が胸に来ました。僕は何年も地球に住んでいる人間だという意味合いが感じられました。
だってここがその逆だから
こんなにもネガティブだから
この世はプラマイゼロでしょ
こちらの独特の思いも面白かったです。
地球に明るい時間とくらい時間があるように、地球の自然の一部の人間だって、同じじゃないだろうか。暗い時間の中に暗い僕がいて、明るい時間の中の僕がいるということ。そのようなことを感じさせてくれるし、そうかもしれないなと、思わせてくれるところも魅力的でした。「~だ!」「~しよう!」と叫んでいるわけでもなく、メッセージ性は感じられるのに、強い攻めてくるわけでもなく、ただただ「そうではないだろうか・・・」とぼんやりと問いかけてくるところに言葉に対するやわらかさも感じました。ものすごく信じられるというよりは、ほんのちょっと信じられる気がしてきたというのが、この作品の良いところだと思いました。そのように感じさせることで、嘘っぽさのないリアルな今を表現することができている作品になっていると思いました。佳作を。
☆静かな街の夜遅く 大杉 司さん
部屋の中で横たわったまま、街の様子を感じている作品でしょうか。外を感じる様子。想像する様子。わかりやすく書けていると思います。
また、街の静かさに対する思いも飾らず、自然に表現されていると思いました。賑やかな街は楽しく、静かな街は退屈。朝と夜の差のギャップ。色々な思いをはせつつ、夜の孤独を耐え忍ぶシーン。「それでいい。」「そのままでいい。」は、その孤独を浮かび上がらせる言葉として、最適だと思いました。
ひとつ気になったのは、最終連です。「午前0時頃何かが変わった気がした」となってはいるのですが、さかのぼってみると、三連目では「日が変わっても」となっているのに、何の変化もみえません。その点が引っかかるところ。三連と最終連がつながっていないところです。最終連を、もっと別な言い方にかえるか、三連目の一部で、少しでも何かが変わったことが感じられたという表現を加えるか、どちらかを採用して修正してみるのもありかと思いました。
夜の静かさが印章深い作品になっていると思いました。今回は佳作一歩手前で。
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十二月です。十二月になるとさすがに寒いな。紅葉の盛りもすぎて、いつのまにか
落ち葉の季節。いちょうの葉っぱの波がきれいな時期になりました。
かなり寒くなってきました。どうぞあったかく……。
みなさま、今日も一日、おつかれさまでした。