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スレッドNo.138

感想と評② 6/17~6/20 ご投稿分  三浦志郎  6/25

8 晶子さん 「おっさん」 6/18

タイトルに驚き、「エッ!僕のこと?」 それはともかくとして―。
まあ、これは晶子さんの中でも異色作でしょう。まずは告白調の採用です。よく雰囲気を掴んでいますね。「語るおっさん」と「語られるおっさん(不在者)」が描かれますが、後者が全く登場せず前者によって造形される点がおもしろいです。後者は淋しさを、前者は優しさを感じさせるものです。まあ、どちらも酔っ払いということは言えそうですが、それを割り引いても、前者のほうが、いわゆる“わけ知り”といった気がします。まあ、社会の隅に追いやられ、酒飲んでゴタクを並べる以外、術がない、そんな悲哀は両者に感じるわけです。3連最後の「えりとかさばとかいいながら」―これ何のことですか?何か、誤字・脱字のような気もしますが、それと「SL広場」という奇妙に特定的過ぎる背景、しかも「SLの中に消えてった」もどこか奇妙。SLって、あの蒸気機関車のことですよね。これらの特定的奇妙性も含め、晶子さんのこの作品の創作動機が一番知りたく思います。そういった感覚から評価は一歩前といったところでしょうか。


9 荻座利守さん 「あたまのわるい私は」  6/19

いえいえ、けっしてそんなことないですよ。読み手は、これは比喩的枕詞と取りましょうよ。
「あたまのわるい~~ない(CAN NOT)」 は逆説的願望と取りたいところ。ここから始まり、詩は「例えば」としてすなわち具体を語りながら、世界を広げ深めていっています。すなわち対象を捉えて、感受性を総動員するさまが描かれます。結果としての紙風船です。これも隠喩でしょう。
この詩は後半になるにつれ、思考に形が与えられていく気がします。「言葉に命を/与えてみたい」
以降、綴られていることとは、詩人があまねく持つ日々の屈託あるいは苦闘する姿を活写しているように思えるからです。甘め佳作を。


10 朝霧綾めさん 「不思議」  6/19

2連の存在理由により佳作。さらに記述。

真昼の、星の反対側には
畑を耕す人々がいる
私が朝になり、その人達が夕方になれば
農具を仕舞って一緒に踊ろう

こういった世界の触れ方、捉え方。前作と比べて、形がくっきりと与えられているのを実感する評者であります。子どもを寝かしつけ、自分も寝に就くひとときに明滅した不思議感。空間の隔たりに想いを致しながらの、この同時間性、連帯性は素晴らしいものがあります。こういった詩情に気づくのは、日常を意志的に暮らしている証左のように思えるほどです。さらに「不思議」と捉える謙虚さ、純粋さも魅力のようです。いい詩でした。

「農具を仕舞って一緒に踊ろう」―この言葉の持つ労りと慰安。


11 紫陽花さん 「彼を構成するものたち」  6/20

前作が初登場。ちょっと捉えどころのない作品でしたが、今回のように足許から固めていくようなアプローチが初期段階には良いと思っています。物品によって、彼の人となりを象徴していく。それら品々をどのように配し描くか?そこに今回の詩創作の醍醐味と苦労があったことでしょう。
書類……仕事。コンサートチケット……趣味。服、ペットボトル、コップ、牛乳、空き袋……日常生活のリアル。そういったものを感じさせます。とりわけ牛乳の念の入った描写が不気味にも目を惹きます。これらを受けての着地の仕方、まとめ方が詩的であり優れた点と思われます。すなわち「欲求と怠惰」。案外、人間とは、この異なる両者を平気で同居させるものかもしれない。
彼を造形するに物品のみに徹して、作者の彼に対する心情を一切排している。この無機質さが、「構成する」というメカニカルと相まって、面白い効果を与えていると思います。評価の始めです。伸びしろを鑑みて佳作二歩前からのスタートを。


12 エイジさん 「ミューズ(詩神)」  6/20

この詩を読んで、ある小説を想い出していました。その題名はあくまで伏せますが、そこにある環境、空気感は相通じるものがある。この詩のそこに惹かれました。重大なこと、大きなことを言うわけではなく、素直に、自然に、あるがままに、その姿勢がこの詩にひとつの静謐をもたらしているのが感じ取れます。おそらく、この小柄な女性スタッフさんは職業的要請から、エイジさんの話を甲斐甲斐しく聞いてくれ、詩の感想も言ってくれることでしょう。詩を考え創ることは精神に寄与するところ大です。彼女も当然それを思い、エイジさんは当然詩を目指している。ここに書かれていることは総て良い方向に向かうことが予兆されます。そんな事情を、気どることなく、素直に、淡々と書かれて、自然と好感が持てる詩になりました。僕はこの詩が好きです。これは佳作。


13 ピロットさん 「松島や」  6/20

今までの名所旧跡、リアル時制で語ったことが多い中にあって、こちらは現在からの追憶という形を取り、それが好ましいものに感じられました。それと、事物の固有名詞をセーブして書かれた点、煩雑さが排除され、かえって風景が浮かび上がることに繋がった。いわゆる”程がいい“というものです。何よりも大事なのは、この美観の中に刻印され記憶された二人の事でしょう。少し詳しく見ましょう。「松島や~」の有名な句、考えようによっては、これ以上無責任な句はないのですが、おそらく作者(現在は芭蕉作ではないのがほぼ定説)はその絶景に言葉を失ったということでしょう。いっぽうで、「これが絶景なのかしら/首を傾げながら」も充分わかる気がするんですよ。美とは相対的なものだし、それを観る人間の感性も刻々変わったりする。前半を評価すべきは「あなた」の様子をよく風景とブレンドさせている点でしょう。「*」以降はより濃厚に現在性が入って来る。風景はやや遠ざかり、代わって二人のその時の様子、それがいかに現在に(有意義に)繋がっているかが綴られています。場所を描くにしても、このスタイル、この構成が今後も期待されるところです。佳作です。


評のおわりに。

あれから今日で一週間。横浜詩人会のイベントが終わり、充実したものになったこと、肩の荷を少し降ろすことができたことが、今、思いとして残っています。遠来の客人あり、初対面の人あり、久々の再会あり、という得難い場面もありました。今年上半期の大きな幸いでありました。全て感謝。 では、また。

編集・削除(編集済: 2022年06月25日 13:29)

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