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スレッドNo.1387

ロジェストウエンスキー提督―司馬遼太郎「坂の上の雲」の対岸より  三浦志郎  1/13

歴史とは結果論のことだから―

結果で言えば提督は
敗北し負傷し捕虜となり
日本という異国の
寝心地悪いベッドにありつく為に

ロシア最大の艦隊を駆りもよおし
怒りと苦悩と保身の中を
バルト海 大西洋 インド洋 
太平洋 東シナ海を経て
Цусима(対馬)から日本海へと
自分のプライドを捨てる為に
やって来た

日露戦争の決着が近づいていた

その航海 実に七か月 地球を半周
参加艦艇四十隻あまり
トーゴーとの戦いはわずかに二日

提督にとっては戦いよりも
艦隊を連れて来たその過程こそが
名誉だったのか

確かに
歴史に刻まれる壮挙ではあったが
他国からの妨害の海を抜け出た果てには

指揮下の全艦が
沈められ
破壊され 
炎上させられ
あるいは日本の軍門に降ったことは
彼の精神をどう打ちのめしたか

ロシア・ツァーリ(皇帝)とその提督は
極東の小国を
ある動物になぞらえた蔑称で呼んだ
(差別用語なので ここでは書けない)

しかし
蔑称で呼ばれた民族に
艦隊消滅
と言っていい敗北を喫するのだった
責任の所在は
提督でなく
艦隊でなく

おそらく帝政という病巣が原因だろう

佐世保の病院のベッドでロジェストウェンスキーは
トーゴーの見舞いを受けた
“小国”の提督の礼節ある態度に接し
トーゴーほどの男に負けたことを
自ら慰め 終生 尊敬しつつ 
母国でわずかに生き長らえた 
六十年の生涯

歴史とは結果論でしか語られないから―

*          *          *          *

ロジェストウェンスキー提督に課せられた目標は全艦ウラジオストックに回航させての
戦力増強にあった。海戦は副次的なものだったらしい。提督の理想としたのは―殆ど
あり得ないことだが―日本艦隊の攻撃を振り切り、ウラジオストックに入ることだった。
が、結果として彼は発見され交戦。結果として日本の病院のベッドに横たわるのだった。

話は変わり―。司馬遼太郎「坂の上の雲」は名著にして、国民文学としての評価も高い。
司馬はその中で、このロジェストウェンスキーを深刻な失敗者として痛烈に批判してい
る。批判は、もう一人にも向けられている。 
乃木希典。
二人を批判した司馬への批判もけっして少なくない。この名著は時に、このことが論争
になってきた。しかし私はこの二人に関しては殆どが事実で、後は僅かの増幅と考えて
いる。二人の凡将によって夥しい死者が出たことに想いが募ったのだろう。
そもそも彼は小説を書いているのであって、歴史学を展開しているわけではない。
ここに歴史小説の難しさがありそうだ。「司馬史観」といった言葉が独り歩きし、人々
は勘違いをしている。彼は苦笑しただろう。その単純な事実を司馬批判者は思わねばな
らない。一方、こういう批判が出ること自体、彼の存在の大きさを表しているのかもし
れない。私は司馬を心から尊敬する者である。そして真の尊敬とは批判さえ呑み込んで
初めて成されるものだと思っている。
今年は司馬遼太郎生誕百年にあたる。二月十二日は「菜の花忌」。 
私は彼の遺志を「詩」というかたちで受け入れることを目指したい。

さらに話は変わり―。現代のロシアの仕掛けた戦争は、その国と為政者の精神構造にお
いて日露戦争と太平洋戦争直後に共通点が見出せる気がしないでもない。ロシアという
国が生理的・潜在的に持つ領土意識、その維持・膨張政策において。



                      ロジェストウェンスキー……日露戦争時、日本海海戦の
                                   ロシア・バルチック艦隊司令長官。

                      トーゴー…… 東郷平八郎、日本海海戦の日本側長官。

                      乃木希典……日露戦争時、旅順攻略の司令官。

                      Цусима……「ツシマ」。当時、ロシア戦艦の乗員だった
                              ノビコフ・プリボイの記録文学作品のタイト
                              ルでもある。

編集・削除(編集済: 2023年01月13日 06:07)

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